当方が最近知り合ったイスラエル人(人権活動家、ここではA氏)から聞いた話を紹介する。テーマはイスラエル人の歴史観についてだ。
イスラエルは、「われわれは歴史を通じて常に犠牲者だった」という歴史観を持っている。イエス以降、ユダヤ教から派生したキリスト教の社会から迫害されてきた。世界に反ユダヤ主義が席巻し、至る所でユダヤ人は追われ、時には忌み嫌われてきた。そのユダヤ人迫害史の中でナチス・ドイツ政権時代のユダヤ人虐殺はその頂点だろう。約600万人のユダヤ人はアウシュビッツ強制収容所などに送られ、そこで犠牲となった。
A氏は、「イスラエル政府は常にわが民族は犠牲者であり、犠牲国だという歴史観を国民に教え続けてきたが、イスラエルの隣に住むパレスチナ人がどのような日々を送っているかを知ろうとしなかったし、政府も国民にパレスチナ人の現状を伝えることはしなかった」という。
A氏曰く、「イスラエルの現状は精神分裂症的な状況だ。イスラエル社会は一見、欧州と米国のそれと似ているが、その次の戸を開けるとそこでは軍事占領が行われている。大多数のイスラエル人はパレスチナ人の現状を全く知らない。世界からジャーナリストが集まり、情報は無数にあるが、イスラエル人は知らない。極限すれば、知りたいと思わない。子供の時から民族主義的な教育を受ける。それはパレスチナ人を非人間化する教義(ドクトリン)だ。それは『私たちがこの紛争の犠牲だ』という点に集約されるだろう。多くの非政府機関(NGO)の活動家がその歴史観の間違いを指摘するが、イスラエル政府は彼らを反国家主義者のように扱い、攻撃する」
「紛争は常に複雑で希望がないが、全ての紛争には終わりがある。イスラエル政府は紛争に終わりがないことを国民に教え続けてきた。人は変わることが出来ることを信じなければ、和解とか許しなど出てこない。興味深い話をしよう。イスラエル人とパレスチナ人の紛争犠牲者の家族たちが一堂に集まり、共同追悼集会を行ったことがある。そこに参加した一人のイスラエル女性は、『自分はイスラエル人ではない。子供を失った一人の人間(母親)として参加した』と答えたという」
当方は数年前、1人のイスラエル人女性が、「平和の実現は迫害されている人々の手にあるように思える。イスラエル側は自分たちが平和のカギを握っていると信じているが、自分にはそうと思えない。迫害される側のほうが多くの平和を実現できる力があるのではないかと感じ出している」と語ったことを思いだした。
イスラエルとパレスチナ問題は戦いでは解決できない。このことはこれまでの歴史が証明してきた。両民族の和解は結局は一人ひとりが自ら生み出していかなけれないのかもしれない。たとえ、多くの時間がかかるとしてもだ。
当方は「新しいイスラエル人が出てきた」と感じている。イスラエルは犠牲国といったこれまでの歴史観を超越し、「われわれは共通の痛み」(コモン・ペイン)を抱えた人間であるという土台でパレスチナ人との和解に乗り出すイスラエル人の登場だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。