けさの朝日新聞で、石原信雄氏が天下り批判に反論しています。彼は竹下内閣から村山内閣まで7つの内閣の官房副長官をつとめた「霞ヶ関の生き字引」です。仕事でつきあったときは、官僚の名前を聞くと即座に「彼は大蔵省の**君と同期で、自治省の**君とは大学の同級生だ・・・」といった固有名詞がすらすら出てくるのに驚きました。霞ヶ関では(日本の大企業でも)「同期」は人事を決める際のもっとも重要なデータで、それを知っていることが官僚をコントロールする必要条件なのです。
石原氏は、都知事選に出馬したとき「天下り官僚」の見本のようにいわれましたが、本人は頭の柔らかい人です。彼の反論もそれなりに筋が通っており、私の提言に近い。天下りを全面禁止して斡旋機関も認めない民主党の政策は、日本の労働市場をさらに硬直化させるでしょう。それよりむしろ官民交流を促進して、「経営者の市場」をつくるきっかけにすべきです。
ただし「天下りを禁止すると優秀な学生が役所に来なくなる」という石原氏の心配は逆だと思います。今の官庁は、高度成長期のような日本経済の司令塔ではなく、民間の落ち穂拾いでしかないので、優秀な学生は行くべきではない。事実、東大経済学部では優秀な学生は外銀に行き、その次が研究者で、公務員になるのは邦銀にも行けない落ちこぼれだという。それでいいのです。
日本で官僚が力をもっているのは、一般に信じられているように官庁の法的な権力が大きいからではありません。90年代以降、日本の許認可権は削減され、OECD諸国でも少ないほうです。それでも官僚の力が強いのは、彼らがいちばん偏差値の高い学生だったという知的な権威の影響が大きい。官僚の側も自分たちが民間より賢いと思うから、公式の権限のない業界まで口出しし、民間もそれに従ってきました。
しかし状況は変わりました。このごろ民間企業の経営者によく聞かされるのは「役所は業界を指導したがって困る」という話です。特に「日本発の国際標準」に熱心で、総務省は局長みずから南米に出張して日本の地デジ(ISDB-T)を売り込んでいるそうです。周波数オークションについても、「高い免許料を払って採算のとれるビジネスモデルがない」と反対しています。
余計なお世話です。どんな技術が最適で、どんなビジネスモデルで採算がとれるかは、民間企業が判断して自己責任で実行するしかない。結果に責任をとらない役所が「次世代の技術は**だ」などと指導して、当たった試しはありません(外れた例はいっぱいある)。そもそも最先端の情報を役所に教えるようなお人好しの企業は今どきないのだから、官僚は情報弱者だということを自覚したほうがいい。
情報の集まらない役所に偏差値の高い人材を配置しても、優秀だが無能な官僚になって、間違った判断を民間に押しつけるだけです。官庁の最大の無駄づかいは国家予算ではなく、人材を浪費して民間をミスリードすることです。逆に役所に集まるのがB級の人材だという評判が定着すると、民間は(許認可権のない)役所のいうことなんか聞かなくなるでしょう。
日本の官僚がアメリカに留学して、パーティで”I’m a bureaucrat”と自己紹介すると、相手が「なーんだ役人か」という顔をして離れていくのでショックを受けた、といった話をよく聞きますが、英米型の統治システムでは官庁は優秀な人材の行くところではない。立法は議会が行なってホワイトハウスが執行し、各官庁でも政治任命された幹部が意思決定を行なうので、生え抜きの官僚は決まったことを実行するだけのclerkです。
官僚内閣制を打破するために法律を変えようとしても、法律を官僚がつくっているかぎり、今回の国家公務員法改正のように骨抜きにされるだけです。それより官僚の偏差値が下がり、優秀な民間の人材を衆議院事務局に集めて「無能な所管官庁より優秀な国会のほうが力がある」という評判を作り出すほうが実質的な権威の移行に有効だと思います。