誤解していたのかもしれない。ロスチャイルド家系の名門銀行から政界に飛び込み、大統領にまで這い上がった青年を当方は「銀行マンから大統領になったポピュリスト」という程度でしか理解していなかったが、その青年は英雄と物語を愛し、ひょとしたら本人もその世界の住人ではないかと思えるほどだ。政治家のイメージは全く感じさせない。青年はフランスのエマニュエル・マクロン大統領(39)だ。
フランス大統領への見方が変わった直接のきかっけは独週刊誌シュピーゲル(10月14日号)の8頁に及ぶ同大統領との単独会見だ。マクロン大統領は資本主義の先端を走る一流銀行から大統領府に入ったラッキーな青年というより、ドラマを愛し、それを創造していく若き芸術家の姿を彷彿させるのだ。シュピーゲルは「僕は傲慢ではないよ」という見出しでマクロン氏の顔写真を表紙に掲載している。
大統領府には1匹の雄犬がいる。ネモ(Nemo)と呼ぶ。ラテン語ではノーボデイ―を意味する。捨犬や猫をお世話する動物ハウスからネモを譲り受けてきた。マクロン氏曰く、「彼(ネモ)は動物ハウスからフランス大統領府のエリゼ宮殿の住人となったんだよ。考えられない人生の激変だね。もちろん、ネモ自身はそんなこと考えていないと思うがね」と笑いながらいう。
マクロン氏は自身を「どん底の世界にいたネモを最高の宮殿の住人に引き上げた神のような存在」とは考えていない。彼はそのネモの人生の激変にあたかも第3者のように驚きと感動を覚えて見つめているのだ。
インタビューの最後に、「今夜、宮殿内でコンサートが行われるが、貧困地域の子供たちと宮殿職員の家族200人余りを招いている。彼らは宮殿でコンサートを聴くことなどなかっただろう。宮殿に住む恩恵を他の人々と共に分かちあえればうれしいね」という。
マクロン氏の上記の2つの話は受け取り方次第では「マクロン氏はなんと傲慢な人間だろうか。自分を何と考えているのだろうか」という印象を持つかもしれないが、シュピーゲルの記事を読んでいくと、そうではないことが理解できる。マクロン氏自身には「自分がそのドラマを演出した」という自覚が余りないからだ。彼は自分の人生も含め、ドラマに惹かれ、感動しているだけなのだ。
マクロン氏は会見では、「勇気」とか、「野心的」という言葉を多発する。「野心的という言葉は絶対、謙遜を意味しない。謙遜を意味するのなら、僕は野心的でありたいとは思わないよ」と説明。ドイツのメルケル首相への人物評価の中でも、「彼女は能力のある政治家だ」「勇気ある指導者だ」と指摘する。「勇気ある政治家だ」と他国の指導者を褒める政治家はあまりいないだろう。
勇気、高貴な気質は中世時代の貴族たちが憧れた気質だ。マクロン氏自身は、「自分は中流階級出身だよ」というが、その気質はどこか中世貴族の王子のような雰囲気がある。
マクロン氏は、「現代には英雄や物語が必要だが、メディアはそれらに強い不信感があり、ことごとく崩していくのは残念だ」という。フランス大統領という地位についても、「政治的、技術的意味合いより、象徴的な意味が重要だ。国民は政治的英雄、指導者を必要としている。カトリック教国のフランスの国民の思考世界は垂直的だ。その点、プロテスタントのドイツ国民とは異なる。フランス人は常に上からの指示を待っている。それを受けると、従う。もちろん、国民はその英雄を、時が来れば追放し、新しい英雄を探し出す」という。
マクロン氏のデスクの引き出しの中には書きかけの3つの小説の原稿が入っているという。「いつかは完成させたいね」という。「時間が許せば、毎晩本を読んでいるよ」という。代表作「素粒子」が日本語にも翻訳され、最新作の「服従」で話題を呼んだフランス作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏の本にも通じている。ドイツ人作家でノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラスの作品を読んでいる。音楽では「やはりモーツアルトが好きだ」という。
約70分間のインタビューの中には政治的テーマにも答えているが、会見記事を読んだ後、印象に残るのはマクロン氏の物語の世界だ。「大統領府の生活にも慣れてきた。家族たちも最初は戸惑いもあったが、今は普通の生活といった雰囲気になってきた。宮殿にも住む人がいた方がいい」という。
ブリジット夫人と1週間に1度、じっくりと顔を合わせるぐらいで超多忙の日々だ。「僕は今、旅行が多い。世界至る所を訪問しているよ」という。フランソワ・オランド前大統領は毎日、早朝4時に目を覚まし、スマートフォンで情報をチェックした後、再びベットに入る生活をしていたというが、後任者のマクロン氏の生活は物語の世界を生き、旅に出かける日々だ。
マクロン氏への批判の声も上がってきた。当人はそれを気にしていない。政治では非常に現実的な対応をする。メルケル独首相を尊敬し、「助け合いながら欧州の刷新を実施していきたい」という。
第1期の任期5年が終わった頃、マクロン氏の世界は変わっているだろうか。いずれにしても、大統領職を終えた後もマクロン氏の人生は長い。書きかけの小説を完結する時間は十分ある。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年10月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。