円相場が70円台に突っ込もうとした時、世論の基調はもういい加減にしてほしい、でありました。その際、その円高に対していや、もっと円高は進むと唱えた経済評論家も結構多く、50円説、あるいはもっと強烈な意見もありました。その根拠は、といえば多分、著者の論点を目いっぱい誇張した感覚論だったと思います。当時ベストセラーになったH氏の書籍を私も読みましたが、うーん、だからなぜ、50円というところは正直、分からずじまいでした。
今、円が110円台に突入しようとしているところで各所から懸念の声が上がってきました。経済団体から役人から政治家まであれ、っと思うぐらいのちょっと待てよ、の大合唱であります。これってちょっと不思議だと思う人もいるのではないでしょうか?100円は心地よい、もっと円安になればもっと心地よいという市場の声はどこ以上なら不快なのかを示すことはあまりなかったと記憶しています。
ミスター円こと榊原英資氏は直近のコメントは「当面は1ドル=107~112円程度の範囲内での推移が続くとみている。市場には、この流れで115円や120円まで一気に円安・ドル高が加速するとの声も聞かれるが、私は懐疑的だ」「1ドル=110円を下回る円安・ドル高は日本経済にとってマイナスだ。日本企業は海外での生産を増やしており、円安で輸出が伸びるという構図は成り立たなくなってきている」(日経電子版)としています。
個人的には105円、110円、あるいは120円という節目に対して経済評論家や政治家がかなり感覚的な発言をし、それを市場参加者が真に受け、本来の姿を反映しない為替相場を作り出している気がしてなりません。例えば日本政府がこれ以上の急激な円安は介入も辞さないと発言していますが、こんなチープな口先介入はもはや、何ら意味がないことは市場はよく理解しています。考えてみてください。円は世界の通貨流通市場の4%程度となり、規模もさることながら第一位のドル、第二位のユーロに対して保険的な通貨が円であります。一般にはセーフヘイブンと称されていますが、その性格は変わってきています。あえて言うならコールとプット、あるいは信用買いと信用売りの組み合わせと称しましょうか? セーフヘイブンというのは英語の短絡的な表現にも感じ、単に売り方と買い方の相対といった方がしっくりきます。
日本政府が介入するぞ、と脅しても円に対する投機家、為替ディーラーの巨大な市場規模に阻まれ、日銀や日本政府がどれだけ頑張っても一日か二日の反撃に過ぎません。投機家はそれを読み込んでいますから日銀が円買いドル売りを仕掛ければこれぞチャンスとばかりにそれを上回る反対売買で暴利を稼ぐ仕組みになっています。つまり、円の介入といった人為的コントロールの効果は出にくくなっており、むしろ、榊原氏が円の国際化をかつて考えていたならば市場の成り行きに任すとともに円がおもちゃにされないような日本の体力増進を指南すべきではないでしょうか?
つまり、目先の為替について語る専門家は多けれど円をどのように安定させるか、という高尚な考えを持つ人は案外誰もいない、というのが私の感じるところです。黒田総裁も安倍首相の手足でしかなく、安倍首相は結局、自民党と自分の保身でしかないように見えてきました。
円が目指すところはどんと構え、アメリカにもヨーロッパにもできず、アジア諸国がどのような激動に揺れても日本円だけは不動の地位、というポジションを作り上げることのはずでした。ところが、政治家は業界からのボイスで為替を政治ゲームの主軸にしてしまったことに日本の不幸があるともいえるのです。
日本が目指す為替政策とは何でしょうか?
日本に幸福をもたらすと同時に一定の安定感が欲しいというのが私の意見です。80円から110円とは僅か2年弱の間に37.5%も貨幣の価値が劣化しているのです。これを喜んでしまう市場は明らかにおかしいと思うのは私だけでしょうか? アメリカ人もフランス人も中国人も笑っているでしょう。
政府に通貨が分かる本当の専門家の登場が待たれる気がします。榊原教授、いかがでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年10月6日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。