クオーター制で女性議員が増えても政治は変わらない

松本 孝行

解散総選挙が行われましたが大体は予想通りの議席配分になり、勢力図も対して変わリませんでした。その一方、アゴラで知りましたが、女性候補者は相変わらず少なかったそうです。女性候補者の少なさをどう解決するかというエントリーでも、女性の候補者が少なかったこと、千葉県では小選挙区で勝った女性議員はゼロということを知りました。

女性の力を活用すると言っている割には、結局政治の舞台に女性は出てきてほしくないというのが本音なのかと思わざるをえないわけですが、もし日本に女性の政治家が今より増えたらどうなるでしょうか?クオーター制も議論されていますし、クオーター制が導入されて国会議員の3割が女性になったらどうなるでしょうか?

おそらく女性が増えても政治は大して何も変わらないでしょう。


企業ではダイバーシティという言葉がまるで女性の社会進出の合言葉のようになっていますが、実際は女性も含め外国人やマイノリティの人達の力を活用すること、それによって多様な考え方や意見を取り入れていこうというのがダイバーシティです。その結果、企業収益が上がると言われています。(企業収益が上がるからマイノリティの人たちを活用しよう!というのもおかしいんですけれども。)

企業収益の改善には女性の社会進出も役立つ可能性はあると私も思います。しかし政治の世界に女性が進出したとしても、おそらく何も変わりません。変われないといったほうがいいでしょうか。その証拠は地方議会にあります。意外に地方議員の中に女性は少なくないですし、市長には女性の方もおられます。私の地元の隣町である尼崎も女性市長ですが、じゃあ尼崎が劇的に変わったか?というと大して何も変わっていません。

例えば変わらなかった例として、尼崎市長が退職金を削減することを公約に掲げていました。そして実際に条約案を出したわけですが、議会で否決されてしまったのです。これは一例ですが、国会議員でも女性議員が多くなったマドンナ旋風というものがありました。あの頃、大きく政治は変わったでしょうか?確かに社会党が躍進はしましたが、今の社民党を見れば一時的なブームだったと言わざるを得ません。

会社のルールもワンマンオーナー社長であれば勝手に変えられますが、大企業になればなるほどそのルールは確固たるものになり動かなくなります。政治は大企業以上に動きにくいものであり、簡単に変えられるようなものではありません。過去の歴史が長い文、しがらみも多いし利害関係者も多いのです。そうなるとたとえ女性が進出舌としても大きく変わることはないでしょう。

最近ではクオーター制も議論されていますが、仮に女性議員の割合が25%を超えたとしても、日本の政治が大きく変わることはないでしょう。そもそもクオーター制に私は条件付きで反対です。クオーター制を導入するということは女性はマラソン大会にヘリコプターでゴールへ向かえるようなものです。男性は走っているのに女性だけ特別にヘリに乗せてゴールさせるという制度で女性が増えたとしても、質が向上しないし女性の能力形成に逆効果です。

もしクオーター制を導入するのであれば、女性がキャリアを積み重ねることが出来る道を作ることが重要でしょう。最初は25%を達成するために女性が下駄を履かされてもいいでしょう。しかしそれは最初だけで徐々に下駄を短くしていかなければ、女性にとっても日本にとっても不幸です。女性がしっかりキャリアを積み重ねて実力と経験をつけることが出来るような道ができて、初めてクオーター制は意味があるのです。結果ではなく過程(プロセス)が重要になります。

アゴラで並木さんは女性候補者が少ないということを嘆いていますが、たとえ女性候補者が増えたとしても政治は変わりません。それでも私は女性の国会議員数が少ないことや候補者が少ないこと、ガラスの天井で出世できないことなどは大問題だと思っています。これは単に平等・公平ということ、そして恥ずかしいという思いからです。「日本では女性が政治でも会社でも差別されています」というのは恥ずかしいことではないでしょうか?多くの人がそう思わないから変わらないのかもしれません。

政治に女性が進出しても、仮に女性の数のほうが多くなったとしても日本の政治はすぐには変われないでしょう。それでも平等・公平の観点から見れば女性が社会進出できる仕組みづくりは必須ではないでしょうか。このままの状態を恥ずかしいと思う政治家、そして有権者が増えればどんどん女性政治家が増えていくのではないでしょうか。

*Twitterでクオータというのはクオーター(4分の1)ではないと指摘を受けました、ありがとうございます。こちらに説明ページをリンクしておきます。