著者は名著『失敗の本質』の共著者の一人だが、日本軍の最大の失敗は日米戦争を始めたことだ。その後はいかにうまく戦っても勝てなかったが、その戦い方も最悪だった。米軍の死者10万人に対して、日本軍は230万人。せめてもう少し合理的な戦いはできなかったのか。
こういう愚かな戦争になった根本原因は、日米戦争が戦争計画なしに始まったことにある。日本軍の南部仏印進駐に対して1941年8月にアメリカが石油を禁輸し、9月に「陸海軍作戦計画」ができた。しかし戦争の全体計画は「腹案」のまま、12月1日の御前会議で開戦が決定され、戦争計画の根拠となる「世界情勢判断」が出されたのは開戦後の翌年3月だった。
クラウゼヴィッツ以来、政府が世界情勢を判断して戦争計画を立て、それに従って軍が戦略を立て、個別の作戦は戦略にもとづいて決めるのが鉄則だが、日本軍は(戦略なしに)作戦を決めてから戦争計画を考え、それを正当化する情勢判断を出す、という逆の順序で戦争を始めたのだ。
このように全体の戦争計画がなく、陸軍と海軍がバラバラに作戦を進めたため、緒戦では勝利を収めたものの、1942年6月のミッドウェー海戦の大敗後は一方的な敗退を続けた。このとき海軍はオーストラリアまで戦線を拡大することを主張したが、陸軍は兵力を引き上げて日中戦争に投入するつもりだったので、両者を足して2で割ってマリアナ諸島(グアム・サイパン)を防衛線とする「絶対国防圏」が決まった。
このとき海軍はミッドウェーで10隻のうち4隻の主力空母を失ったため作戦を延期したが、連合艦隊は予定通りガダルカナル島の基地建設を決行した。これは圧倒的に優勢な米軍にすぐ占領されたので、それを奪還するために日本軍兵士3万1000人が投入されたが、2万人が死亡し、そのうち1万5000人は餓死だった。
このように太平洋戦線は全滅だったが、大陸ではそれなりの戦果をあげ、陸軍は中国を北から南に縦断する「大陸打通作戦」で蒋介石の国民党政権に大打撃を与えた。このため内戦に連敗して延安まで撤退していた中国共産党は反攻に打って出た。ソ連の援助を受けた毛沢東の八路軍は各地を占領して解放区を広げ、国民党を台湾に追放したのだ。
1964年に社会党の訪中団が毛沢東に侵略を謝罪したとき、毛が「申し訳なく思うことはない。日本の軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。日本軍が国民党を壊滅させなければ、共産党は政権を取ることができなかった」と言ったのは有名な話だ。第2次大戦の最大の勝者は、中国共産党だった。これが日本軍のおかした最大の失敗だろう。