そこはやっぱりセイロンでしょ。

中村 伊知哉

子どものころ近所にセイロンという薄暗い喫茶店があった。
たまに親に連れて行かれコーラなど頼む。
何か祝い事でもあるとメシを喰う。
オムライスである。
焼き飯をケチャップでこねて卵で巻く贅沢。
大人になればこういうものが喰える、と思った。
ほどなくしてセイロンはスリランカという国名に変わった。
スリランカという名を呼びつけぬまま、セイロン茶をたしなむ歳になった。
でも男の子が世界一カワイイなど断片的なモザイクのイメージしか抱いていなかった。
そうだ セイロン、行こう。
プアーン、パパン。
バリバリバリバリバリ。
安っぽいクラクションと軽いエンジン音。
小さなカラスたち。
腰をしゃなり振って歩くやせっぽちの猫。
年末ながら35度あるぞ。
耳元で叫ぶ物売り。
強い日差しと、濃い日陰。
死んだように横たわる犬。
アジアの純真。
どの公衆テレビもクリケットである。
スリランカ対インド戦。
暴動が起きはしまいか。
コルカタにインド版「巨人の星」、野球をクリケットにしたやつを見に行ったのが5年前の正月だ。
インドとスリランカ、仲良くケンカしな。
誰もオムライスなど喰っておらぬぞ、セイロン。
日に3食はカレーを喰うという。
宿の朝飯はチキン魚マトン野菜カニ芋の6種類。
どれも日本では激辛マークがつく。
普通のツアー客には無理ですな。
濃厚にして絶品。
巻いた細いビーフン、インディ・アーッパに浸していただきます。
うん、一生、朝はこれでええ。
いやスリランカは魚介だという。
インド洋のマグロを陸揚げしてまんま握るという。
このあたりでしか喰えんらしい。
魚市場では「カツーオ」「カンパーチ」と呼び声がかかる。
日本の商人が来ているのだな。
繁華街では年配は「コニチワ」と声をかけるが若い衆は「ニーハオ」と寄ってくる。
カワイイ男の子を観察しようと思えど視界に入るのは痩せさらばえたいかついおっさんばかりだ。
男がかいがいしく働いている。
包丁をとぐ。
肉をさばく。
果物を並べる。
重荷を背負う。
女ばかり働いて男がみんなボケ~っとしていたバリやモロッコとちょっと違う。
男子のスカート率が高い。
スカート(袴)者として心強い。
こちらのは色鮮やかで主張が強く元気がわく。
ロングもいればミニもいる。
腰ばかりジロジロ見ていると、メッチャ鋭く睨み返してくる。
スリーウィーラーと呼ばれるトゥクトゥクのタクシーには3種類ある。
1.メーターあり。
2.メーターなしぼったくり。
3.メーターありでも使わないぼったくり。
ぼったくりに気づいて飛び降りるスリリングなアトラクション。
イスタンブールやバンコクでは、メーター使ってのぼったくりに遭ったが、ここではあいにく出会わなかった。
サスペンションという言葉はないのか。
トゥクトゥクも汽車も、乗るものみんな上下左右にびよんびよん跳ねるアトラクションである。
クラクションが泣き叫び、信号のない道を、かきわけて歩くのもまたアトラクションである。
ドッジボールはこういう場を生き抜く術を養う運動だったことを思い出した。
ポルトガル領マカオ、オランダ領バリ、イギリス領コルカタ。
いずれにも似ていてどことも違う。
ヒマラヤではあるが、中国・インドに囲まれ、イギリスの影響下にあり、仏教・ヒンズー教が共存するカトマンズに風情が近い。
征服されてきた島では、キプロスやマルタ。
非主流民族の集まりでは昆明。
ぼくが旅した先ともあれこれ重なる。
というか、そういう地ばかりに足が向くのですが。
そのあたりのぼくの旅日記、参考まで。
ハノイ
カトマンズ
昆明
コルカタ
バリ
シンガポール
マルタ
キプロス
ドバイ
バンコク
マカオ
メキシコシティ
キューバ
ポルトガル150年、オランダ150年、イギリス150年。
ちょうど同じぐらい占領されていた。
と見せかけて実は150年ずつ連中に投資させ、枯れたら旦那を取り替えた。
コーヒー畑が紅茶畑になり、クルマが左を走るのは、最後に占領した国の特権か。
緑は市内で赤は市外。
ポストの赤も英国風。
小乗仏教のシンハラ族が7割、印南ヒンズーのタミル族が2割。
ムスリムもカトリックも混じる。
内戦が終わったのが2009年、どうにか共存している。
シンハラがブッダを頂点にさまざまな神を認めているからだろうな。
大学の看板も文字が3種類並んでおる。
古都キャンディにある仏歯寺にはブッダの歯が祀られている。
ポルトガル占領時、奪われ粉砕されようというところ、支配者を欺いて守った歯だという。
コロンボの遷都にも歯は移さなかった。
京都から江戸に遷都したとき移さなかったもんてあるかな。
レレレのスカートおじさんがいるこのコロンボの寺にはブッダの髪が祀られているという。
どこ?
と聞くとおじさんが無造作にココだよと教えてくれた。
ガラスケースの中に毛のようなものがあった。
周りの誰に聞いても本物と言い張った。
1985年、コロンボから移転した首都、
スリジャヤワルダナプラコッテ。
未だ覚えようと思わない。
とはいえ移ったのはこの国会だけで、役所も裁判所もコロンボに残った。
官僚は移るのイヤだったのね。
トロピカル・モダニズムの第一人者、ジェフリー・バワの建築。
水上の国会、セキュリティ高し。
周りはな~んにもないからデモ放題ですな。
デモ特区にすればよろしい。
にしてもワシントンDCやブラジリアなど人工の首都建設を成功とみて移したのかなぁ。
中国「一帯一路」の海上ルートに当たる。
この地に中国は1600億円を投じ、25万人が暮らす港湾都市を作る。
夜明け前からおびただしい労務者が現場に向かい、突貫工事が続く。
内戦中に中国はスリランカに武器を提供、日本に替わり最大の援助国となった。
英国に次ぐ宗主国となるのか。
インドは巻き返す。
スリランカへの住宅支援を始めるとともに、アメリカとの軍事提携を深め、日本とも接近。
2018年に英仏を抜き世界5位の経済大国となるインドと、2023年には1位となる中国という大国に挟まれた島。
どう生き抜く。
NTTコムがスリランカテレコムの全保有株を売却したのが10年前。
本社前には巨大な電話のオブジェが屹立する。
何を守り、何を作る。
ぐるぐると見回って、思いました。
ぼくにはやっぱりセイロンと呼ぶのがしっくりくる。

編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2018年7月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。