欧州を制覇した「ジャガイモの話」

長谷川 良

欧州連合(EU)首脳会談が先日、ブリュッセルで開催されたが、その最大のテーマは難民・移民問題だった。北アフリカ・中東から押し寄せてくる難民・移民にどのように対応するかで加盟28カ国で意見が分かれている。“EUの顔”ドイツのメルケル首相は「難民・移民への対応は欧州の存続をかけた問題だ」と述べているほどだ。

▲世界の食糧を支える「ジャガイモ」(2018年7月1日、撮影)

▲世界の食糧を支える「ジャガイモ」(2018年7月1日、撮影)

難民・移民の対応が難しい原因は財政問題ではない。難民・移民の多くがイスラム教、アラブの異文化出身であり、キリスト教社会に住む欧州国民にとって「文明の衝突」といった側面があるからだ。難民・移民がもたらす異なった人生観、価値観、世界観への恐れを欧州国民は完全には払拭できないのだ。

ところが、異国から欧州社会に移り、完全に統合した例がある。「統合」だけではなく、欧州国民を制覇してしまったのだ。オスマン・トルコの欧州の制覇について話しているのではない。「ジャガイモの話」だ。南米から異国の欧州に移り、欧州社会の偏見などと戦った後、社会に完全に統合し、欧州人の食生活を支えている「ジャガイモの話」をする。

オーストリア日刊紙スタンダード(電子版、6月24日付)は、リンツ芸術大学の国際文化学研究所のヨハナ・リヒター氏(Johanna Richter)が研究所主催の会議「食事と移動」(Essen und Migration)で語った内容を紹介している。

テーマは、南米出身のジャガイモが如何に欧州を制覇していったかだ。それによると、欧州に運ばれたジャガイモは当初、みすぼらしい塊茎で有毒で苦く、何の役にも立たないと受け取られた。そのジャガイモはそもそも作物として栽培されるまでには数千年の年月がかかっている。ジャガイモは今日、世界中で人間の重要な基本的食糧の一つとなっている。ジャガイモは多くの国の民族的意識にまで深く入り込み、ジャガイモのない台所は今日考えられなくなった。以下、スタンダード紙のカリン・クリヒマイヤー記者(Karin Krichmayr)がリヒター氏の講演内容をまとめた記事の概要を紹介する。

ジャガイモの歴史を研究したリヒター氏は、「ジャガイモが多くの国民の民族的アイデンティティのシンボルとなったことに興味がある」という。ドイツ・アルゼンチン系の血を引くリヒター氏は欧州と南米両大陸で民族食のジャガイモを体験してきた。

ジャガイモの原産は南米のアンデス山脈にある。原住民はジャガイモをPapa Knolleと呼んでいた。ジャガイモは高地で約8000年栽培されてきた。西暦1530年代になると、スペインはインカ帝国を侵略占領し、同時に、厳しい条件下でも成長するジャガイモに目を付け、さまざまなルートを経て欧州に運んだ。ジャガイモが最初に定着したところは大西洋カナリア群島だ。そして1560年、グラン・カナリア島産の新鮮なジャガイモがアントワープに向かって初めて船で運び込まれた。

ジャガイモが作物として欧州の台所に定着するまでには、その後200年余りの年月が必要だった。なぜならば、欧州人の目には異なった植物と映り、ジャガイモに対する偏見が大きかったからだ。ナス科のジャガイモには有毒性アルカロイドソラニン(Alkaloid Solanin)が含まれている。17世紀初めにはジャガイモがライ病をもたらすと疑われたほどだ。ロシアの農夫たちはジャガイモを「悪魔のリンゴ」と呼んでいた、といった具合だ。

にもかかわらず、ハプスブルク王朝の女帝マリア・テレジア(1717~80年)は農夫たちにジャガイモの生産を義務付け、プロイセン王のフリードリヒ2世(1712~86年)は“ジャガイモ政令”を発した。

ドイツでは当時、ジャガイモ栽培に対し強い抵抗があった。ジャガイモのイメージが悪かった。欧州では黒いベラドンナやマンダラゲのような有毒性植物と同類と見なされ、アフロジナ(ギリシャ神話で愛と美の女神)的な魔法の影響があるといわれてきた。ジャガイモが土の中で成長することから、「ジャガイモは悪魔との関連がある」といった偏見が強かったからだ。マリア・テレジア女帝やフリードリヒ2世は食糧危機を乗り越えるためにジャガイモへの偏見を打破するよう強制栽培を命じたわけだ。

1765年、英国はカトリック主義に対抗し、その政治スローガンは「ノー・ジャガイモ、ノー・カトリック教」(No potatoes, no popery)だった。このスローガンからジャガイモが欧州で既に定着していたことが分かる。カトリック国アイルランドでは1600年以来、ジャガイモは大量に栽培されている。英国人は当時、アイルランド人を「ジャガイモ大食漢」と呼び、蔑視していた。

ジャガイモは戦争や困窮時の欧州人の基本的食糧として受け入れられ、同化していった。最初はエキゾチックな作物から軍用食、最後には全ての社会層の人々の食卓のお皿に乗るようになったわけだ。

民族国家が形成された19世紀に入り、ジャガイモは大きく拡大し、多くの国の民族食となっていった。今日、ジャガイモは130カ国で栽培されている。ジャガイモはどのような気候にも適応して成長し、栄養素に満ちている。増加する世界の人口対策を考えると、ジャガイモには輝かしい未来が待っているといえる。

当方は欧州に殺到する北アフリカ・中東出身の難民・移民をジャガイモと比較するつもりは毛頭ない。ただ、異なる文化圏でさまざまな偏見と闘いながら統合し、同化し、最後には欧州人の胃袋を占領した「ジャガイモの話」は、異国に住む当方にとってもやはり心が揺り動かされるサクセス・ストーリーだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年7月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。