8月15日が近づくと、また「自虐史観」と「歴史修正主義」の不毛な論争が繰り返されるが、ほとんどは本書のいう「プロパガンダ」である。それは朝日新聞の慰安婦報道に典型的にみられるように、まず「日本はアジアに永遠に謝罪し続けなければならない」という結論を決めて、それに合致する話だけを拾い上げたものだ。
本書はその例を6つあげているが、特に興味深いのは2010年に公開されたアメリカの真珠湾攻撃に関する機密文書だ。ローズヴェルト大統領は、真珠湾攻撃を「卑怯な奇襲」と宣伝して米国民の戦意を高めたが、「彼は攻撃を知っており、日本海軍は罠にはまった」という陰謀説もいまだに多い。
結論からいうと、これはプロパガンダだが罠ではない。ハル・ノートが日本に開戦させるための挑発だったことは事実で、これは日本と交戦することによってドイツに対米宣戦布告させ、大西洋戦線でイギリスを救うことが目的だった(これも機密文書で証明された)。
この意味で、大筋ではローズヴェルトの筋書きに乗せられたことはまちがいない。米軍は日本の出方をほぼ正確に予測し、陸軍長官スティムソンは「日本は[1941年]12月1日に攻撃してくるだろう」と大統領に報告した。攻撃対象は南方と想定し、マニラのアジア艦隊に「戦争警報」を送っている。
しかし彼らは、まさか日本海軍がアメリカ領土のど真ん中の真珠湾を攻撃してくるとは予想していなかった。この意味で真珠湾攻撃は、アメリカにとって意外な奇襲だったのだ。
他の章には新しく発見された事実はないが、印象的なのは第2章に書かれたヤルタ会談のひどい内情だ。このとき(1945年2月)にはローズヴェルトは死の2ヶ月前で、正常な判断力を失っており、ソ連に南樺太と千島列島を与える密約をしてしまった。これを彼の死後、副大統領から昇格したトルーマンが見直そうとしたが、ソ連との交渉に失敗した。
ソ連は北海道の領有も求めてきたため、アメリカは危機に陥ったが、8月に原爆が完成するという情報がトルーマンに入ったので、彼はソ連の要求を拒否してポツダム宣言を出し、ヤルタ会談の密約を破棄した。これは連合国間の協定違反だが、結果的にはこれによってソ連の進出を防いだ。
このとき原爆を投下するかどうかが重要な判断だったが、戦略的には、すでに敗戦が必至の日本に無差別爆撃を行なう必要はなかった。アメリカ政府の中でも「日本は天皇の地位さえ守れば降伏するので原爆投下は不要だ」との意見が大勢だった。
しかしソ連の影響力の増大を恐れたトルーマンとスティムソンは、ソ連が参戦する前に原爆で戦争を終結しようと考えた。結果的には原爆投下によって降伏は早まり、北海道の分割は避けられた。この意味で北海道の人々は、広島・長崎の尊い犠牲によって救われたともいえる。
他の章も、よくある陰謀史観のような憶測ではなく、すべて一次史料にもとづいて書かれているので信頼性は高い。著者の結論は「日本の戦争が愚劣だったことは明らかだが、アメリカも正義の味方だったわけではない」。もう戦後70年を区切りに、戦争にモラルを持ち込むのはやめよう。