東京オリンピックのエンブレム問題について、ふっと、日本のさまざまな企業や公共機関のデザイン開発のプロデュースをされてきた中西元男さんがどんなご意見をお持ちだろうかと思いました。昨今は外資系のブランディング会社や、広告代理店が企業や組織、またサービスなどのシンボル・マークをデザインすることも増えましたが、かつて日本のCIといえば中西元男さん率いるPAOS抜きには語れなかったのです。さっそくブログを訪問すると見解を書かれていました。
中西元男公式ブログ | 中西元男 実験人生: 2020東京オリンピックと「日本デザイン界の大きな時代遅れ」
PAOSは、シンボルのデザインを行うのではなく、デザイン開発、またデザインの展開をサポートし、デザインを体系化し、戦略化していく指揮者のような役割を果たすユニークな存在でした。手がけられたものは、きっとみなさまもご存知のプロジェクトがずらりと並んでいます。
PAOSの実績と仕事事例|PAOS|CI、VI、デザイン、コーポレートブランド、イメージマーケティング戦略、企業理念
PAOSの中西元男さんには、ずいぶん啓発され、またいろいろご指導もいただき、多くを学ばせていただきました。
今回の選考で欠けていたのは中西元男さんのような全体を統合する役割をはたす専門家で、開発のマネジメントです。
選考委員のメンバーの方が、いかに権威のあるデザイナーだとしても、オーケストラでいえばひとつの楽器の奏者ような方々です。その奏者としてのアーティストの人たちが、ここのところの音色がいいでしょ、あなたもそう思うよねと暴走してしまいました。ほんとうに必要なのは、どんな壮大なドラマを観客に感じてもらうかを組み立てる指揮者のような人なのです。
だから、2020年の東京オリンピック、パラリンピックが、どのような理念をもち、そのためにはどのようなことを伝えるデザインであるべきかのガイドラインもないままに選考が進んでしまったのでしょう。それは新国立競技場のコンペにも共通しているように感じるのです。
デザインの「職人」も必要だし、「職人」の技が重要なのですが、今回のプロジェクトには「職人」しかいなかったこと、「棟梁」がおらず、「職人」の仲間内で決めてしまったことが混乱を招いたのだと思います。
中西さんもブログでこうご指摘です。
私が問題にしたいのは、今回の東京オリンピックに関わるデザインに関して、計画的・戦略的・長期的コンセプトが存在していなかったこと、そしてわが国がそれほどデザイン後進国であったということです。
ふつう、企業のCIのプロデュースを任されると、何十年もの先の歴史に耐えるものを開発しなければならないのです。そういった仕事の経験から感じるのは、なんとデザイン界も軽くなってしまったのかで、ほんとうに驚いています。
その結果でしょうが、まともにCIデザインとして開発された企業ロゴタイプと並ぶと今回のエンブレムがいかにも訴求力、存在感のないデザインなのかがわかると中西さんもご指摘です。
今回決定した東京オリンピックのエンブレムデザインが次第に使われ始め、街中でもお目に掛かりますが、その使用状況で見る限りでは、協賛企業のロゴの方が 主役に見え、肝心のエンブレムが脇役か背景(サブシステム)に見えてしまい、主客転倒のデザインのように私には思えます。
ようやく日本もデザイン先進国の仲間にはいり、デザインを武器にする国になろうとしてきたにもかかわらず、残念ながら今回のように、日本、また東京をアピールできる最大のチャンスのシンボル・デザイン開発で、仲間内のお手盛り、理念も、全体の戦略も感じないレベルを露呈してしまったデザイン界の貧困は、ほんとうに残念なことです。
その意味でも組織委の責任は重く、責任をとって退場すべき人がいると感じます。
今回の騒動を占めくくりとして中西さんの言葉を引用すればこういうことになります。
今般のオリンピックとデザインの関わりにおける根源的な問題は、最も重要な「デザインのトータルパワー」というポイントを理解している人物が、デザインに関わる内外関係者に存在しなかった、ということに尽きるでしょう。
まさに「今しか考えない日本人」「見事な部分職人としての日本人」の露呈としか思えません。
2020年東京オリンピックは、デザイン思考やシステム思考においては、50年前の東京オリンピックよりむしろ遅れているのではないでしょうか?
新しいデザインをオープンに公募するようで、それは望ましいことですが、今の組織にデザイン開発をまともにマネジメントし、進めていく能力があるとはとうてい思えません。デザイン開発のプロデュースできる人を中心に立てなければ、また混乱を繰り返すだけになりかねないと危惧します。