先の国会で一番のハイライト
先ごろの第196回通常国会、その終盤で立憲民主党の枝野幸男代表が行った「安倍内閣不信任演説」は、間違いなく今回の通常国会一番のハイライトでありましょう。
その文字起こしが『枝野幸男、魂の3時間大演説 安倍政権が不信任に足る7つの理由』として書籍化されたとのことで、断片でしか演説に関する情報を得ていなかった私はさっそく購入・読了しました。
元になった演説はYoutubeでも公開されていますし、また冒頭のみテキスト公開しているサイトもあります(当初は全文公開だったものが、書籍化に伴い一部公開に変わった模様)。
見逃した方は、ぜひとも視聴をお奨めします。
「保守の定義」をリセットした
演説の中で一番の注目を集めたポイントを挙げるならば、「私こそが保守本流」という一言でありましょう。
与野党を問わず「民主」を党名に掲げたことで、もはや民主主義は特定政党の旗じるしではなくなった。同様に、保守やリベラルという言葉も峻別のキーワードではなくなったことを実感します。
更には、どこの誰が保守本流なのかという事自体が、もはや政党あるいは所属政治家を判断する材料とは言い難い。
私が解釈する限りでは、保守であるか否かというのは急進か、それとも漸進かという変化のスピードであり、その意味するものが護国あるいは亡国に直結するとは限らない。必ずしも方向性の相違を示すものではありません。
政敵を区分けするための標識としての意味合いが薄れていることを、改めて感じました。
ある意味、枝野代表の演説は現在のわが国における「保守の定義」をリセットしたと言えましょう。
「7つの大罪」を意識した?
今回の不信任説明演説では、その理由を7つに絞って述べられています。
キリスト教でよく言われる7つの大罪(あるいは罪源)を意識されたのだろうか。ふとそのような事を思い浮かべました。
アニメでも同様のタイトルが有りますし、また大ヒット漫画「鋼の錬金術師」でも敵キャラクターのモチーフとして取り上げられています。
「高慢」「物欲(貪欲)」「嫉妬」「憤怒」「色欲」(肉欲)」「貪食」、そして「怠惰」。
それぞれの解説は割愛しますが、たとえばひとつだけ例を挙げると、いわゆるカジノ法案などは「貪欲」に置き換えられないこともない。
その辺は本稿をお読みいただいた一人ひとりが考えれば良いと思いますが、もしも草案段階で意識されたとしたら、この7つという数字自体がとてつもないメタファー(暗喩)になります。
憲政史に名を残す、名演説との比較はどうか
いくつかの書評では斎藤隆夫の「反軍演説」と比較する意見もちらほら見かけますが、私は少し違う目で見ています。
斎藤よりはむしろ、田中正造の「亡国を知らざれば、これすなわち亡国」と山県有朋内閣に放った「亡国演説」に近い。斎藤隆夫の演説は、単なる軍政批判に陥ることなく、足元を掬われることのないよう周到な予防線や推敲が重ねられていました。
それゆえ、攻撃された側の畑俊六・陸軍大臣をして「なかなか上手いことを言う」と言わしめ、国民からも激励や感謝の手紙が舞い込みました。
今回の演説は、これも枝野代表の持ち味であると言えるのですが、私には政府与党に対する闘志が良くも悪くも剥き出しに見えました。思わず唸る表現もあれば、「みそとくそを一緒にしないで頂きたい」など、顔をしかめたく場面もありました。これが政敵のみならずその支持層にどう映るのかは、あらかじめ一考されても良かったかも知れません。
さすれば会議に出席されたすべての議員の方々、さらには背後に控えている有権者にも一層響いたことでしょう。
議場における戦いは議員だけでなく、有権者も観ています。「政権打倒への前のめり」ばかりでは反対派は忌避するし、ましてや態度を決めかねる無党派層は与野党ともに嫌気がさしてしまう。
一部の書評では格調の高さを称揚する声も見受けられましたが、その点が残念といえば残念です。
逆にその点が守られていたならば、斎藤隆夫よりもむしろ、同じく原稿なしで演壇に臨み、時の内閣に一大痛棒を食らわした尾崎行雄の「桂内閣弾劾演説」に比肩したかも知れません。
それだけの可能性を秘めた演説であったことを、私は憲政史を学ぶ一人として認めざるを得ないのです。
是々非々、それぞれの視点で見えてくるもの
務めて中立な視点で枝野代表の演説を読み込んだつもりではありますが、政府あるいは枝野代表いずれかへの支持を期待された読者の方には、どっちつかずという想いを抱かれたかも知れません。
手放しの称揚も出来ないし、かといって断じて唾棄するべきものでもない。どちらか一方の視点だけでは語りきれない多くものを抱えているというのが、私の偽らざる感想です。
特にそうした思いを揺さぶられたのは、書籍中93ページ目の以下の部分でした。
国民の皆さんが、表に見える国会の審議だけで、野党が審議に応じられない場面についてご批判されるのはわかります。
しかし、国会の中に籍を置いているもの同士であるならば、自分たちに都合の悪い法案は、いくら日程がすかすかであっても審議に応じないことをしておきながら、国会運営に抗議をして出席できない状況を、サボっているだなんてデマを吐くようなことはやめていただきたいと思います。
この点に関しては、私は同意することができません。
どんな理由があるにせよ、野党は議場から離れるべきではなかったと私は思います。正々堂々と異を唱えられたらよかった。
その一方で、素直に注目すべき点もあります。
先の通常国会で審議未了となった法案は、ほぼ全てが野党による提出法案であったという事実です。
その詳細は、尾崎財団のホームページでも公開してありますが、演説書籍の読了後に改めて数えたところ、未了のままで終わった法案は27件。そのほとんどは野党からのものでした。
こうした情報は、マスメディアが報じる情報を安易に鵜呑みにするだけでは到達できません。みずから可能なかぎり一次情報にアクセスし、分析を加えたり推論を重ねたりすることではじめて見えてきます。
時間が足りなかったのか、それとも中身の問題だったのか。なぜこのような結果になったのか、与野党双方の見解をぜひとも伺いたい。
誰が正しいかではなく、何が正しいか。そういう観点で捉えると、果たして与党の対応は適切であっただろうか。誠実であっただろうか。
その点は疑問です。
議案を提出された野党の方々も、その後の過程を有権者に伝える努力をして来られたでしょうか。
たとえば演説の中でも取り上げられた「生活保護法等の一部を改正する法律案」を提出された池田真紀議員は、筆頭者ながらも自身のサイトやSNSでの発信は提出段階で止まり、その後は行事の参加や来賓出席などに留まっておられた。
真に弱者救済に取り組んでおられるならば、責任を持って最後まで見届けていただきたい。今後の期待を込めて、名前を挙げておきます。
また有権者である私自身も、是々非々の姿勢を保ちつづけてきただろうか。
俯瞰するには至ってないなあ、まだまだ視野が狭いなあ。
今回の演説書籍は、そうした内省を改めて考えさせてくれるものでした。
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高橋 大輔 一般財団法人尾崎行雄記念財団研究員。
政治の中心地・永田町1丁目1番地1号でわが国の政治の行方を憂いつつ、「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄はじめ憲政史で光り輝く議会人の再評価に明け暮れている。共編著に『人生の本舞台』(世論時報社)、尾崎財団発行『世界と議会』への寄稿多数。尾崎行雄記念財団公式サイト