2009年1月1日に創刊したアゴラ。10年の歴史を振り返ると、社会を動かした投稿、「過去にはこんな人も投稿していた」など、注目すべきアーカイブ原稿が見受けられます。10周年企画として、編集部で注目した過去記事を随時ピックアップしていきます。
復刻版2回目は、アゴラ1年目の秋にあの佐々木俊尚さんから寄稿いただいていた記事を改めてご紹介します。「昭和の殻」を破りきれず、ITの波に乗り遅れ、のちのGAFAなどアメリカの新興勢力との競争になぜ破れたのか。10年前のレポート記事ですが、佐々木さんが平成日本「敗戦」の本質をあぶり出します。なお冒頭にはのちに国会議員になる山田太郎さんも登場します。(アゴラ編集長 新田哲史)
日本ITの国際競争力 2009年11月19日
表の技術力、裏の技術力という言葉がある。この言葉を知ったのは、製造業コンサルティングのネクステック前社長だった山田太郎氏に取材した時のことだ。もう4年以上も前の話になる。
山田氏は取材の時、こう言った。日本の製造業が自慢してきた技術力というのは実のところ「裏の技術力」でしかなく、消費者を惹きつけるような「表の技術力」には非常に乏しい。たとえば、と彼は私が使っていたICレコーダーを手にとって説明した。
「スピーカーの穴がきれいに操作盤のまわりに沿って複雑なアールをつけられてますよね。でもICレコーダーという実用品でそこまでの造形が必要か。これが海外メーカーだったら、スピーカーの穴なんてシンプルな長方形に形成するだけです。必要なのはこういう『裏の技術』じゃなくて、もっと別の『表の技術』だと海外メーカーはわかっているから」
では「表の技術」とは何か。それはすなわち、ネットワークであると山田氏は説明した。たとえば携帯音楽プレーヤーを例にとって考えてみると、おそらくアップルのiPodの初期製品とソニーの同じ時期のウォークマンを比較すれば、ウォークマンの方が圧倒的に細部の作り込みは巧みにできていた。iPodにはケースのかみ合わせがずれていたり、バリがとれていなかったりするような製品が平気で混じっていたが、ウォークマンにはそんな不良品はいっさいない。
しかしiPodにはウォークマンにはない魅力があった。それがネットワークだ。音楽配信サービスのiTunes Storeと楽曲管理アプリケーションのiTunes、それに機器のiPodがシームレスにネットワーク化されることによって、どこでも自由に音楽が聴けるという環境を作り上げていたということだ。
製品そのものの細部の作り込みや頑丈性などでは、ウォークマンに軍配が上がっていただろう。iPodはものづくりとしてはたいした技術は使われておらず、各国で生産された汎用部品の寄せ集めでしかない。しかしそうした「作り込み」には、もう人々は魅力を感じなくなってしまったのだ。
逆に言えば、もう売れないだろうと思われていたステレオコンポやラジカセのような製品でも、ネットワークの中でバリューだと感じられるようなスペックを持っていれば、売れる可能性が出てくるような時代になったということなのである。
このネットワーク化は、ITのあらゆる分野で進んでいる。いや、ITだけでなく産業界のあらゆる分野で進んでいるといっても過言ではない。そしてこのようなネットワーク化時代においては、単一の製品を提供する企業ではなく、ネットワーク全体を運営・維持できる企業が支配的な地位を握る。つまりはプロダクトメーカーではなく、プラットフォーマーこそが支配者となる時代なのだ。
こうしたネットワーク化がグローバル市場で起き始めたのは、1990年代に入ってからだ。ものすごくわかりやすい例を挙げれば、マイクロソフトのWindowsなんかが良い例だ。
しかし、80年代までものづくりや企業向けのビジネスで成功を勝ち取ることができていた日本企業はどこもネットワーク化の流れに乗り遅れ(任天堂など一部の例外を別として)、ネットワーク化の流れが特に激しく進行している消費者向けビジネス分野では決定的に後手に回ってしまった。半導体やメインフレーム、ミニコンなどの時代にはそこそこ世界市場に打って出られていた日本のIT大手が完全に空洞化してしまったのには、上記のような構造変化があったのだ。
この間、インターネットバブルの波に乗って消費者向けサービスを展開しようとするインターネットベンチャーは多数現れては来たものの、しかしアメリカのIT大手と互角に戦えるようなプレーヤーはついぞ現れなかった。個人的には、技術力で突出していてなおかつ資金力を持っていた堀江時代のライブドアにはかなりの可能性があったとも考えているが、しかしそれも今となっては死んだ子の年を数えるようなものでしかない。
なぜうまく行かなかったのだろうか。どうして日本からはグーグルやアマゾンやフェースブックやツイッターが出てこなかったのだろうか。この問題にはさまざまな要因が複合的にからんでいてひとことで説明するのは難しいが、いくつかポイントを挙げておくと、次のようなことだ。
(1)アメリカは投資の規模が大きい。社員数十人規模の小さなスタートアップベンチャーにベンチャーキャピタル(VC)が数億規模の投資を行うのは普通に行われており、しかもその投資をホールドする期間も長い。ところが日本ではVCは育ってきたとはいえ、1案件ごとの投資額はせいぜい2~3000万円程度。おまけに「5年以内に上場」みたいな希望条件を付帯させたりするから、ベンチャーの側は目先の売上げにとらわれざるをえない。
(2)人材の不足。最近でこそベンチャーに理系の優秀な若者が流れ込んでくるようになってきているが、ほんの数年前までは理系学生の大半は大企業の中央研究所などに吸い込まれてしまい、ベンチャーにやってくるのは営業系の文系若者ばかりという状況が長く続いていた。結果として90年代の起業組は営業系、広告系のベンチャーばかりといういびつな状況を生み出してしまった。最近はさすがに優秀な技術系の若者が起業するケースも増えてきているが、しかしまだその潮流はあまりにも小さい。
(3)スタートアップベンチャーが活躍できる場所が少ない。メインフレームからミニコン、パソコン、ソフトウェア、クラウドというIT分野の大きな歴史的な流れの中でとらえると、アメリカでは古い市場が衰退するのにあわせてプレーヤー企業も退場させられてきた。古い市場を寡占していた企業は買収されたり合併したりして消えていき、その空隙を新しいスタートアップベンチャーが埋めるというサイクルがある。70年代に設立された小さなベンチャーのマイクロソフトがITの覇者となり、そしていまその座をグーグルややアマゾンなどのクラウド系企業に奪われようとしているのはその好例だ。
しかし日本ではメインフレームの昔からプレーヤーは富士通・NEC・日立製作所といった大手ベンダーがずっと中心的な位置を占め続けてきた。これはもちろん必死の企業努力もあり、そしてまた結果として従業員を路頭に迷わせずにすんだというメリットもあったものの、業界全体の活力を失い、国際競争力も低下させてしまったという副作用があったことは否めない。
では資金力も技術力もある、富士通やNEC、日立製作所などのIT大手がイノベーションを起こすことはできないのか? NTTはどうなんだ?という期待も出てくるかもしれない。しかし日本のIT大手には、先に述べたようなネットワークの発想が決定的に欠如している。いやもちろん、多くの企業幹部たちは「ネットワークこそが大事」ということは気づいてはいるものの、ではどうすれば自分たちが単なるハードメーカーではなくプラットフォーマーになることができるのかという問題にぶつかって、いまやお手上げの状態だ。ノーアイデアなのである。
そもそもテクノロジが急速に進化するこの時代にあって、テクノロジの最先端を理解できていないような経営幹部が古いIT企業にはごろごろ存在している。産業界全体を見渡してみると、大企業の経営層にはいまだに自分でメールの読み書きをしてない人が多い。つまり秘書がメールのやりとりを外部と行って、プリントアウトをボスにうやうやしく渡すのだ。IT業界大手ではさすがにそんなことはないが、しかしハードウェアベンダーの経営者だと「ハードのことは知っているが、ネットのアプリケーションやサービスについてはからきし」という人が少なくない。
NTTドコモを退職して今はドワンゴやGREEの役員などを務めている夏野剛氏は、前にこう話していたことがある。
「ドコモの役員たちはだれひとりとして自分たちが若者向けに提供しているiモードのアプリケーションを使いこなしてなんかいない。そういう人たちが役員会で『このサービスをいつ投入するか』といった決定をしているんだから、うまくいくわけがない」
そういえばまだ政権交代する前、自民党のe-Japan推進特命委員会に招かれ、党本部で国会議員約20人を前にクラウドについて話したことがある。その会合の冒頭、主催者の議員氏のあいさつの出だしはこうだった。「わが委員会は党の中では『オタク委員会』と言われておりますが……」
いまだにインターネットを使いこなす人は「オタク」扱いされているのがこの日本社会の現状なのだ。先行きはあいかわらず暗い。