前回述べたように、小池百合子知事は就任すると、都政の「遠慮の構造」を見抜いた。そして、少なくても4つのことに着手した。
一つは、ご存知の通り、政党復活枠の廃止だ。これにより、予算は知事が専権することを明確にし、議会への遠慮を排して見せた。なお、当たり前のことだが、議会への「遠慮」と「配慮」は違う。小池知事も一方の民意の代弁者である議会への「配慮」は、例えば各会派からの予算要望を受け、歴代の知事以上に予算に反映させていることからも明らかだ。
しかし、この政党復活枠の廃止に対する都議会自民党の反発は今なお強く、私が予算特別委員会でこの点に触れる度に、都議会自民党席から浴びせられる猛烈なヤジが、影響の大きさを印象付けていることは知っておいていただきたい。
小池知事が着手した2つ目の改革は、知事自身がイノベーティブと言える政策を矢継ぎ早に表明することで、職員からの提案を積極的に促した点だ。
それは予算に盛り込まれた新規事業数の違いから見て取れる。舛添知事時代の年間新規事業数が212件であった一方で、小池知事は新規事業数を411件と、実に倍増させた。
勿論、「新しければいい」というものではないが、新宿の都庁舎だけで1万人以上の職員を抱える巨大官庁として、411件が決して無謀な件数とは思えないし、むしろ、遠慮の構造が211件に留まらせていたと考えるほうが妥当ではないだろうか。
さらに、都庁の官房機能として各局横断的に政策を指揮できる政策企画局を機能強化し、政策分野ごとにチームを組み替えさせた。また、庁内の優秀な職員を政策企画局に集め、イノベーティブな政策立案に当たらせたことで、庁内の「遠慮」を排して、「挑戦」にゴーサインを出したのだ。
ある都庁幹部が私のところに来て「いやー、私のような者は小池都政でなければ重用されることはありませんでした」と頭を掻いて笑っていたが、この幹部職員はイノベーティブな政策のアイデアマンで知られる一方、問題視されやすかったのだろう、過去の政権では日陰に置かれていたらしい。
3つ目は、事業の見直しである。
これも都庁マンからすれば、最大の「遠慮」の対象になる。もっとも、事業の見直しというのは、「大胆さ」だけでは済まされない。どの予算にも影響を受ける業界や団体や、あるいは個人がいることを忘れてはならないし、その影響に対する想像力こそ為政者は能力として問われている。
しかしながら、潜在的な遠慮が蔓延していると、見直さないという安全策に陥りがちになるため、ここでも小池知事は財務局と入念な調整の上で大ナタを振るっている。
舛添知事時代に年間325件だった事業の見直し件数が小池都政になって、837件へと激増し、削減額も2500億円を超え、過去に例を見ない規模に達している。その割に、業界団体から大反発を招くような事態を引き起こしていないのは、前述したように慎重な査定の結果だと言える。
最も強い批判は「東京2020大会の施設に暑さ対策が不十分なのは知事が経費を削ったからだ」という都議会自民党の声かもしれない。こうした声には真摯に耳を傾けながらも、私たち都民ファーストの会の議員が、コストパフォーマンスを十分に吟味した上で、代替策を知事に提案し、解決をはかっている。結果、私たち都民ファーストの会は知事の予算案に賛成し、都議会自民党は予算案に反対しているわけだが。
最後に、4つ目。これこそが新しい議会、新しい都政の幕開けと言いたい。
それは、知事と議会の政策競争になってきたことだ。
いや、むしろ知事がそれを促していると言ってもいいかもしれない。
実は、過去の都政になかった予算の仕組みに「都民提案予算」という知事肝入りの制度が加わった。
これは、都民から実現したいテーマと内容を公募で募り、そこに予算をつけて実現しようというものだ。画期的である反面、議会に大いなる緊張を生んだ。議員が積極的に、時代に合った提案を行わなければ、都民からの予算要望が議会のそれを凌駕しかねないからだ。
もっとも、都民提案予算は、予算規模にして10億円に留まるので、今のは少しオーバーな表現になるが、議会も自らの存在意義にかけて、これまで以上に発奮するに至る。
驚くべきことに、石原知事時代には、都民提案はもとより、各種団体からの予算要望を知事が聞く機会は設けられなかったらしい。つまり、議会の各会派だけが予算要望を聞いて、都に提出。知事以下、都庁は公式な知事による各種団体からのヒアリングを経ずに予算編成していたわけだ。予算要望を聞いてまとめるのは議会の専権事項だと言わんばかりの異様な風習が連綿と続いていたわけだから、ここまでくると、もはや議会サイドへの「遠慮」というよりは「遠慮の塊」と言わざるを得ない。
話を戻すと、知事と議員の政策競争の現象は、予算要望に留まらず、条例づくりにも現れている。
「受動喫煙防止条例」をはじめ、異例のスピード感で条例が矢継ぎ早に成立していることは周知のことであるが、知事に遅れを取るまいと、議会側も条例づくりを提案するなど活発になって来たのだ。
一例に過ぎないが、児童虐待死事件をきっかけに成立した「児童虐待防止条例」についても、実は、都民ファーストの会の荒木千陽代表が、本会議場で条例化を求め、知事が条例化を表明したという経緯がある。
よく、こういうエピソードを出すと、「出来レースだろ」とのご意見をいただくのだが、それはハッキリ違うと申し上げておきたい。
本会議場でも荒木代表が触れている通り、私たちは、都民ファーストの会として、事件後、直ちに条例化の可能性を探るため、他県の例をかき集めた。その中で、横浜市議会が議員提案条例で成立させた児童虐待防止条例が総合的に優れていること、行政規模が東京都と類似していることを見つけ、横浜市の例を挙げて条例化を求めたのだ。
何れにしても、こうした条例化を求める声は、他会派にも広がり、今では、会派間の政策競争だけではなく、知事や行政当局との政策競争に発展して来ている。これこそ、遠慮のスパイラルから提案のスパイラルへと変わってきた確かな手応えで、多角的な知事の変革によって、数十年に一度の都政改革が巻き起こっていることは間違いない。
知事選まで1年を切った。
一方の勢力からは「全く成果がない」と言われるかもしれない。しかし、知事と共に、変わりつつある都政をウォッチしている私からすれば、職員の意識にも、議員の意識にも明らかに変化が生じ始めており、その変化が都民に伝わりつつある。
東京オリンピック・パラリンピックを前に、前時代的な都政から、近代的な都政に変わり始めたと直感している。
最後に一言。
改めて、私たち都民ファーストの会の議員は、その誕生の所以を思い返し、歴史的な存在意義を忘れないようにしたい。ワイドショー的な興味、関心から始まったウネリであっても、都政の本質的な問題がなければ、50議席以上の会派が誕生することもなかったはずだ。
ふるい議会を新しく、をスローガンにしてきた私たち。この改革の流れを止めない活動に徹して行きたい。
伊藤 悠(いとうゆう)東京都議会議員(目黒区選出)、都民ファーストの会 政調会長代理
1976年生まれ。早稲田大学卒業後、目黒区議を経て、2005年の都議選で民主党(当時)から出馬し初当選。13年都議選では3選はならずも、17年都議選では都民ファーストの会から立候補し、トップ当選で返り咲いた(3期目)。都民ファーストの会では、政調会長代理を務める。