私をサッカーから野球へ浮気させた男達 〜 郭源治と山本昌 〜

今日の記事は、プロ野球ファンかつ中日ドラゴンズのオールドファンにしか、わからないお話です(笑)私の中でドラゴンズのヒーローを挙げるなら、郭源治さんと山本昌さんです!

郭源治さんは、1988年の優勝当時「踊る守護神」の異名を持つ絶対的なストッパーで、バッターを打ち取った時の踊るようなガッツポーズがむちゃくちゃ格好良かったです。優勝年度の成績は、61試合登板(全130試合)、37セーブ、防御率1.95と大車輪の活躍を見せました!

また、彼の背番号33は、当時の自分のサッカー少年団の背番号と一緒だったのです!自分は野球をやるべき!、と勝手に運命を感じて、中学では野球部に入ります(^ ^)

ゲンジさんは、現役生活の中で先発もリリーフも経験して、日本プロ野球史上6人しか達成していない、100勝100セーブという偉業を成し遂げました!

一方で山本昌さんは、高卒ルーキーで、入団4年間1勝も出来ませんでした。首をかけた5年目の1988年に魔球「スクリューボール」を会得し、8月から5勝と救世主の働きをして、チームの優勝に貢献します。

その後長きに渡り、ドラゴンズのエースとして投げ続け、通算219勝をあげ、2015年に50歳で現役を引退します。50歳で公式戦に出場したのは、日本プロ野球史上において彼だけです。また、ドラゴンズ一筋の同一球団在籍32年も、プロ野球記録です。

マサさんが表舞台に登場した1988年に私は「ドラきち(ドラゴンズき○がい)」となり、マサさんの引退と共にドラゴンズ熱も覚めました。今は試合結果に一喜一憂しなくなりました。(2014年からFC岐阜の社長なので、ドラゴンズの結果を気にする余裕が無かったです(笑))

引退後の2016年に、なんとマサさんがFC岐阜のイベントに来たのです⁉️私はこの時人生初の職権濫用(正確に言うと、この時点で社長退任しているのでスタッフの忖度(笑))によって、マサさんとご対面させていただきました!

冒頭の写真はその時のものです(^ ^)

マサさん、私のこと覚えてないかなぁ?

ゲンジさんにも会いたいなぁ!

恩田 聖敬


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2019年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。