“目から鱗” ローマ教皇の訪日ニュースに思うことあれこれ

23日から日本を訪れていたローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が26日、 4日間の日程を終えて帰国の途についた。キリスト教というより宗教そのものに、日ごろ不祝儀くらいしか縁のない筆者としては、今回のローマ教皇の来日で目から鱗が落ちるニュースがいくつもあった。

安倍首相と要人及び外交団等との集いに臨んだフランシスコ教皇(官邸サイトより)

「教皇」か「法王」か

まずは「教皇」か「法王」かの話。これが納得できないことにはどうも落ち着かない。24日の朝日新聞デジタルで真海喬生氏がこれを懇切に解説している。朝日もこの手の記事はためになる。それによれば、これまで法王してきた日本政府は今回の訪日から教皇に変えたそうだ。

その理由は日本のカトリック教会が教皇と呼んでいるからだそうで、カトリック教会は「教」という字が教皇の「信者を教え導く」役割を表現するのに相応しいという理由から、政府やメディアに教皇を使うように求めてきたとのこと。

では両者に違いがあるのかといえば、「どちらもバチカン市国の公用語であるラテン語で教皇を表すPapaの日本語訳」なので、カトリック関係者の間でも両方が使われてきたが、38年前の81年にヨハネ・パウロ二世が初来日したのを機に、日本カトリック教会として教皇に統一したそうだ。

これまで政府が法王と呼んできた理由も書いてある。それは1942年に日本とバチカンの外交が始まった際、バチカンが大使館設置のために申請した文書で「法王」という言葉を使っていたからで、当時はバチカンでも言葉が整理されていなかったと。なるほど、目から鱗が落ちた。

だが、筆者は「法王」派だ。なぜなら「きょうこう」は響きが良くない。本稿を書いていても「恐慌」や「凶行」など不吉な言葉にまま転換される。一方、「ほうおう」なら「鳳凰」か「訪欧」が精々。語感は大事だ。「信者を教え導く」から「教」というのも気さくなフランシスコ教皇には似合わない。

そもそもローマ教皇とは何ぞや

そういう訳だが煩雑なので本稿も教皇で行くこととし、次は「そもそもローマ教皇とは何ぞや」の話。これは23日のNHK News webがためになった。それによれば、ローマ教皇は「13億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高指導者」で、「キリストの代理人」とも位置づけられる。

ツイッターより

初代教皇はキリストの使徒聖ペテロでフランシスコ教皇は266代目。126代目の今上天皇陛下とのツーショットはまさに「世界の権威相見える」の畏れ多い光景だった。しかもフランシスコ教皇の就任が前任の600年ぶりの生前退位に伴うものだったとは!日本とバチカンの縁を感じる。

どのように選ばれるのかも興味深い。記事には「教皇はバチカンのシスティーナ礼拝堂で行われる“コンクラーベ”といわれる選挙で、100人を超える枢機卿によって選ばれます」とある。が、筆者はたまたまこのおかしな名前を知っていた。

フランシスコ教皇の時だったと思うが、数日かけて何回か投票が繰り返され、その間は枢機卿が外部との接触を禁じられると報じられた。筆者は、これはまさに「根競べ」で、「コンクラーベ」とはよく言ったものだ、などと思ったのを覚えている。

教皇の仕事にも触れている。「ミサなどの宗教的な行事のほかカトリックの布教活動です。またバチカン市国の立法、司法、行政の全権を行使します。ローマ教皇は世界で起きる紛争や災害の犠牲者などにも目を配り、テロへの非難など積極的に発言することで国際世論に強い影響力をもっています」と。

先般の大嘗祭では政教分離が取り沙汰され、憲法との整合が話題になった。他方、ローマ教皇はローマ・カトリックの枠を超えて多くの人々にも影響を与え、教皇ご自身も信徒にだけ向けてお言葉を発しているようには思えない。行事に限るなら、天皇陛下にもこの程度の自由はあっても良かろうに。

『主戦場』で物議をかもす上智大へ

NHK News webは26日にも「ローマ教皇 きょう上智大で訪日最後のスピーチ 帰国へ」という記事を載せ、「フランシスコ教皇は、みずからの出身母体である修道会、イエズス会が設立した上智大学で学生に対し、帰国前、最後のスピーチを行います」と報じた。なるほど、それで上智大学か。

上智大学に関連して、筆者はYouTubeの番組で「主戦場」なる映画を制作した出崎某を訴訟している藤岡信勝氏らが、フランシスコ教皇宛に上智大学を教導するよう求める書簡を出したことを知った。番組では上智大学と教皇の関係がよく判らなかったが、この報道で事情が飲み込めた。

「主戦場」の事件は実に不義不法な話だが、筆者の見立てでは、余り賢いように思われない出崎某はむしろパペットで、その操り役、すなわち主役は指導教授の中野晃一氏の影響に負うところが大きいのではないか。教皇が実際に上智大学を教導するかどうかは判らない。が、出崎や中野が敗訴することを祈ってやまない。

“自由”だった核を巡る発言

「焼き場に立つ少年」NHKニュースより引用

この番組では教皇に関するトピックをもう一つ取り上げていた。これには鱗でなく涙が落ちた。それは「焼き場に立つ少年」のこと。長崎で被爆して死んだ弟を背中に負ぶって、火葬の順番を待つ少年の写真にフランシスコ教皇が目を止め、核廃絶のメッセージを添えて無料で頒布したという話だ。

多くの者も同じだろうが、筆者もこの写真を思い浮かべるだけで“涙滂沱として禁ぜず”。表情といい立ち姿といい、これほど人を感動させずにおかない姿は稀有ではなかろうか。が、だからと言って筆者が日本核武装論者であることに変わりはない。この悲劇を蒙らないための核武装だからだ。

核については、教皇は帰途の機内でも原発に言及したそうだ。27日の朝日新聞デジタルが「ローマ教皇、原発に言及“核エネルギー使うべきでない”」との見出しで報じた。

記事は、「安全が保障されない限り、核エネルギーは使うべきではない」と教皇が述べたとし、訪日中の発言である「将来のエネルギー源について、重大な決断が必要」よりも、さらに強い言葉で原子力エネルギー政策の見直しを全世界に訴えたと、何やら嬉しそうに書いている。

記事は更に、教皇が「個人的な考え」としながらも「原発は数十年おきに事故を起こし、甚大な被害をもたらしている」と指摘し、「核エネルギーには議論があるが、いまだに安全性が保障されておらず、限界がある」と述べて、より強い言葉を使って原子力発電のあり方に踏み込んだとした。

天皇陛下は「個人的な考え」を公には口になさらないが、フランシスコ教皇はかなり“自由”な方のようだ。個人的にどういうお考えをお持ちだろうと自由だ。が、筆者の意見は教皇と違って原発推進だ。他と比べて圧倒的に効率の良い核エネルギーを活用してこそ、人類の末永い繁栄があると考えるからだ。

追伸:38年前のエピソード

最後も実に個人的なエピソードで稿を結ぶ。それは一回り以上の先輩A氏の、ローマ教皇に纏わる貴重な体験談だ。38年前のその日、欧州に出張していたA氏はコペンハーゲンで乗務員ストに遭遇、仕方なくストックホルムまで行って帰国の途についた。

その機に乗り合わせたのが、なんと直に来日予定のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の先遣隊の一人だった。その方はブラッセル大学のポーランド人女性教授で、秘密裏に東京においでになる途次。言葉の不自由がなく物怖じしないA氏が、件の女性教授と長旅の機内で何を話したかは定かでない。

成田に着くと都内のカトリック教会の神父7~8人が教授を出迎え、A氏にお礼の言葉を下さった。名刺を渡した渋谷の教会の神父さんからは、将来ポーランドのカトリックの本山、クラクフに是非来てほしいとの手紙も頂戴したと。なるほどヨハネ・パウロ二世はポーランドのご出身だった。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。