今週水曜日(11月27日)に投稿した【「桜を見る会」問題の本質 ~ 安倍首相説明の「詰み」を盤面解説】で「桜を見る会」問題に関する安倍首相の「説明」の問題点を全体的に解説したのに対して、大きな反響があった。将棋の「盤面」を用いて、解説したことで、公職選挙法、政治資金規正法上の問題点はかなり理解されたように思える。
その翌日の28日、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」の「玉川徹のそもそも総研」でも、「『桜を見る会』前夜祭、安倍総理 法的問題はないのか」が取り上げられ、インタビュー録画で出演した私が「詰んでいる」という表現で、この問題について安倍首相が「説明不能」の状況に陥っていることを指摘した。
そして、11月29日朝、野党の「『桜を見る会』追及本部法務班」のヒアリングに出席し「盤面解説」を用いて、公選法、政治資金規正法との関係で、安倍首相の説明が「詰んでいること」を説明した(ビデオニュース【追及本部が郷原弁護士を招き公開ヒアリング】)
しかし、一つだけ、私の指摘の趣旨が正しく理解されていない点がある。「この問題は検察が動くことはないと思う。完全に政権に飼いならされてきた検察に、問題の違法・犯罪の疑いを取り上げる意思があるとは到底考えられない。」との発言の趣旨だ。
その後、ツイッター等で、「安倍首相の違法が明白なのに、なぜ検察は動かないのか。」という声が寄せられているが、私が、「詰んでいる」と指摘するのは、安倍首相の「説明」の問題であり、事実としての法違反が明白になっているという趣旨ではない。「検察は動かない」と言っている趣旨も正確に理解されているとは思えない。
私の「将棋の盤面」を用いた解説の前提とその趣旨を改めて整理しておこうと思う。
第1に、私が「詰んでいる」と言っているのは、一連の「ぶら下がり会見」などでの「安倍首相の説明」のことだ。苦しい言い逃れを重ねた末に、自ら窮地に陥り、「違法ではない」という説明ができない状況に追い込まれているということを言っているのである。
だからこそ、「公選法違反」、「政治資金法違反」、「世論の批判」という敵の駒の動きに対して、「安倍王将」が「駒」としてどのような「動き」をしてきたのかを解説しているのである。
安倍首相にとっての「桜を見る会」前夜祭をめぐる「違法行為」として、現実的に考えられるのは、(1)安倍後援会が、地元有権者への寄附を行った公選法199条の2第1項違反と、(2)前夜祭の主催者としての後援会が、政治団体としての政治資金収支報告書を正しく記載していなかった問題である。
前者の法定刑は、「50万円以下の罰金」、後者は、政治資金収支報告書を訂正すれば足りるレベルの問題である。
しかし、「罰金50万円以下」であっても、後援会関係者が公選法199条の2違反を犯したということになると、現内閣で、菅原一秀氏が同じ罰則の違反の問題で辞任に追い込まれていることもあり、総理大臣の進退問題につながりかねない。
そこで、安倍首相は、自分自身も、安倍後援会も「一切違法な行為を行っていない」という説明を維持するために、「安倍後援会」側ではなく、ホテルニューオータニという、日本を代表するホテルを経営する企業の側に「説明」を押し付けようとし、その挙句、(安倍首相の説明どおりだとすれば)、内閣府からの受注業者であるホテルニューオータニからの利益供与、つまり寄附を受けることの政治資金規正法上の違法性(企業団体献金の禁止)や「贈収賄」の疑いすら生じさせた上、「説明不能」の「詰み」の状態に陥っているのである。
安倍首相に、検察が本格的に捜査の対象にすべき「事実」が明らかになったと言っているのではない。安倍首相が、「自分も、後援会も、違法行為を行っていない」という「説明」をしようとして、かえって重大な違法行為があるかのような疑いを生じさせ、自ら墓穴を掘っているだけなのである。
第2に、安倍政権になってからの政権側の政治家に対する検察の姿勢からすると、仮に、安倍首相自身、或いはその秘書や後援会などに「重大な犯罪の嫌疑」があったとしても、検察が動くとは考えられないという「安倍政権と検察の関係」の問題がある。
甘利明氏、小渕優子氏ら有力政治家の刑事事件に対する特捜部の捜査の姿勢(【特捜検察にとって”屈辱的敗北”に終わった甘利事件】)や森友学園の事件での籠池夫妻に対する捜査の姿勢(【検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか】)と財務省側に対する捜査との比較などから考えても、検察が安倍政権に飼い慣らされているように思える。
検察の現状を考えれば、いかに重大な犯罪の嫌疑があっても、積極的に捜査をするとは思えない。公職選挙法違反、政治資金規正法違反事件、贈収賄事件などには、必ず何らかの証拠上、法律適用上の問題がある。検察の現場で積極的に捜査を行う方針であっても、上司・上級庁・法務省側から問題を指摘し、捜査の動きを止めることは可能だ。
そういう意味では、「政治家に対する捜査」を、それなりの理由をつけて潰すことは、どのような事件でも可能なのである。ただ、それは、あくまで、安倍政権と検察との「一般的な関係」について言っているに過ぎない。今回の「桜を見る会」の問題については、検察が「重大な犯罪」の疑いを見逃そうとしていると言っているのではない。
第3に、「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。」(憲法75条)として、国務大臣の訴追を拒む権限が総理大臣に与えられていることとの関係である。
そもそも、総理大臣に重大な犯罪の嫌疑があり、検察に積極的な捜査で、その嫌疑を明らかにしようとしたとしても、最終的には、総理大臣の同意がなければ、総理大臣を起訴することはできない。総理大臣が自分を起訴することに同意するはずはないので、事実上、総理大臣は、在任中は、起訴されることはない。そういう意味で、検察の起訴によって、総理大臣がその職から引きずり降ろされるということは、あり得ないのである。
しかし、この憲法75条の規定で、総理大臣が、自らの犯罪の嫌疑について、在任中、訴追を拒否することができるというのは、一方で、総理大臣自身に犯罪の嫌疑が生じた時には、重大な説明責任が生じるということになる。犯罪の嫌疑について合理的な説明が十分に行われることがなければ、訴追は免れても、「政治的責任」を免れることはできないのである。
そういう意味では、第1で述べた、「桜を見る会」前夜祭についての安倍首相の「説明」が、「詰んでいる」、すなわち、「違法性は全くない」ということについて安倍首相自らが説明した内容を前提にすると、「違法ではないという説明ができない状況に追い込まれている」という現状は、憲法75条との関係からも、内閣総理大臣にとって「致命的」と言えるのである。
以上のような、私が「安倍首相の説明」が「詰んでいる」と言っている趣旨は、上記の【ビデオニュース】に収録されたヒアリングでの私の解説全体を見て頂ければ、十分に理解してもらえるはずだ。
「桜を見る会」をめぐる問題については、安倍首相の「説明」が「詰んでいる」のに、「検察が動かない」という話ではない。検察が動くかどうかとは関係なく、安倍首相自身の「説明」が「詰んで」いて「説明不能」であることそれ自体が、総理大臣にとって重大な問題なのである。
郷原 信郎 弁護士、元検事
ツイッター「@nobuogohara」 郷原総合コンプライアンス法律事務所