2019年もいろんな事件や事故がありました。その中には単に当事者の問題だけでなく現代社会のいろんな矛盾や課題を反映したものもあります。心理学的に考察することで、幸せな2020年へのヒントになるものもあります。
ここでは、元農水事務次官の息子刺殺事件から考えてみましょう。この事件は息子さんの異常性に帰属しそうな報道もあります。ただ、心理学者の私には思春期を見守るあらゆる大人への教訓に満ちた事案に見えるのです。どのマスコミも報じない側面に注目してみましょう。
元エリート官僚の激震
事件は6月でした。東京・練馬区の閑静な住宅街、周囲が羨むようなエリート一家だったはずのご家庭が惨劇の舞台になりました。
いえ、もしかしたら惨劇は20年前から始まっていたのかもしれません。約20年前、被害者である息子さんはスーパー進学校に入学した中学時代からイジメの被害者になっていたと言われています。そして、その鬱憤を晴らすためか、息子さんによる家庭内暴力も始まったと報道されています。
被害者が加害者になる…、この構造は悲劇のスタートの典型例の一つです。惨劇はこのときから始まったと言っても過言ではないと思います。
練馬の「火薬庫」
第一次世界大戦の直前、バルカン半島の政治情勢は「バルカンの火薬庫」と呼ばれていました。いつ戦争が始まっても不思議ではない状況が揃っていたからです。
元事務次官のご家庭もある意味で火薬庫でした。理由はともあれ、いじめ被害者の男性が家庭内暴力の加害者になり、40歳を超えるまで社会の中に然るべき居場所を見つけられずにいたのです。そして妹は兄の存在で結婚が破談になったことで自殺したと言われています。さらに、家庭内暴力と娘の自殺で母はうつ病に陥ったと言われています。
私は、この時点で実質的には3人が死んだのと同じ状態だと思います。まず妹さんが亡くなりました。被害者になった息子さんも、エリート家系の中でスーパー進学校に入学したのですから相応の輝かしい人生を夢見ていたことでしょう。イジメ被害によって夢見ていた人生が死にました。その後、生き返る人生を見出すこともできなかったようです。息子さんはある意味でずっと死んでいたのです。
そして、母親はうつ病とされています。ユング心理学ではうつ病は「生まれ変わりの病」とも言われています。娘が自殺、息子が社会不適応…。このような状況では、母親として現実を受け止めて生まれ変わらなければなりません。ただ、こんな人生を想像できるでしょうか?息子も娘も「こんなはずでは」という無念の思いが少なからずあったことでしょう。結論から言えば、母親もある意味で人生を「殺されて」いたのです。
「火薬庫」に火がついた日
この家庭で唯一生きていたと言えるのは、社会的にある程度成功して社会の中で自己確認ができる元事務次官の父親だけでした。父親は息子にも献身的だったと報じられています。しかし、家族を救うのは難しかったようです。
息子の家庭内暴力が自分にも及びはじめ、5月にはある意味で息子を連想させる男性による川崎通り魔事件がありました。事件の直前には近所の小学校の運動会の賑やかさに殺意を唱え、父とも口論になったとされています。その中で、父は愛してやまなかったはずの息子を手に掛けることになったのです。
家族のみんなが被害者…助けを求めてほしかった
ある意味で、家族のみんなが被害者と言えるような事件でした。なぜ、このような悲劇が起こってしまったのでしょうか?
たくさんの原因が複合した事件ですが、一つ言えるのは家族が社会から孤立して父親が抱えすぎていたように見えます。家庭の中で問題解決能力が最も高いのは父親で間違いなかったと思います。
ですが、家庭の中で解決しきれない問題は家庭外の力を借りるべきです。エリート家系のプライド、あるいは元事務次官という父のプライドがそれを邪魔したのかもしれませんが、家庭の中で完結させようとしたことが「火薬庫」に火をつけた一因だと考えられます。家庭の問題解決能力を超えた問題は、プライドを捨ててでも家庭外の力を借りることが必要です。
ネットに没頭する男性は…
次に刺殺された息子はリアルな人間関係を築けずにネットの世界に逃げ込んでいたと言われています。子どもがyoutubeなどのネットの世界に没頭して悩んでいるご父兄は多いのではないでしょうか?文科省は子どもと話し合ってネットとの付き合い方のルールを決めましょう…というガイドラインを出しています。ただ、ネットの快楽にはまった若者に後出しでルールを設定することは困難です。このようなご子息を持つご父兄のみなさまは不安になったかもしれません。
ネットに没頭する世代が今後どうなるのか、私たちには経験値がありません。ただ、ネットに没頭するから悲劇の予備群とも言い切れません。
人格の成熟を大切に
大事なことはネットに没頭するかどうかではなく、どんな形ででも「社会」を学んで人として成熟しているかどうかです。
成熟の指標は、自分の役割と存在意義(自己志向性)、人を許すことと人に協力する楽しみ(協調性)、そして見えないご縁でお互いに支え合っている実感(自己超越性)の3つです。人格の成熟を示唆する心理学研究では、これらを学んでいれば人としての成熟は概ね問題ないはずです。残念ながら、報道されている限りでは被害者のご子息は人としての成熟が足りなかったかもしれません。
どんな経験値の中でも、この3つを学んでいれば人としてやっていける可能性は高いのです。表面的な子どもの姿ではなく、この3つの育ち方を見守れる存在として親をはじめ大人は関わりたいものです。もう悲劇がない2020年に向けて、私たちから始めましょう。
杉山 崇
神奈川大学人間科学部教授・心理相談センター所長、心理学者・心理マネジメント評論家
脳科学と融合した次世代型サイコセラピーの研究や『ホンマでっかTV』『ニュースウォッチ11』などTV、『an・an』『kodomoe』など雑誌、その他マスメディアでの心理学解説で知られる科学と融合した次世代型サイコセラピーの研究やTV・雑誌などマスメディアでの心理学解説で知られる。
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