法とは何か、という問題に私たちが直面していることは間違いない。
絶対無謬な法がないのと同様に、絶対無謬な法の解釈というものもない。
社会情勢の変化や時代の変化に伴って、ある程度の法の解釈の変更はあってもいい。
もっとも、閣議決定で法の解釈を変更することを正当化することは難しい。
裁判所にも行政庁にも一定程度法を創造する力があることは、私も認めているのだが、しかし一遍の行政通知で法の解釈を変更することをそのまま認めるわけにはいかない。
閣議決定も然りである。
単なる閣議決定に法律と同等の効力を付与するわけにはいかない。
法律を創るのは、あくまで立法府である国会であって、立法府である国会での審議を無視して内閣が閣議決定で法の解釈を変更してしまうのは、明らかに越権行為であり、法というものの存在を軽視ないし無視していると言わざるを得ない。
安倍内閣が法という存在にどれだけの敬意を持っているのかに注目してきたが、これまで見ている限りは大して敬意を持っていないのだろうと思わざるを得ない。
わが国の法治主義が危機に瀕している、と言わざるを得ない。
日本は、極めて深刻な状況を迎えている。
法治主義から人治主義の方向に舵を切ってしまったように見えて仕方がない。
安倍総理が、かつてご自分が立法府の長だなどと口を滑らしたことがあったが、これはうっかりでもなんでもなく、本当にそう信じておられるのかも知れない。
困ったことだなあ、と私は思っているのだが、今の私には残念ながら何も出来ない。
出るのは、溜息ばかり・・。
あああー。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2020年3月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。