北朝鮮の中央通信や労働新聞が伝えたところによると、7月8日未明、金正恩委員長は、金日成(キム・イルソン)主席の死去から26年を迎えたこの日、遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿(平壌市)を参拝した模様である。
金委員長の動静が伝えられたのは、7月2日、朝鮮労働党中央委員会の政治局拡大会議に出席して以来約1週間ぶりであった。金委員長は、この約1か月前の6月7日にも政治局会議を開催しており、今年に入って4月に朝鮮労働党最高人民会議を開催して以降、5月に中央軍事委員会拡大会議、6、7月には先に述べた政治局拡大会議、というように毎月重大会議を開催している。
昨年のように、頻繁に現地指導することなく、動静があまり伝えられなかったのも、これら重大会議が連続して開催されていることに関連している可能性がある。また、これらの写真を見る限り、特に金委員長は体調を崩している様子もうかがえず、指導者としての健在ぶりに変化はないようである。
なお、今回これらの写真から興味深いいくつかの事実が判明した。
まず、労働新聞に掲載された宮殿参拝時の写真であるが、正面から見て、金正恩委員長の左側には権力序列2位の崔竜海(チェ・リョンヘ)最高人民会議常任委員長(第1副委員長)、右側には朴奉珠(パク・ボンジュ)党副委員長(元首相)が、崔竜海委員長の左側には金在龍(キム・ジェリョン)首相が立っていた。ここまでは、特に変化ない妥当な順序だといえる。注目すべきなのは、朴奉珠副委員長の右側に、李炳哲(リ・ビョンチョル)党中央軍事委員会副委員長(軍需工業部長)がいたことである。
李炳哲副委員長は、元空軍司令官であり、その後は弾道ミサイル開発の責任者として長距離弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)などの開発に貢献し、2017年7月の米本土を射程内とする(北朝鮮初である)ICBM「KN-20(火星-14型)」の発射試験(同月4日及び28日)の際には、金委員長に随行していた。
これらの功績が認められて、本年4月の最高人民会議で国務委員(軍需工業部長)に抜擢、5月に開かれた中央軍事委員会拡大会議においては、中央軍事委員会副委員長に選出され、実質的に軍事部門のNO2となっていた。
そして今回、本来ならば組織指導部長または宣伝扇動部長といった党の重要閣僚が居座るべき権力序列5位の位置にいたのである。昨年の同行事の際には、前から3列目の位置(序列20位程度)にいたことから考えると、異例の大抜擢であることが見て取れる。これは、いかに金委員長が核・ミサイル開発を重んじているかを物語る人事だと言えるだろう。
もう一つ注目すべきは、党組織指導部第1副部長である金与正の立ち位置である。
7月8日の宮殿参拝時では前から3列目、6月の政治局拡大会議では、29人が座る前列丸テーブルの金委員長の対面から少し右の位置に座っていた。これを見ると、現在の序列はおおむね20位程度ではないかと考えられる。
6月には金委員長の代理として韓国を非難する声明を発表し、軍総参謀部を指導して開城市の「南北共同連絡事務所を爆破」したことなどで、もはや「金委員長の後継者として抜擢されたのではないか」とまで注目されていたが、実際のところ現在の序列は未だこの程度である。
しかしながら、前述の李炳哲がたった1年でここまで引き上げられたのであるから、今後は党組織指導部長や党宣伝扇動部長などに抜擢されてNo5以内に入ってくる可能性は十分にある。しかしそのためには、やはり金委員長の妹というだけでのし上がれるほど北朝鮮指導部は甘くないだろう。
しかも、圧倒的な男社会の北朝鮮において金与正は女性というハンディもある。これは、金正恩自身も自らの経験から熟知しているはずである。李炳哲のように、誰もが認めるような功績を残してこそ、権力序列をすっ飛ばしても内部は揺るがないのだ。であればこそ、金与正にとっては、「南北共同連絡事務所爆破」というようなアピールも必要だったのだろう。
今後、もし金与正が金正恩委員長の後継者を目指すのであれば、米国や韓国との外交交渉や、場合によっては軍事挑発などで、どれだけ北朝鮮指導部内で認められるような功績が残せるかにかかっている。恐らく彼女は、今後様々な分野で存在感を表すであろうし、その手腕が問われることになるのだろう。
それは、ある意味で日米韓にとって危険な存在になるということでもある。7月10日に彼女が出した「米朝首脳会談の年内開催を否定」というような談話は、まさにその狼煙(のろし)なのかも知れない。
最後に気になることが一つ。強硬派の首魁であり「金正恩の懐刀」ともいえる金英哲(キム・ヨンチョル)副委員長が、公式行事などで顔を出さなくなったということだ。今まで数々の軍事挑発を実質的に計画し、実行部隊を主導してきた人物が、表舞台から消えるというのは危険な兆候である。何か企てているかもしれない。
彼は、昨年2月に自分がおぜん立てをした、(ハノイでの)米朝首脳会談決裂で「潰されたメンツ」の恨みを決して忘れてはいないだろう。もし、金与正が主導して再び瀬戸際外交を展開するとなれば、喜んでその補佐役を買って出るに違いない。
この夏から秋にかけて、北朝鮮が11月の大統領選挙で形勢不利なトランプ政権に揺さぶりをかけてくる可能性は十分にある。金正恩委員長が、6月23日に韓国に対する軍事行動計画の保留を指示したのは、日米韓を油断させるための方略かも知れない。警戒するに越したことはないだろう。