米国大統領の廣島訪問を断る不思議 ― 再考を要する終戦処理のあり方

北村 隆司

「オバマ米大統領の2009年11月の初来日に先立ち、当時の藪中三十二外務事務次官がルース駐日米大使に対し、オバマ氏が第2次大戦中の原爆投下を謝罪するために被爆地の広島を訪問することに否定的な姿勢を示した上で、謝罪を目的としない訪問自体も「時期尚早」との考えを伝えた事実が、内部告発サイト『ウィキリークス』が公開した米外交公電で明らかになった。日本政府は一貫して『米政府の判断』との立場を示していたが、公電が事実なら、訪問を控えるよう暗に働き掛けていたことになる。」と言う新聞記事を読み、我が目を疑った人は多いに違いない。


この報道を読んで、日本政府が1964年にカーチス・ルメイ将軍に勲一等旭日大綬章を授与した事を思い出した。ルメイ将軍は、日本の都市の無差別絨毯爆撃を立案、実行した人物として知られ、1945年3月10日に行われた東京焦土化作戦では、死亡者:8万3793人、 負傷者:4万918人 、被災者:100万8005人 被災家屋:26万8358戸 と東日本大震災や原爆を超える犠牲者を出している。

この空襲は女性や子供、老人など多数の非戦闘員を狙っていた点が最大の特徴で、これが現代であれば、人類に対する犯罪者としてハーグの国際刑事裁判所で裁かれるべき人物である。非戦闘員を何十万人も焼き殺した作戦の立案者である人物に叙勲とは、ご冗談を!と言いたくなるが、藪中次官の米国大統領に依る広島訪問反対意見のの背景には、何となくこの叙勲に通ずる日本の外交官の欧米に対する卑屈さと国民や国益を無視しても省益防衛に走る外交方針が見え隠れする様に思えてならない。

歴史上の事実を語る時「もし・・・だったら」と言う話はご法度だが、「人道に対する罪」と言う現行の国際基準が第二次大戦時代にも適用されていたとしたら、その典型的な人物にジョン・デウイット将軍とカーテイス・ルメイ将軍が入る事は間違いない。

日本には馴染みの薄いデウイット将軍は、12万人に及ぶ日系人(その内3万人は日本人)の土地財産を奪い、強制収容所に放り込んだ米国史上でも恥ずべき行為の実行最高責任者であった。ルーズベルト大統領の承認の下に始まったこの行為の裏には、日本人として忘れてはならない人物がいた。1938年からコロラド州知事を務めた、真の民主政治家の名に相応しいラルフ・ローレンス・カーである。

彼は反日一色に染まった米国世論に抗して、米国憲法を指し示しながら、日系アメリカ人と在米日本人の擁護を主張し、日系人の強制収容に一貫して反対しただけでなく、コロラド州民に日本人と日系アメリカ人達を歓迎するよう呼びかけた人物である。

第二次大戦中にユダヤ人が狙い打ちされて、多数のユダヤ人が人道上の被害を受けた事は誰もが知る事実だが、非ユダヤ人でありながら自分を犠牲にしてユダヤ人を庇った人も多くいた。その英雄的な活動に対して、イスラエル政府は国家英雄として特別の顕彰をしている。その中には、唯一の日本人として、外務省の意向に反して数千人のユダヤ人にVISAを発行して彼らの生命を救った杉原千畝も含まれている。

それに反し日本政府は、米国で狙い撃ちされた日系人や日本人の人権を守る為に職を賭して闘ったカー知事を無視しながら、日本全土で数十万人の非戦闘員を焼死させたルメイ将軍に勲一等を与えて平然としている。我々はこの日本政府の行動を、後世にどの様に説明したら良いのであろうか?

何事にもけじめが大切である。けじめの語源やその意味には諸説あるようだが、 道徳や規範によって行動に示す節度ある態度を意味するのであれば、ルメイ将軍への叙勲やオバマ大統領の広島訪問を断った日本政府のけじめの無さは修正しなければならない。

先ず第一に、これまでの行き掛かりや面子は捨てて、ルメイ将軍への叙勲を取り消し、カー知事を顕彰する勇気を持つ事である。

私の友人で、共同通信のバンコックやワシントンの支局長として動乱の世界を見つめてきた人物で、「銃を持つ民主主義」の著者である松尾文夫氏は、永年に亘り「日米両国の首脳が、廣島と真珠湾を相互訪問する事が、一つの終戦処理」だと提唱してきた。

オバマ大統領のプラハ演説で、廣島訪問の機運が盛り上がっていた時期に、日本の外交官の一存でこれが潰されたのは残念であるが、ウイキリークスのお陰で、米国側には大統領の廣島訪問に拒否反応がない事が判った事を機に、相互訪問を実現させる努力を再会する事で、もう一つのけじめをつけたいものである。
今回のはエピソードは、我々国民が透明性を求め続ける事で多くの国策の改善が可能になる事も示唆している。今からでも遅くない。終戦処理のあり方に就いて、国民的な規模での冷静な論議をすべきではなかろうか?