頭のいい人ほど愚かな決断をしてしまう意外な理由

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

世の中にありがちな誤解の1つに「知的優秀さと合理性は同じ能力」というものがある。確かに知性を感じさせる人物ほど、合理的判断を下すケースもあるだろう。だが、厳密にはこれは誤りと認識している。頭の良さと合理性、この2つはまったく別のパラメータである。問題は「合理性に欠けた知的な人物が決定権を持った時」に起こるものだ。政界を見れば、その事例に困ることはないだろう。

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この真相を紐解いていくことで、「勉強などで良い成績を納めてきた優等生が、愚かな決断をする理由」が見えてくる。筆者は脳科学の分野における専門家ではない。ただのイチ素人に過ぎないが、自己体験的にこれを実感している。本稿を執筆するにあたり、できるだけ正確性を高める努力をした。だが、所詮は門外漢であるため、学術的な誤りが含まれるリスクをここに付記しておきたい。

知性と合理性の違い

「知性」とは端的に言えば、脳の性能のことである。PCでたとえると、CPUの演算処理が優れているとか、ストレージの保存可能容量が大きいといった具合だ。これを人間の脳でいえば、計算能力や記憶力に優れているといえるだろう。この知性は生まれ持った性能であるため、一生涯変わることがない固定値である。

その一方で「合理性」とは知識と技術で構成される要素である。物事は俯瞰的、多面的に観察するとか、短期的ではなく長期的な視点で取り組むことをいう。そしてこちらは知識や技術など、後天的に獲得される要素で構成されているため、努力次第で伸ばせる変動値だ。

陰謀論にハマる「賢い人」たち

世の中が混沌とするタイミングで、陰謀論が広がる傾向が見て取れる。直近ではワクチンを接種することは「フリーメーソンたち黒幕による、人類管理計画だ」とか「磁力を帯び、接種した腕にスプーンがくっつく」といった話が出回っている。真偽のほどについて筆者の見解は明言を避けるが、この陰謀論にハマる人たちの中には「賢さ」はあっても、「合理性」に欠ける人が少なくないと感じる。

筆者はつい先日、ワクチン接種の是非を巡り、ある人物から「ワクチンは絶対に接種するべきでない。世界の重鎮たちによる人口管理計画だ」と真剣な表情で迫られ、答えに窮したばかりだ。同氏は熱心にインターネットで情報ソースを検索した結果といい、「色んな情報筋を巡り、海外の識者も声を揃えている。複眼的に収集した情報を見ており、この主張に誤りはない」と自身の主張に強い自信を見せた。

この人物はどちらかといえば、インテリジェンスに輝きを感じさせるタイプである。自身に正当性を持たせる証拠を集めに、知性を総動員したという印象を受けた。おそらく、本人からすると「ワクチン接種の黒幕の陰謀が分からぬ者こそ、政府の言いなりになる情報弱者で愚か者だ」と言わんばかりである。だが、主張は徹頭徹尾「ワクチン接種は陰謀によるもの」という一方的の前提に基づいて展開された。「陰謀でないケース」は一切想定されていない。

本当に真偽を確かめるなら、自分とは反対意見の方角からも分析を試みることが必要ではないだろうか。ワクチンに限らず、この手の話を強く支持する人の多くは、「自分が信じたいと思う主義の正当性の証拠だけを集める」というバイアスに囚われているように感じることがある。端的に言えば合理性に欠けるのだ。

合理的でなければ、賢くてもダマされる

世の中にはもっともらしく見えるが、実際は正しくない話が多い。投資詐欺案件や、カルト宗教、その他政治家など枚挙にいとまがない。そしてそうしたものに熱心になる人ほど、高学歴や医師、社会的に地位が高かったりする。筆者は昔、「なぜこんなに頭のいい人が、道理の通らないことにコロリとダマされてしまうのか」と不思議でならなかった。だが今はよく理解できる。知性が高い人ほど、自分の信じたい主義を裏打ちする偏向情報を集めるのが上手だからだ。自分が信じたいと思う方向からしか調べないのは、合理的とは言えない。

彼らに不足しているのは知性ではなく、合理性だ。そして高度に情報化された現代社会においても、依然として生まれ持った高い知性より、知識や技術を集積させた「合理性」が有利に働く局面は少なくない。どれだけもっともらしい理論をいい、「世界屈指の頭脳を集めた、人工知能による自動トレードで金融市場を出し抜ける」と言われても、「投資に絶対はない」という絶対普遍の真理を1つ理解しておくだけで、盲目的に大金を投じるという愚かな過ちを回避できるだろう。

自身の知性を過信せず、合理的な判断を下す力を高める意欲が必要だ。

合理性を高めるには「学ぶ」

冒頭で述べた通り、固定値である知性を後天的に高めることは難しい。だが、変動値である合理性は努力で伸ばすことができる。その努力とは「学ぶ」ということだ。

この学ぶというのは必ずしも、学校や資格の勉強を意味することに限定しない。失敗から学び、改善し、次回につなげるという繰り返すことでも高めることができる。「自分は優等生で頭がいい」と自己知性を過信して改善をおざなりにすると、待っているのは合理性を欠いた愚かな決定者であろう。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。