市役所の法務部門に勤めて間もないころ、市民の方にお叱りを受けました。「お前ら公務員が守らない法律を誰が守ると思うんだ」と。全く仰るとおり。反論の余地は何一つなく、ぐうの音も出ないとはこのことかと思い知りました。
もちろん公務員とて人間ですから、絶対に間違いを犯さないということはありえません。だからこそ、法の解釈適用を間違えたときは真摯に謝罪し、損害を与えてしまったら補填することが大事だと思います。しかし、飲食店に酒類の納入を禁止する事務連絡を発出した西村大臣は、これと真逆のことをしていませんか。
この事務連絡の違法性については既に様々な考察があります。私見を簡潔に申しますと、まず処分性がないことからこれは行政指導です。行政指導は事実行為(国民の権利義務に直接作用しない行為)であり、必ずしも法律上の根拠は必要ありません(ただし規制的な行政指導には法律上の根拠が必要とする学説があり、私もそう思います。)。そして、本件事務連絡に法律上の根拠はありません。ですから素直に「法に基づかない単なる事実行為ですが……」と言えばまだ良かったのではないでしょうか。蛇足ながら、憲法73条は内閣の事務の筆頭に「法律を誠実に執行し、国務を総理すること」を掲げています。西村大臣は「誠実に執行」しているとは言い難く、よって憲法の要請にも反していますね。
行政指導という制度それ自体の是非はここでは論じません。私は、本件で問題視すべきはむしろ、国務大臣が法律の解釈適用を明白に誤ったにもかかわらず、その点について謝罪も撤回もしなかったことだと考えます。特に西村大臣は国会議員。立法府の一員でもあるのです。ルールを作った人が自らそのルールを破り、しかも平然としているさまを見て、なおそのルールに従う気概がある方はいますか。西村大臣の態度は、法律というルールの実質を破壊しかねません。
「社会あるところに法あり」という法学の諺があります。法というルールは社会の秩序を維持するのに欠かせません。また、法律に「してよいこと」「してはならないこと」が明定されていることは、私たちが自由に社会活動を営むために重要です。さらに、紛争が生じたときは誰でも裁判を求めることができる、これを支えているのも法律です。その実効性が失われればどうなるかは、「無法国家」などでWeb検索すれば一発で分かります。法は国家の根幹なのです。もちろん、法律の規制や内容がおかしいといった議論はあってしかるべきです。たとえば、道路交通法の速度制限を忠実に守っている人は聞いたことがありません(私は守ろうとしたら怒られたことすらあります。)。ですが、その「おかしさ」は、法を破って良い根拠にはなりません。法律が「おかしい」ならば、唯一の立法府である国会で議論して改正する、少なくともそれを目指すのが法治国家のあるべき姿ではありませんか。
実は、以上の話は大学の法学部生なら誰でも知っている話です(高校の政治経済の授業でも習うかもしれません。)。大変申し上げにくいのですが、この程度の法的知識がないのは国務大臣としていかがなものかと思います。菅総理は直ちに本件事務連絡の違法性を認めて撤回させるとともに西村大臣を更迭し、行政府に遵法精神が残っていること、日本は成熟した法治国家であることを内外に示すべきです。
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高梨 雄介
上智大学法学部卒業後、市役所入庁。法務関係部門を歴任して数々の例規の起草、審査、紛争解決等に携わる。現在は公共団体職員として勤務。
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