歴史的人物の評価は時代の政治情勢や国、民族によって大きく変わるものだ。「英雄」と生まれた人はいないが、全ての人々、国から「英雄」と称えられるような人物はそう多くはいない。以下、「英雄」と呼ばれてきた歴史的人物を少し振り返ってみた。
ウクライナの2人の英雄
ウクライナには少なくとも2人の民族解放者、英雄と呼ばれる歴史的人物がいる。1人は民族主義者ステパーン・バンデラ(1909年~1959年)、もう1人はボフダン・フメリニツキー(1595年~1657年)である。
バンデラについては前日のコラム(「バンデラはウクライナ民族の英雄か「2022年7月4日参考)で紹介した。バンデラは1929年、ウクライ民族主義者組織(OUN)に入党し、民族解放運動指導者(UPA)となり、ポーランド政府が西ウクライナで行った同化政策とウクライナ人への弾圧に抗議する解放運動を推進。バンデラは1934年、ポーランド内相殺害に関与した罪で有罪判決を受けたが、ポーランド第2共和国が1939年に滅亡し、ナチス軍によって解放されると、バンデラは今度はナチス軍と協力し、ナチス政権の対ソ戦争を支援した。
しかし、バンデラのOUNが「独立国家」を宣言すると、ナチス軍はバンデラを投獄した。第2次世界大戦後、バンデラはドイツに逃亡したが、ソ連国家保安委員会(KGB)は1959年10月、ミュンヘンに潜伏していたバンデラを殺害した。
バンデラの50年の生涯を「ナチ崇拝者」、「戦争犯罪者」と切り捨てることは難しい。バンデラの母国ウクライナでは東部と西部でその評価が全く逆だ。ウクライナ東部ではバンデラはナチスの協力者であり戦争犯罪者と見なされる一方、ウクライナ西部では、彼は国民的英雄として多くのウクライナ人から尊敬を受けている、といった具合だ。
一方、ウクライナのコサックの指導者ボフダン・フメリニツキーは「民族の解放者」としてウクライナ国民から称えられてきた。彼はポーランドとの戦いに勝利してウクライナを解放した。フメリニツキーの銅像が首都キーウ近郊のソフィア広場に立っている。そのフメリニツキーはユダヤ民族からは「ヒトラーに次ぐ大悪人」といわれ、「モンスター」と忌み嫌われている。フメリニツキーは当時ポーランド人の下で地主としてウクライナ人の農奴を扱き使っていたユダヤ人を大虐殺したからだ(1648年)。
ところで、歴史的人物の評価問題では世界にも同じような事例がある。南アフリカのネルソン・マンデラ(1918年~2013年)は反アパルトヘイト運動を推進し、27年間獄中生活を送った後、1990年に釈放され、94年には大統領に選出された。白人と非白人の間の人種隔離政策(アパルトヘイト)を克服した「民族の英雄」という呼称を得る前、マンデラは為政者からテロリストと呼ばれた。
同じように、ヤセル・アラファト(1929年~2004年)もそうだった。パレスチナのゲリラ指導者で活躍した。テロリスト時代のマンデラやアラファトに犠牲となった人にとっては2人は犯罪者だ。一方、白人支配化で犠牲となった黒人やイスラエルの支配下で迫害されてきたパレスチナ人にとってマンデラもアラファトも立派な「民族の解放者」であり、「英雄」だった。
日韓両国の歴史では、伊藤博文初代統監を殺害した朝鮮民族主義者の安重根(1879年~1910年)の名を思い出す。安重根は1909年10月26日、中国・ハルビン駅で伊藤博文統監を射殺し、その場で逮捕され、10年3月26日に処刑された。日本側から見れば、安重根は殺人者だ。一方、韓国では民族の英雄という称号を得ている。韓国と反日で連携する中国は2014年1月20日、中国黒竜江省のハルビン駅に「安重根義士記念館」を建てた。
ちなみに、菅義偉官房長官(当時)はテロリストの記念館開館というニュースを聞くと、「安重根はわが国の初代韓国総督の伊藤博文を暗殺したテロリストであり、犯罪者だ」と最大級の抗議を表明した。安重根問題は、日本と中韓の間で歴史的評価が全く異なる好例だろう(「中韓の『記念碑』と『記念館』の違い」2014年1月22日参考)。
バンデラとフメリニツキーはウクライナ民族の誇りだが、ユダヤ人やポーランド人にとっては大悪人だ。マンデラやアラファトは民族の解放のために武装闘争やテロも行ったが、その生涯の終わりには南アフリカのアパルトヘイトを撤廃し、イスラエルとパレスチナ間の和平に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞した。
日本から殺人者と受け取られた安重根は韓国だけではなく、中国にも記念館が建立された。時代とその政治情勢によって、歴史的人物の評価は、「英雄」と「テロリスト」の間、そして「民族解放者」と「犯罪者」の間を彷徨っているわけだ。
ロシア軍をウクライナに侵攻させ、民間人無差別殺害を命令したロシアのプーチン大統領は現在、「戦争犯罪者」と受けとられ、世界から批判を受けている。そのプーチン氏がロシア民族から「大国ロシア」と「民族の威信」を回復した指導者として英雄視される時がくるだろうか。現時点では「そんなんことは絶対あり得ない」と自信をもって言えるが、われわれの歴史は「その可能性を完全には排除できない」ことを告げている。
ドイツの有名な劇作家ベルトルト・ブレヒト(1898年~1956年)は「Unglucklich das Land, das Helden notig hat」(英雄を必要とする国は不幸だ)と述べたが、「英雄」を必要としない国、民族が過去、存在したことがあっただろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年7月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。