トルコの「ロシア・コミュニティ」の話:50万人がロシアから海外に亡命

ロシアのプーチン大統領がロシア軍にウクライナ侵攻を命じて以来、ロシアから海外に亡命する国民が増えている。公式の統計はないが、その数は20万人から50万人にもなると推測される。理由はさまざまだが、「わが国の未来に希望が持てなくなった」、「自分はロシア人として生まれたが、国はソビエト連邦時代に戻ってきた。全体主義のロシアに留まることができない」などが多い。

ロシア人のコミュニティがあるトルコ最大の都市イスタンブールの風景(Wikipediaから)

ロシア人が亡命先として選ぶトルコ

そしてロシア人が亡命する先として最近増えてきたのはトルコだ。欧米の航空会社が対ロシア制裁に関連し、モスクワへの飛行機便を次々と中止したが、モスクワとトルコの間の飛行機便はまだ飛んでいるからだ。そのうえ、ロシア人にとってビザなしで旅行できるトルコは魅力的だ。トルコへ出国するロシア人が増えてきたことに呼応し、モスクワ・イスタンブール便の航空チケット代が高くなってきているという。

ロシア軍のウクライナ侵攻以来、世界はロシア・バッシングで、ロシア人を歓迎する国が少ない中、トルコだけはロシア人旅行者を受け入れている。

トルコの国際都市イスタンブールにはロシア人が多くみられる。オーストリア国営放送が報じたところによると、“東洋と西洋の交差点”といわれるイスタンブールにはロシア人コミュニティが存在する。彼らは互いに助け合い、情報を交換して生きているという。

イスタンブール居住のロシア人の未来は3通り考えられるという。①イスタンブールから西側に入り、欧州に住む、②親露のアルメニアに行く、③トルコに留まる。

問題は仕事だ。仕事がないとロシアから持参してきた資金が直ぐに底をつく。だからやむ得ずロシアに戻るロシア人も出てきているという。イスタンブールには反体制派活動グループがあって、モスクワとの間でインターネットを通じて活動報告や反体制派活動を続けているロシア人がいる。活動資金の一部は英国亡命のオリガルヒ(新興財閥)から受け取っているという。ただ、反体制派活動家は常に身辺の安全に不安を抱えている。モスクワからキラーが派遣され、殺されるのではないか、という恐れだ。

また、多くの亡命ロシア人はトルコに長く留まるというシナリオには抵抗があるという。ロシア人にとって文化、言語、宗教で異なるトルコでの生活は厳しいからだ。一方、アルメニアは親ロシアであり、宗教もキリスト教圏に入るから、ロシア人には社会に溶け込みやすいわけだ。

イスタンブールにはロシアから逃げてきたオリガルヒがいるが、彼らは「トルコで投資する物件を見つけることは難しい」という。彼らは高級アパートメントや不動産を購入するが、「トルコではビジネスで魅力的なターゲットは少ない」という。

モスクワで反プーチン・デモに参加して逮捕され、しばらく牢獄生活をしたという若いロシア人は、「デモをしても何も変わらないどころか、国の統制はますます厳しくなってきた。ロシアは今、昔のソビエト連邦時代に戻ってきた」という。青年はモスクワに住んでいたが、いつ警察官が自分のアパートの戸を叩いて入ってくるかと不安だったという。そこで亡命を決意したわけだ。「長く躊躇しているとプーチンが国境を閉鎖するかもしれない。そうなれば出国できなくなる。そこで決断してトルコにきた」と説明していた。

「1984年」の世界に酷似してきたロシア社会

ロシアの反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏は、モスクワから東部100km離れたウラジーミル州ポクロフ(Pokrow)にある流刑地(IK-2)に収監された時、ロシア社会が次第にイギリスの小説家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の世界に酷似してきたと述べている。ビッグ・ブラザーと呼ばれる人物から監視され、目の動き一つでも不信な動きがあったら即尋問される。何を考えているのか、何を感じたかなどを詰問される世界だ。そこでの合言葉は「ビック・ブラザー・イズ・ウオッチング・ユー」だ(「モスクワ版『1984年』の流刑地」2021年3月28日参考)。

なお、ロシアとトルコは中東シリアの内戦では共同戦線を張る一方、ウクライナ戦争ではプーチン大統領はトルコのエルドアン大統領の調停工作を支持するなど、両国関係は良好だ。

しかし、トルコにロシアからの政治亡命者が集まり、トルコのロシア・コミュニティが更に拡大していけば、両国関係に近い将来、問題が起きる可能性は排除できないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。