利害関係者が身内で決める協会賞のおかしさ
朝日新聞の記者だった鮫島浩氏が福島原発事故をめぐる「吉田調書」報道(2014年)の責任(誤報に近い誇大報道)を取らされて結局、21年に退社しました。同氏は近著「朝日新聞政治部」(講談社)で朝日新聞の内情、本人の記者意識を克明に書いており、痛快でもあります。
朝日新聞は「新聞界のリーディング・カンパニー」を自称してきました。部数では読売新聞に劣っても、ジャーナリズムとしては日本を代表するのは朝日新聞という自負があってのことです。一読すると、代表的な新聞社の意思決定方法、筆者の意識がこの程度なのかと、驚きもしました。
ひどいなと思うのは、日本新聞協会賞の過大な評価、それに対する異常なのめり込みです。(写真は浅沼稲次郎・社会党委員長の刺殺事件、1960年10月、毎日新聞が新聞協会賞を受賞)。朝日の社長も筆者本人も新聞協会賞は新聞界最大の勲章であり、経営陣にとっても、すごい目標になりうると信じ込んでいます。
結論から申し上げると、新聞協会賞は加盟新聞社、メディアが候補作品を持ち寄り、内部の選考委員会(最終的には編集局長で構成)が決め、10月の新聞週間に開かれる新聞大会の最大の行事として表彰するのです。
私も現役時代、新聞協会の理事会に毎月出席し、新聞大会にも参加し、協会賞の授与、受賞者の挨拶の様子を目の当たりにしてきました。最も疑問に感じていたのは、協会賞が新聞関係者らだけの内輪の選考会議、つまり「利害関係者による選考・投票」で決まるということです。
比較するために書くと、自動車業界の「カー・オブ・ジ・イヤー」(最優秀自動車賞)は、モーター・ジャーナリストらで構成する選考委員会(60人を上限)が投票で決定します。皆、外部の選考委員です。
実行委員会が設けられ、「特定の自動車メーカー、特定の媒体の政策、利害によって左右されない」という規定を設けています。トヨタ、日産などの利害関係者が集まって決めれば中立性が失われます。新聞協会賞とは真逆の手法をとっています。
出版界の「本屋大賞」はどうでしょうか。直接の利害関係者である出版社は除外され、「新刊を扱う書店の書店員」の投票で決まります。出版社がそれぞれ設けている文学賞(芥川賞、谷崎潤一郎賞など)は選考委員は実績のある作家が議論して決めます。出版社の意向を排除する努力はしています。
それらに比べ、新聞協会賞には問題がありすぎます。協会賞は、利害関係者そのものである新聞社、ライバル意識をお互いに抱いている編集局長がそれぞれの思惑、駆け引きを経て決まります。選考過程には透明性、中立性が欠けています。
業界のベスト商品、製品を、業界加盟社が内輪の選考委員会で決めてしまうということをしているまともな業界はないでしょう。新聞界は日本で最も遅れた選考方法をとっているのです。新聞業界はなぜ、そうした意識を持つことがなかったのか。
「なかんずく発行部数を伸ばしている社は地方紙などに嫌われ、受賞の機会が減る」、「最大のライバル同士である読売、朝日が最終選考に残ると、すさまじい攻防が繰り広げられる」、「授賞しても部数に影響があまりでない毎日、産経などが有利な扱いを受ける」、「地方紙には順番制があるようで、舞台裏でその調整をしている」。
こんな感じでしょうか。朝日新聞などは、大きな政治・社会問題が起きると、決まって第三者委員会の設置を要求するのですから、協会賞でも、真っ先に選考過程の改革(外部の識者による選考委員会の設置など)を提唱すべきなのです。
鮫島氏ら特報部によるスクープ(本人らの認識)は、現地所長であった吉田昌郎氏に対する事故調の聴取記録(400頁)を入手し、「所長命令に違反し、撤退」(2014年5月)という見出しです。
あたかも切迫する原発の現場から、上司の命令に背いて、社員が逃げ出し、事故対応は被災者そっちのけという印象です。読者は「この絶対絶命の危機に及んで、東電はひどいではないか」と思う。
原発事故は「東日本は壊滅も」という危機感が覆っていた状況でした。反原発の朝日新聞にとっては、絶好のスクープになると確信したに違いない。「社内は賞賛の声に包まれた。特報部長は声を弾ませ、木村伊量社長が『大喜びして社長賞を出す、今年の新聞協会賞も間違いないと興奮している』」(同書)と。
木村社長にとっては、新聞協会賞は最大の勲章であり、社内で権力を確立する支援材料なのだったのでしょう。特報後、「撤退でなく、退避だったのではないか」、「待機命令違反に相当するというのは、強すぎる表現ではないか」、「待機命令を知らなかった者もいたのではないか」と、次々に特報に対する疑問、批判が次々に浮上してきました。
鮫島氏らは「早めに軌道修正をしよう」、「説明不足、不十分な表現を改めよう」という気持ちになりつつあった。そうすれば、朝日が負った傷はもっと小さかったかもしれない。鮫島氏らの思いです。
「木村社長が新聞協会賞に申請すると意気込んでいる。第一報を修正することは、それに水を差す」との上層部の反対で動けなかったと、鮫島氏は主張します。
結局、朝日批判の風に抗せず、木村社長は「命令違反で撤退」の表現を取り消し、「読者、東電の皆さまに深くお詫びします」と、記者会見で述べ、後日、辞任しました。著者は「協会賞にこだわらなければ、別の結果になっていた」という思いであったのでしょう。
実は、鮫島氏自身も新聞協会賞にのめり込んでいたと思います。著書に「特報部は2年連続で協会賞を受賞した。原発事故の真実に迫ろうとした『プロメテウスの罠』、いい加減な除染を暴いた『手抜き除染』(筆者のチームによる)である」と、協会賞受賞を誇っています。
新聞業界にしか残っていないような選考方法(利害関係者による内輪の選考)に対する疑問を木村社長ばかりでなく、鮫島氏も抱いていなかったとしか思えない。「新聞協会賞病」に取りつかれていた。
そのほか、著書の巻頭に「本書に登場する主な人物」として10人のプロフィールが掲載されています。学歴まで載っており、10人中、東大5人、京大1人(筆者も京大)で、恐らく新聞界随一の高学歴会社でしょう。外部のライターが書く場合はともかく、朝日に在職した筆者ならそこまで書くべきものでない。
さらに「政治部のエースだった曽我さん」、「東大→朝日新聞のエリート記者である渡辺さん」、「灘高→東大→朝日新聞という経歴の中村さん」、「市川さんは特報部に社会部のエース記者数人を引き連れてきた」と。自慢の数々は読むものを不快にする。
筆者は「終わりの始まり」の章で、「この会社にはもう未来はないと確信した」と書きました。各章ごとに全国紙の販売部数の推移を示す一覧表が載っており、その凋落ぶりを強調しようとしています。
第1章では「朝日822万部、読売1003万部、毎日400万部」(1994年)、間を飛ばして最終章では「朝日466万部、読売710万部、毎日199万部」(2021年)などです。30年間で毎日は半分、朝日は6割、読売は7割に減りました。
誇張、捏造まがいの勇み足があったにせよ、新聞社の取材能力、問題提起能力は社会にとって不可欠な存在であり、ネット社会になればなるほど、必要です。それをどう継承していくのかを筆者に問いたかった。
原発を追い詰めるあまり、ウクライナへのロシア侵略に伴うエネルギー危機が深刻になり、原発が再浮上している現状を筆者はどんな思いで見ているのかも知りたいテーマでした。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年7月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。