マイナンバーカード陰謀論
河野太郎デジタル相が、現行の保険証をマイナンバーカードに一元化することを発表し、マイナンバーカード普及を一層推し進めることに関連して、様々な意見が錯綜している。
以前から、マイナンバーカードに健康保険証、運転免許証を紐づける方向性は示されていたが、河野大臣が記者会見で表明したことで、波紋が広がっているようだ。
多くの誤解の最大の問題は、個人情報が国に一元管理されることへの警戒感と、保険証や免許証を一元化することによる弊害が生じるのではないか?という誤解が広がっていることが挙げられる。
そもそもマイナンバーカード普及の目的や、その意義については総務省のHPを一目見れば分かる話で、それを見もしないであること無いことの噂を振り撒いていることは害悪でしか無い。
事実、例えばTwitter上でも都市伝説のように、あたかもマイナンバーカードに保険証や免許証を一元化すると、国家に個人の情報を明け渡してしまうことになり、それは個人の権利の侵害だとでも言いたい意見がある。また、国家が国民をコントロールする手段としてのマイナンバーカードであるかのように言う。それは、SF小説の読みすぎた勘違いに過ぎない。
その際たるものが、旧民主党政権下で審議され平成25年5月31日に公布されたマイナンバー制度(「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(番号法)」)であるにも関わらず、旧民主党の国会議員がマイナンバー制度による行政手続きの簡素化と行政サービスを円滑に進める国民の為の政策に反発している点だ。旧民主党の国会議員は記憶障害でも起こしているのだろうか?
先の拙稿でも触れたように、日本の左派リベラルは民主主義の基本的な理念を喪失していると思えてならない。
沖縄の基地問題も同じ
意味じくも、AbemaPrimeで議論になったように、沖縄の辺野古基地移転問題についても、沖縄県民は米軍基地があることによって虐げられているという、一見、人情味あふれる議論においてさえ、左派リベラルの民主主義を冒涜した主張が目立つ。
そもそも、沖縄県には多額の国税が投入されており、それは日本国民の血税であると同時に、民意の表れであって、つまり日本国民は押し並べて日米安保による応分の負担を担っている。
それらは調べれば分かる話であると共に、仮にそれだけ多額の沖縄県振興予算は国民の負担だと有権者が感じれば、予算を止める為に選挙という民主主義的な解決方法に向かうだろう。
これに対して、国庫から直接支出される額と地方交付税額から見れば、沖縄県は全国5位であり、決して特別視されるものではない、との論陣を張る意見も聞かれる。
国庫から支出される額と地方交付税を足して5位の沖縄県は、人口一人当たり、国庫から支出される額は年間26万円以上になる。
ところが、沖縄県の失業率はダントツで全国1位であり、また、生活保護費受給率も全国4位となっている。
ただし、私はその数字をあげつらって沖縄県民を批判したい訳ではない。
私が言いたいのは、それら現実の数字を取り上げてみた時、必ずしも沖縄県だけが辛い思いをしている訳でも、また流布されている噂として、沖縄県だけが美味しい思いをしているのでもないということを言いたいのだ。底には公平性を欠いた議論があまりにも多いと言いたいのである。
確かに、沖縄県には、米軍「だけ」が使用している面積としては、日本全体の7割があるのは事実だが、国際法上の相互主義の観点で見た時、米軍「だけ」が使用できる基地で日米安保は成り立たない。日米安保は両国の相互に信頼関係を基礎としており、日米が共同で使用する基地面積で見ると、20%程度の面積になる。
過去、米兵が沖縄で起こした事件は、殊更に大きく取り上げられることとなり、野党とメディアの大合唱で、沖縄県から米軍を排除せよとの世論誘導が行われてきた。では、他県にある米軍基地で沖縄県のような問題が起きないのは何故だろう?
確かに、沖縄の米軍基地には数多くの米兵が駐留している。そして、彼らは沖縄の街に繰り出し、酒を飲み、多くのお金を落としてくれている。それに対して、沖縄県民がその恩恵に預かっていないとは言えないだろう。また、米軍基地の維持には沖縄県の地元業者が深く関わっている。当然だが、基地周辺の地価は高騰し、人口が集中して一つの経済圏が出来上がっている。沖縄県民の中には、米軍が出て行ったら困るという意見も聞かれる。
何故、改めて沖縄の基地問題を取り上げるかと言うと、基地反対派の意見は声が大きいことでメディアを味方にして、沖縄県民の大半の意見であるかのように見せている点が問題だと考えるからだ。
果たして、本当にそれが沖縄県民の総意と言えるだろうか?
今回の知事選において、玉城デニー知事が辛勝したが、仮に自民党が応援する候補者との一騎打ちとなっていたとしたら、結果はどうなっていたかは分からない。下地候補が出馬したことで、票が割れたことは事実で、結果は玉城デニー知事がギリギリの票差で勝ったに過ぎない。私は下地候補が出馬しなければ、投票率ももっと上がっていたと考えている。実際、過去2番目の低さだった。
つまり、基地反対派にしても、実態は高齢化が進み、沖縄県内でも少数派になりつつあるのだ。
そこには、沖縄県の基地移転問題を利用した左派リベラルの民意を無視した手法が垣間見えるのだ。
また、左派リベラルの多くが、「お可哀想論」を唱える。沖縄県民は抑圧されている、沖縄県民は被害者だ、沖縄県民の苦しみは本土の人間には理解されない、と言ったものだ。
果たしてそうだろうか?
確かに沖縄は日本で唯一、戦地になった場所であり、長年、日本でありながらアメリカに統治されてきた。また、米軍基地があることで米兵が起こした事件も多い。
だが、その「お可哀想論」の本質はそこだろうか?
民主主義の敵はマスコミと野党とその支持者である
自民党政権は沖縄県民の民意を無視していると言う。
玉城デニー知事が誕生したことで、余計に沖縄の基地反対派が勢いを増しているかのようにマスコミは取り上げているが、実態は、今回のひろゆき氏の辺野古レポートで明らかなように、およそ沖縄県に無関係な左派リベラルが騒いでいるだけで、彼らの言い分の本質が沖縄県民「お可哀想論」だ。
実はこの沖縄県民に対する「お可哀想論」は、実際に米軍が存在することによる直接的な被害を受けた方は、基地が存在することの反対は理解できるが、県外から反対活動に参加している人の多くは、あたかも沖縄県民全体が米軍基地が存在していることの直接的な被害を受けているかのような印象操作を行なっている。ここが「お可哀想論」の本質でもあり、彼らは自分達が自分達の存在理由であるところの、批判のための批判の矛先を探しているに過ぎない。
その意味で、米軍基地があることによる沖縄県と沖縄県民への恩恵に触れないことは、それこそ民意の反映とは言えないだろう。ましてや普天間から辺野古に移転することでこれまでの利権を手放さなければならない連中が、基地移転に反対している実態もあるだろう。
基地反対派の多くは、辺野古に移転することのメリットなどどうでも良い。また普天間の基地は置いておいて、騒音被害や部品落下や米兵による被害を残しておいて欲しいのだ。この矛盾は、彼らが繰り返し唱える「民意の無視」が文字通り顕在化していると言って良い。
つまり、煎じ詰めると実は民意を無視して民主主義を無視しているのは、基地反対派であり、反対行動で辺野古周辺住民に圧力を加え続けている人たちなのだ。しかも、多くが県外から反対行動に参加している。それのどこに沖縄県民の民意が反映されていると言うのだろう?
そして、ここがとても重要なのだが、沖縄の米軍基地問題に反対と唱える立憲民主党、日本共産党、社民党は右へ倣えでマイナンバーカードの普及に反対している。
民主主義を無視するかのような行動に賛同し、同時に政府が行政サービスの円滑化に資すると繰り返し説明しているマイナンバーカードの普及に反対すると言うことは、ただの反対のための反対行動であり、そこに合理的な説明は一切ない。
笑い話にもならないのは、マイナンバー制度の法律を提出したのは旧民主党であるに関わらず、その後、自民党が立法したら反対する意味がまるで分からない。中でも蓮舫議員は自信満々で当時の高市総務大臣にマイナンバーカードの目的について質問したにも関わらず、高市大臣から、「あなたたちが立法したんだから、あなたたちの方が詳しいでしょ?」と盛大なブーメランを飛ばし、しかも国会の議事録に残る恥を晒している。
そして、マイナンバーカード陰謀論を撒き散らすほとんどが野党支持者であることも注目に値するだろう。彼らは都市伝説のような話を本気で信じて、自民党政権が続けば先制政治が続くかのような印象操作を行なっている。
合理的、論理的に反対するものは反対し、具体案を出せばいいのに、反対のための反対を行うから、国民のウケが悪くなるのだ。