安倍元首相への銃撃テロ以降、統一教会について外来の恐るべきカルト集団が政界を侵食しているかのごとく大騒ぎしたわりには具体的な統一教会対策は被害者救済が主になりそうである。注目を集める宗教法人法に基づく解散措置は統一教会を任意団体に変えるに過ぎず批判される同教会の行動(霊感商法等)を消滅させることはできないからだ。
統一教会対策の主が被害者救済となるとここ四ヶ月半にわたる騒ぎはなんだったのかとの焦燥感が強まる。統一教会報道と統一教会対策の落差は大きい。
統一教会が問題ある団体でその信者による霊感商法・高額献金の要求・政治家との接点が深刻なことであるというならば統一教会の結社の自由を否定し信者を逮捕・収監すればよい。日本国憲法は公共の福祉に反する権利の行使を否定している。全くの合憲である。
統一教会信者を刑務所に入れてしまえば霊感商法・高額献金の要求・政治家との接点といった問題は生じない。これらのことは収監中にはできない。満点の解決法だ。
今からでも遅くはない。統一教会批判者、具体的には立憲民主党・日本共産党・日本維新の会・朝日新聞・毎日新聞・東京新聞その他左派マスコミは統一教会信者の逮捕・収監を主張すべきだ。主張しないならば勇気がない者と言わざるを得ない。
7月8日以降、突如出現した統一教会批判者は端的に言えば勇気がない者である。勇気がないから統一教会の結社の自由も否定できない。勇気がないから元信者の偽装の可能性を疑わず直ぐに「被害者」と評価し、その主張を鵜呑みにする。そして大騒ぎしたわりには被害者救済程度のことしか言えないのである。
勇気の程度はどうであれ被害者救済は結構なことではないかと思う者もいるだろうが、一連の統一教会報道で貶められているのはテロの犠牲者たる安倍元首相の名誉なのである。
被害者救済という観点から言えば安倍政権下で消費者による霊感商法の取り消しを認めた消費者契約法の改正が実現したのだから、安倍政権は統一教会の被害者救済に着手していたと評価できる。
安倍元首相が統一教会に対し「配慮」「遠慮」の意識があったならば消費者契約法の改正は実現しなかったと考えるのが普通だろう。現在の被害者救済論は安倍政権下の延長線上にある統一教会対策に過ぎない。左派マスコミが流布する「銃撃事件以降、統一教会へ注目が集まり被害者救済へ…」の文脈にはない。
私達はまずもって7月8日で起きたことは「民主主義への重大な挑戦」であり、テロ以外の何物でもないことを強く意識しなくてはならない。
そしてテロの犠牲者たる安倍元首相の名誉は絶対に守らなくてはならない。安倍元首相の名誉を守ることこそが民主主義、そして私達自身の自由を守ることに繋がる。
そのためにも安倍元首相の名誉を貶める統一教会報道に強く抗議しなくてはならない。
同時に着手すべきことはテロ対策であり、具体的なそれは選挙期間中における立候補者・国会議員の警護体制の充実で警護に従事する警察官の訓練方法の見直し・国家公務員資格の警察官から成る警護専従部隊の新設など色々あるが、一番良いのは不審者を立候補者・国会議員に近づけないことである。警護に従事する警察官に不審者の接近を防止する権限を付与する、例えば長時間・長距離にわたり国会議員につきまとう者に対し警察官による行動停止命令の権限を付与するなどが挙げられる。
現行の警察官職務執行法は具体的な危険・損害のおそれがある場合でしか人を制止できない。現行法に不備があるのは明らかである。
不審者の接近を阻止するテロ対策を推進すれば演説妨害目的の野次を正当化する左派マスコミから強い反対論が主張されるのは確実だが、それを乗り越えなければならない。
安倍元首相の名誉を守り、具体的なテロ対策に着手する。これこそが私達の自由を守るためにも現在、最も必要なことなのだが、残念ながら岸田首相には期待できない。
岸田首相は「反統一教会というカルト」にのめり込みテロ対策を忘れている状態である。末期的という他ない。