黒田総裁にとってのサプライズ
これほど次々に異次元金融緩和政策の転換を迫る声に包囲されるとは、黒田日銀総裁は予想していなかったに違いありません。市場に数々の「サプライズ」を与えてきた黒田氏にとって、今回の流れはご自身にとっての「サプライズ」でしょう。日銀の歴史においても異例です。
令和国民会議(令和臨調)は30日、「異次元金融緩和が過度な財政支出や規制緩和の遅れを招いた」「超低金利で財政のばらまき、ぬるま湯的な環境が生まれ、リスクに挑む企業が少なくなった。そのため日本の生産性は13年の1.1%から最近では0.5%に低下した」と、鋭い声明を発表しました。
26日には、国際通貨基金(IMF)が日本の金融緩和の修正案を盛り込んだ声明(対日経済審査)を発表したばかりです。「0.5%に抑えている長期金利の変動幅の拡大」「金利操作の対象を10年債より短い期間の国債に移す」など具体的です。内外の市場関係者も同じことを主張していました。
日米金利格差が開き、150円まで円が下落(円安)し、海外の資源価格の高騰と重なり、国内物価が上がり始めても、日銀は動こうとしませんでした。やっと11月20日、この変動幅を0.5%に引き上げ、事実上の利上げに踏み切りました。その後はまた動きが止まったので、包囲網となったのでしょう。
11月の利上げは、物価上昇に苦しむ国民の声に政治が反応し、日銀に圧力をかけた結果だと私は思います。1月19日の読売新聞の連載「大規模緩和10年」では、「岸田首相と黒田総裁が11月中旬官邸で面談した。市場との対立をいとわぬ黒田氏の物言いには苦言を呈した」とあります。動かぬ黒田氏に不満の官邸筋が新聞に書かせたのでしょう。
黒田氏が11月になって動いたのは官邸の圧力でしょう。その後、黒田氏はまた動きを止め、年を明けて、1月18日の政策決定会合では、「大規模緩和の維持を決めた」とだけ明言しました。硬直的な姿勢をとり続けるのは、10年にも及ぶ異次元緩和の失敗を自分に任期中に認めたくないからに違いない。
そうこうするうちに、IMFの対日勧告(26日)で、ずばり政策転換のポイントを突かれたのです。令和臨調(30日)はもっと厳しい評価で、「金融政策では構造的な改革はをできないし、10年もの長期にわたり、緩和を続けるべきものでなない」と、核心的な問題に迫っています。
黒田氏は、「次の新総裁が政策修正をするのならやむを得ない」という心境でしょう。2月に岸田首相は正副総裁の人事案を国会に示すといっています。新体制が動きだすのは3月です。黒田氏は4月の任期切れを繰り上げて3月に退任するでしょう。
繰り上げ退任でも、昨年11月から今年3月まで4か月も、金融政策が空白となることになります。経済、マネー市場は人事異動のタイミングに合わせて動いてくれるものではありません。
物価上昇は12月が4%、1月の都区部が4.3%の上昇で、世界の動きを追うようにこれからもっと上がる。「粘着インフレ」(日経)といって、金融引き締めに転換しても、一度上がったらなかなか下がらないものも多い。
「さらに過去19のパンデミックを調査してみたら、その後遺症は20年ほど続く」という分析を渡辺務東大教授が紹介しています。「コロナによる消費者、勤労者、企業行動の変容を反映し、異なる価格体系に移行していく」(渡辺氏)とするならば、物価は高止まりするかもしれない。
「黒田包囲網」はまだあります。白川・前日銀総裁がインタビュー(朝日新聞、31日)で、「金融緩和が長期化すると、それを前提に政府、企業、家計の行動が変わる。新陳代謝の遅れによる生産性上昇率の低下、1971年水準にまで戻った円の実質為替レートの下落などは象徴的だ」と、黒田氏の金融政策を批判しています。
黒田氏は「大規模緩和は維持する」を繰り返すだけで、どういう手法で金融緩和政策を変えていくのかを明らかにしませんでした。次の総裁が誰になるにしても、出口論についても国会で質疑を受ける。新総裁候補の発言に市場は踊らされ動揺する。
黒田氏は出口論を明かさないまま、日銀の出口から去る。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年1月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。