生活者の企業観の変遷と「企業不祥事の公表」について考える --- 山口 利昭

アゴラ編集部

一部の新聞でも報じられておりますが、財団法人経済広報センターさんが、第15回生活者の企業観に関する調査結果を公表しておられます。「企業を信頼できる」と回答した方が43%(前回よりも8ポイント下落)と、調査以来初めて下落したそうであります(朝日新聞ニュース)。朝日が報じているように、おそらく昨今の企業不祥事のイメージが生活者の意識に残っていることによるものかと思われます。


個別のアンケート集計結果のなかで興味深いのは、「企業からの情報で不足していると思われるものは?」との問いに対して、「不良品や不祥事に関する情報」で57%と最も多く、次いで、「企業の社会的責任に関する方針・行動指針に関する情報」(38%)、「企業理念やビジョンなど、経営の考え方に関する情報」(37%)とのこと。その一方で生活者の方々は、商品・サービスを購入する際、何を重視して決めるのか、という問いに対して「不祥事を起こしていない企業の商品・サービスを優先して購入を決める」(2011年度27%、2010年度21%)との回答が増えております。

つまり生活者にとってみれば、不祥事を起こした企業は、その不祥事情報は誠実に公表してほしい、と願う反面、不祥事を起こした企業の商品は買わない傾向にあるわけでして、企業業績に及ぼす影響を考えるならば、(できることなら)不祥事を隠して商品を売る、というインセンティブが企業に働くことが考えられます。とくに消費者の安全・安心に関わる商品であれば、不祥事情報は商品の売上に直結するものでしょうから、「できることなら墓場まで持っていく」つもりで自社の不祥事は隠したいところでしょう。

もちろん本当にバレる可能性がないのであれば、(取締役の信用回復義務なる発想がそもそも出てこないわけですから)それはもはや法律の世界ではなく、企業倫理や経営理念、トップの経営方針に拠るところの話だと思います。しかしこれだけ内部告発やネット上の犯人捜しが横行する現代社会において、本当に墓場まで持って行ける不祥事がどれだけあるのでしょうか? 今朝(3月12日)の日経法務インサイドでも話題になっておりますように、急激なSNSの発展によって犯人探しがあっという間に展開されます。以前、当ブログで「日清ラ王騒動」を取り上げましたが、高齢者の朝日新聞への投稿記事が発端となって、2ちゃんねるで犯人探しが始まり、わずか半日で日清食品さんの問題行動が発覚、翌日に謝罪広報となりました。日清食品さんの対応は極めて速やかなものでしたが、後日、不祥事が「発覚」してしまった場合、自ら公表する場合とはくらべものにならないくらい「安全、安心」への信頼は喪失されることになります。「不祥事発覚の可能性」を十分に検討しない場合は、リスク管理体制の構築に関する問題となり、役員の善管注意義務違反が法的責任として問われる事態となります。

それでは不祥事を公表することで事業自体が継続できなくなる可能性が高いケース、逆に公企業に近い法人で、不祥事隠しが非難されて信用が落ちても、売り上げが落ちない企業のケースではどのように考えればよいのでしょうか。こういったケースでは、レピュテーションリスク(編集部注:悪評など風評で企業イメージが損なわれるリスクのこと)の恐ろしさを経営者が共有できないため、不祥事を隠すことへのインセンティブが高まるように思われます。しかし「不祥事の公表」は企業の隠ぺい体質を体現するものとして企業の社会的評価に関わるリスクと考えられるだけでなく、企業による情報提供の一環とも言えるものと思います。企業が財やサービスを国民に提供している以上、その商品を世に出す企業は(通常の耐用年数に至るまで)国民の生命、身体、財産の安全を確保する義務があります。たとえば商品リコールは、企業だけで判断するものではなく、国民との情報のやりとりのなかで国民と一緒に(その要否および原因を)判断する、というアメリカの思想があります。企業が国民に情報を提供しない、ということは、当該企業が世に出した製品の安全性を保証しないことを意味するのであり、パロマ工業事件刑事事件判決のように経営者には厳格な法的責任が認められる場合が生じます。これはリスク管理の領域を超えて、企業経営の根幹に関わる問題だと理解しております。

「不祥事」といっても、公表しなければならないほどの重要性があるケースはそれほど多くないと思いますが、たしかに上の調査結果からすれば、不祥事を発生させてしまった企業の商品は(公表することで)一時的には売れなくなってしまうかもしれません。しかし「自浄能力」のある企業であることを発信すれば、市民と企業との間における信頼関係を、かろうじてつなぎとめ、名誉挽回のチャンスは訪れるものと思います。いっぽうで、公表しないことが後日発覚する企業では、もはや社長がなんと弁解しても国民からは信頼されず、社会的責任を全うできない企業、というイメージがいつまでもつきまとうことになるかと思われます。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年3月13日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。