アメリカとイスラエルのイラン攻撃は、長期化の様相をみせている。イスラエルが最高指導者を暗殺し、イラン領内のミサイル基地を徹底的に爆撃してもイランの反撃は続き、湾岸諸国の米軍基地や淡水化プラントの爆撃が始まった。
ホルムズ海峡は閉鎖されたたままで、再開の目途は立たない。G7は緊急会合で備蓄の放出を決めたが、原油価格はバレル100ドルを超えた。同じような事件が半世紀前に起こったが、その本質的な原因は石油の不足ではなかった。

CNN
世界が「石油ショック」に震撼した53年前
1973年10月6日、第4次中東戦争が始まったのを受けてOPEC(石油輸出機構)がイスラエル支持国への原油の輸出を禁止すると発表し、ペルシャ湾岸諸国は原油価格を3ドル/バレルから11.65ドルに引き上げた。これが第1次石油ショックである。
それまで原油価格は国際石油資本(メジャーズ)が支配し、数ドル程度に抑えられていた。戦後の世界経済を支えたのは低価格の原油を使った重工業だったが、それは石油ショックで大きな転換を強いられた。
日本でも高度成長期には京浜工業地帯に代表される重化学工帯が成長の中心だったが、石油ショックで「重厚長大」の製造業は日本から撤退した。1974年の実質GDP成長率は戦後初めてマイナスとなり、それまで平均10%近かった成長率は大きく下方屈折した。石油ショックで、エネルギー多消費型の高度成長は終わったのだ。
石油ショックの主犯はOPECではなかった
実は原油価格そのものの影響は大きくなかった。原油価格は4倍になったが、その消費者物価指数に占める比重は数%である。ところがトイレットペーパーの買い占めなどのパニックが起こって、物価は2年間で45%も上がる狂乱物価が起こった。
その原因は過剰流動性だった。日銀は1971年からマネタリーベースを40%以上増やし、物価を10%近く上昇させていた。これは「ニクソン・ショック」後の円高を抑えるための調整インフレだった。つまり狂乱物価の主犯は、OPECではなく日銀だったのだ。

70年代の通貨供給と物価上昇率(%)日銀
発端は11月1日に、千里大丸プラザが特売チラシに「紙がなくなる」と書いたことだった。これは「安くて売り切れになる」という意味だったが、パニックになった主婦が店頭に長い列をつくり、2時間のうちにトイレットペーパー500個が売り切れた。これをテレビが大きく報じたため、日本中で紙が売り切れ、紙の価格は1ヶ月で2倍になった。

千里ニュータウンのトイレットペーパー騒ぎ
OPECが原油の禁輸を発表したのは10月20日だから、日本ではまだ何も影響は出ていなかった。しかしこの小さな事件が大きく報道され、蝶の羽ばたきが竜巻を起こすようなバタフライ効果が起こり、石油製品の値上げの何倍ものインフレが起こったのだ。
インフレが起こったとき、総需要を追加してはいけない
その結果、物価は25%上がり、これが賃上げ圧力となり、翌年の春闘では平均33%の賃上げが行われ、それがさらにインフレを呼ぶ賃金・物価スパイラルが発生した。
だが1979年の第2次石油ショックのときは、日銀の前川総裁が公定歩合を9%に上げたので、物価は8%しか上がらなかった。このときも世界的には2倍を超えるインフレになって英米経済は疲弊したが、日本は石油危機からいち早く立ち直って低燃費の小型車が爆発的に売れるようになり、日本経済が世界のナンバーワンといわれるようになった。
石油ショックの教訓は、インフレが起こったとき総需要を追加してはいけないということだ。1970年代に欧米では、インフレで失業率が上がったため、財政・金融政策で総需要を拡大したが、それがかえってインフレを加速して、長期にわたるスタグフレーション(インフレと不況の同時進行)が続いた。
この経験から考えると、500兆円以上のマネタリーベースが日銀に「ブタ積み」になっている現状は、日本経済にガソリンが充満しているようなものだ。今までは20年以上ゼロ金利が続いたので、国民はインフレに慣れていないが、マネーストックは2020年のコロナ給付金で激増し、その影響が徐々に出ている。

マネタリーベースとマネーストックの前年比増加率(%)日銀
与野党がバラマキ財政や減税を競い、賃上げ圧力が強まっている状況は、50年前とよく似ている。こういうときイランが淡水化プラントの破壊で報復すると何百万人もの難民が出て、中東全体の石油供給が麻痺してしまう。石油は250日間の備蓄があるが、53年前にも供給は遮断されなかった。エネルギー価格の上昇が経済を破壊するのだ。





