(右翼さん以外のための)『川口市のクルド人問題』まとめ

倉本 圭造

埼玉県蕨市と川口市周辺に集住しているクルド人と現地住民との間の軋轢はSNSでも度々話題になっていますが、先日蕨駅前の外国人排斥デモに対してクルド人群衆の一人が「日本人●ね!」と叫んだという動画(ただし諸説あり)が出回っていて、さらに相互憎悪が募る結果になっています。

「アベマプライム」でも取り上げられていました(トップ画像は番組映像から)。

ただ、この番組↑、あまり背景情報とかをちゃんと取り込まずにテキトーに印象論をぶつけあって終わってしまったような感じになっていて、ちょっと良くない扱い方だったように思います。お互いに余計に不満がたまる感じで。

一方で、今月はじめにこの問題がNHKで取り上げられた時の内容が以下のウェブサイトにまとめられていますが、こっちの方は断然背景が深堀りされていて、SNSでの「右と左の罵りあい」から距離をおいて川口市の関係者がなんとか問題を解決しようと具体的に模索している姿が伝わってくるところがありました。

埼玉・川口市がクルド人めぐり国に異例の訴え なぜ?現場で何が?

埼玉・川口市がクルド人めぐり国に異例の訴え なぜ?現場で何が? | NHK
【NHK】埼玉県川口市で2023年7月、病院に100人近くの外国人が集結する騒動が発生しました。川口市ではトルコから来たクルド人のコミュニティーが拡大し、ゴミ出しのルールや生活習慣などの違いによる、住民との摩擦も目立っています。一方、クルド人をめぐっては支援が必要だという声も上がっています。そうした中、川口市が国に政策...

ただ、このNHKの番組も、予備知識ゼロの状態からパッと読んだだけではよくわからない事が沢山ある感じなんですよね。

そもそも、この問題については、

・状況の細部を理解せずに「ガイジンどもを叩き出せ!」って脊髄反射する人たち

が問題をややこしくしているだけでなく、

・状況の細部を理解せずに「この差別主義者どもめ!レイシストを許すな!」と脊髄反射する人たち

…も、同じぐらい問題を余計に難しくしているところがある。

そういう両極端な情報の乱舞の中で、「実際どの程度の事が起きているのか」を知りたい普通の人はこの問題をどう考えて言いのか戸惑ってしまう事になっている。

というわけで今回は、SNSでの「よくある罵りあい」とは離れた客観的な視点での、この問題の冷静なまとめと、今後どうしていったらいいのかについての提案を書きます。

また、上記のNHKの番組に専門家として出演されていた一橋大学の橋本直子先生は僕の大変仲の良いお友達でして、番組終わってから二時間ぐらい個人的に色々と詳細なお話を聞く機会があったので、その話もします。

1. まずは「クルド人の特殊事情」を前提として知る事が大事

まず、この問題について多くの人が誤解しているのは、クルド人問題は他の外国人の場合とかなり違う事情があるということなんですね。

いわゆる正規の「在留資格」を持った人ではない人がかなり含まれていて、実態としての人数も把握しきれていない。

ちょっとあえて批判的な言い方をすると、査証免除措置(トルコ国籍者は観光ビザも不要)で来日したあと、そのまま勝手に居着いてしまって既成事実化し、「難民申請」をすることで「申請中」の宙ぶらりんの状態で長期間滞在して子供も産んで…という形になっているクルド人が多いってことなんですね。

そのあたり、川口市の他のメジャーな外国人集団である中国・韓国・ベトナムの人々とはかなり違う状況なんですよ。

クルド人問題について議論する時に、「この部分の話」を無視したままだと、例えば川口市長だったり川口市の議員さんだったりが言っていることが物凄く排外主義的に見えちゃうのが注意が必要で。

「正規の在留資格」じゃないから、就労許可がない人もかなりいるし、健康保険への加入も不可になってしまっている人も多く、実態として「制度の谷間」にいる人が沢山いる状態なんですね。

そこには他の外国人とは全然違う難しさがあって、そもそも正規の在留許可がなければ「住民票登録」もしてないからいったい何百人、何千人いるかも正確にはわからないし住民税も払っていない状態が続いている。

それでも市内で子供が生まれたら面倒を見なくちゃいけないし、公教育でも受け入れなくちゃいけないし、”無保険者”がかなりの数でいると考えられる中で病院でのトラブルも解決しないといけない川口市の担当者から見たら切実な問題なんですよ。

こういう”制度の谷間問題”に対して、川口市自体は自分たちのできる範囲でかなり頑張って小中学校で差別なく受け入れようと取り組んできた事実があると思います。

スマホ片手に「クルド人の人たち可哀想ぉ〜日本のレイシストどもなんか●ねばいいのに!」とかSNSで発言して、10分後にすっぱり忘れちゃえる人たちの目線で解決できる問題ではない。

このページのはじめに貼ったアベマの番組はそのあたりの細部の事情をあまり番組スタッフが理解しないまま討論していて、出演されていた川口市議の荻野さんの立場がかなり悪いような感じになっていて可哀想でした。

一方でNHKの番組の方は、番組のオファーをもらってから一橋大学の橋本先生がかなり必死に番組スタッフにレクチャーして、日本の難民認定制度の詳細や世界各国の実情をちゃんと理解してもらうことから始めたそうです。

こういう制度上の問題というのは非常にややこしくて、ある程度専門家寄りの人ですら油断していると年々行われる細部のアップデートについていけなくなってしまったりするらしい。

この「背景情報」を深く知った上で考えないと、

・欧米の国でも普通にやっているような出入国管理上の当然の国家の権利を行使しているだけ

…の側面に対しても、

・〇〇人の人たち可哀想・・・日本政府はなんて非人道的で悪辣な制限をかけているのだ!最悪の人権抑圧国家だな!!!

…みたいな印象になってしまう。

そしてこういう誤解は入り組んでいて、ある側面に関しては日本政府のやり方が確かに非人道的に見える側面はあって改善を求めるべきだ(例えばクルド人にトルコ国内における迫害の実態が全くないとも言えない中、日本での難民申請はほぼ認められることはないという点など)けれども、それを「欧米でもどこでもやっている国家の当然の権利行使」まで破壊してしまわないように細部の制度を深く読み込んで適切な改善提案をしていく事が必要になる。

NHKの番組の当初の意図は、単純に「クルド人の人たち可哀想」という話になっていく流れがあったところ、橋本先生のレクチャーによって、

・とはいえ川口の住民の方々の懸念にはちゃんと対応しないとね
・そのためにも、出入国管理制度をどうするのか?という専門的な見地から、適切な着地点を探る必要がありますね

…という方向性に転換できたらしいです。

これはSNSでのいわゆる「排外主義」的な盛り上がりに対してどう対処していけばいいのか?を考える時にも大事なステップとなるはずです。

つまり、単純に

・「川口市住民の懸念などレイシズム(差別主義)に過ぎない」
・「クルド人に在住許可が出ていないのは、欧米では考えられない人権抑圧国家である日本政府の悪辣さが原因だ」

こういう↑シャットアウト型の発言はそれ自体かなりアンフェアなものを含んでいて、こういう発言をリベラル側がすればするほど、「排外主義」は止めようがなくなるだろう、ということです。

では、橋本先生が提唱されているような「一歩踏み込んで受けて立つリベラル」のあり方とはどういうものでしょうか?

2. 川口市は今どれくらい「危なく」なっているのか?

川口市の問題にどう対処すべきかを深堀りしていく前に、まずは基本的な事実のおさらいなんですが、SNSを見てると北斗の拳的な「修羅の国」になってそうな印象になっている川口市は、どの程度「キケン」になっているのか?という話をします。

まずこの問題を考える上での基礎知識は、日本というのは過去20年ぐらいの間に「物凄く安全な国」になってるってことなんですよね。

一般的なイメージとしては「物騒な世の中になってるよねえ」ってみんな挨拶みたいに言ってますが、実際に刑法犯認知件数みたいなのは平成中期(平成14年=2002年がピーク)が一番高くて、そこから強烈に右肩下がりのグラフになっているんですよ。

だから、クルド人問題があろうとなかろうと、川口市のグラフも「この20年で強烈に右肩下がり」にはなっているんですね。

これは川口市が発表している資料からですが…

ただし!ここからが問題なんですが、20年間下がり続けてきたグラフが、令和3年以後ジワジワ増え始めてるんですね。

これは全国的な傾向で、コロナ明けの社会混乱に戦争始まったりインフレがあったり…というわけで、ほとんど世界中で同じように犯罪率は増加していると思います。

以下は警察庁発表の”全国の”グラフですが…

ある意味で現時点ではまだ「コロナ前の水準に戻った」という程度ではありますが、直近の%としては結構な伸び率(前年比17%)で伸びている。

さらにフェアに見ると、川口市単体のデータはまだ令和5年全体では発表されていないのですが、入手可能な令和3年→令和4年で比較すると、全国で5.8%程度に対して川口市は8.9%程度伸びています。この差が「クルド人(に限らず外国人)ファクター」だと主張するのは全く根拠がないとも言えないかもしれません。(”外国人による犯罪”としてカウントされている実数を外国人人口あたりで見ると、日本人一人あたりよりはある程度多めに出がちな傾向ぐらいは見られる。ただし正規の在留許可でなく公的に把握できてない滞在外国人が想像以上に沢山いるだけの可能性もあって証明はできません)

ただ、NHKの番組で橋本先生もおっしゃっていた通り、「実数としての犯罪率の増加」よりも問題なのは、「体感治安」の方の問題で。

これはたまたま昨日見つけた明星大学心理学部教授の藤井靖氏のxポストですが、

私自身も去年の夏の夜(23時頃)、出張の帰りに川口市近郊のあるコンビニに寄ったら、駐車場で外国人4、5人が酒盛りしてたんですね。
深夜に大声で話していたので嫌な感じはしましたが、気にせず普通に停めて、買い物してたら自車からバーグラアラーム(盗難防止警報装置)が鳴り響き、外を見たらその外国人たちが私の車をベタベタ触ったり、ドアノブをガチャガチャやったり、身体を押し付けて揺らしてるわけですよ。今にも上に乗ろうかという勢いで。
ちょうどレジだったので、コンビニの店員さんが、やれやれ感のある表情で「あれクルド人ですよ・・」と。
私が会計して外に出たら、すぐにビール缶片手にニヤニヤしながら離れていきましたし、車を盗もうとかでは無かったと思いますが、こんなん日本で普通に暮らしてて、あります?!治安が微妙な近所の都心某所でも、さすがにこんなことは経験ありません。
こんな日常だったら、そりゃあ川口に住んでる日本人は、自分や家族を守るため泣く泣く引っ越しを検討せざるを得なくなるわな、と思いました。これって、埼玉だけの問題じゃないですよね。ゆくゆくを考えたら、国が今ちゃんと対処しなきゃいけないですよね、いやマジで。

藤井靖氏のxポストより

↑大学教授らしくまあまあフェアな書きぶりですが、彼ら(クルド人)も「悪気」とかはなさそうというか、日本だと盗難防止装置が作動するほど他人のクルマに近づいて触ったりするのはかなりヤバいこと・・・という理解が薄い感じなのだと思います(海外じゃあの”警報”が鳴っててもいつもの事すぎて平然としてる国も多いですよね)。

こういう「価値観のギャップ」を抱えた集団が数千人単位で隣接して暮らしていればトラブルも当然起きる。

他にもSNSを見ると、クルド人の若者が乗ってるクルマの暴走運転とか、過積載で危険な荷物の運び方をしているトラックの映像はよく見かけますし、昨年クルド人の若者同士の喧嘩から病院で二派に分かれて100人が集まり乱闘になった事件があったらしく、そのあたりが住民の「体感治安」の悪化原因になっているらしい。

まとめると、

・現状では、「2002年の日本と比べるとまだ圧倒的に安全」というレベルではある(”修羅の国”ではない)
・ただし、データ的にも「全国比数%」の治安悪化が見られると言えなくもないし、なにより価値観の相違からくる「体感治安」の悪化は明らかに具体的な課題になっている

…という状況だ言っていいでしょう。

SNSでは、「警察はクルド人に対して弱腰で、日本人なら捕まってるような件が大量に見逃されているからこういうデータになっているので、もっと実際の治安は最悪になっているのだ」という話をする人もいますが、そういうのがゼロだと主張する根拠はないものの、クルド人は川口市の人口の1%もいない(約60万人に対して約数千人)事を考えると、少なくとも2002年の日本より圧倒的に安全だ、という主張は揺るがないレベルだと思います。

こういう「イデオロギーから統計を疑ってかかり、巨大な暗数があるに違いないと言い出す」みたいな話は、一部のフェミニストが日本には巨大な性犯罪の暗数があると言い出す話と似ていて、別にそうやって「”あの米国”より日本の方が犯罪が多い」みたいな無理やりな統計数字を妄想しなくても、例えば「痴漢だとか映画監督が女優に性行為を強要とか、そういう事件はなくしていきましょうね。女性の社会進出上の障害があったらできる限り解決しましょうね」っていう話を共有できれば十分なわけですよね(むしろ無理のある陰謀論をぶつ事は逆効果になってる側面があると思います)。

クルド人問題も同じで、

「(クルド系住民の影響と証明はしづらいにしろ)数%とはいえ全国比より治安の悪化が見られるし、何より価値観が全く違う数千人と共生する中でトラブルも増えているので何らかの対策が必要ですよね」

…という部分さえ共通了解にできれば十分なはずだと思います。別に「川口はもう普通の人は住めない修羅の国になってしまってるのだ!」と主張する必要はない。

全体として個人的な印象を述べさせてもらうと、

今の日本人の平均からするとヤンチャが過ぎる「ろくでなしBLUES」とか「東京リベンジャーズ」型の価値観で生きている血気盛んな集団が数千人も現代日本の街に転生してきたらトラブルになるのも当然

…というようなレベルの事が起きているのだと理解すれば実態をイメージしやすいと思っています。

3. 「受けて立つリベラル」の必要性

さっき書いた、「ろくでなしBLUES」とか「東京リベンジャーズ」型の直情型の人間が羊のような現代日本人社会に数千人転生してきたイメージを持ってもらったらわかると思いますが、これは明らかに「対策は何かしら必要」なんですよね。

右翼さんのメッセージは「何か対処しなくては」の部分においては圧倒的に正しくて、なぜならそのままほうっておくと「ゲットー化」していって、欧米で今起きているようなもっと強烈な排外主義運動に進展していくのはほぼ確実だからです。

今の時点で明確な方針を決めてちゃんと対処していかないと大問題になることは目に見えている。

だからここに必要なのは「受けて立つリベラル」なんですよ。

SNSでは「ガイジンどもは叩き出せ!」とか「ガイジンを見たら即職務質問しろ」みたいなレベルの取り締まり強化を求める声も沢山ありますが、21世紀の先進国でそんなことできるわけないですよね。

その「リベラルとして守るべき線」を引きつつこの問題に対処していく事が必要になる。

この問題に対する警戒感を持つ市民の気持ちを「レイシストめ!」と否定してかっこつけるのではなくて、

・その「市民の警戒感」を受け止めたうえで
・「リベラルとしてOKなやり方で」その問題に取り組む

…そういう「受けて立つリベラル」が今必要とされているわけです。

たとえば埼玉県警はトルコ語がわかる警察官を雇う事にしているらしいですが、普通の日本人の場合、警官との間には「交番フィロソフィー」的な日常的な本能レベルの牽制関係というか「お互いさま」関係を持てているわけですよね。

だから米国みたいにもう普段の「警察との信頼関係」が雲散霧消してしまっていて、何かあったらもう銃撃戦に突然なっちゃうような形にならずに済んでいる。

一方で、クルド人社会の中だけで育ってしまったクルド人にはそういう「阿吽の呼吸」はわからないわけですから、ある程度タッチポイントを意図的に作って、一緒に日本社会が持つ秩序感の形成への参加を求めていく必要がある。

それを「どう考えても差別」っていう形にならずにやるには、排外主義者にまかせてたらダメなわけで、リベラルが率先してこの問題に主体的に取り組んで、ちゃんとマンパワーをかけて対処していかないといけないわけですね。

アベマプライムのYouTube版ではカットされていたんですが、公式サイトのフルバージョンでは、最後の最後でEXIT兼近さんが凄い良いことを言ってたんですよね。(31分〜以後)

ざっくり意訳すると以下のようなことです。

兼近さんは自分が結構「悪い」育ちをしてるから、何が良いことで何が悪いことなのか、ちゃんと教育されずに成長して、その後有名になってからそのギャップに苦しんだ。でもその後色んな人に「そういうことはしちゃダメなんだよ」と教えてもらって、だんだん世の中のルールが理解できてきた。外国人の人も同じだと思うし、でもそれを「ちゃんと教えてくれる人」がいないと、何もわからないままルールを破ってしまって、それでそういう人がほんの一部だとしても、クルド人全体の悪印象になってしまう。そういうような連鎖が起きていったら絶対ダメだから、なにかちゃんと「教えてあげる」コミュニケーションを取れる仕組みを作ることが、受け入れるには必須だと思う。

めっちゃ意訳してるんで、ぜひフル動画を見てくれたらと思います。

これ、前に僕自身がアベマプライムに出た時にも思ったんですが、兼近さんってめっちゃ「聞き上手感」のある人で、兼近さんがいることで僕も番組中に凄い話しやすい気持ちになった印象があるんですよね。

理屈に頼らない自分の実感ベースで、他人の意見を偏見なく受取り、また偏見なく自分の意見を言語化できる人だと思います。

その後川口市議の荻野さんが川口市の小中学校の取り組みを話しているときも、兼近さんは「それを子供だけでなく親の方までリーチしないといけないのでは?制度が周知されきってない部分が問題なのでは?」みたいなめっちゃ的を得た意見を言ってて凄い良かったです。

ただその後は、実際にそういう取り組みが川口市で行われている話には行かず、クルド人のマヒルジャンさんと荻野市議との噛み合わないぶつかりあいみたいになって終わってしまって残念でしたね。(しかもアベマがYouTube版を編集するときにそのしょうもない言い争いの部分を残して兼近さんの発言をカットしてるのは最悪だったと思います。一番”険悪そうに見える”部分だけを残して火に油を注ごうとした意図があったと言われても仕方がない)

要するに、「警察力の行使」に対して過剰に反対するリベラル的心情もある種の「現実レベルの無責任さ」を持っている問題があって、そりゃ「中東系の顔つきを見たら即職務質問しろ」みたいなのは明らかにNGですが、少なくとも「血気盛んな」クルド人の若者からすれば、遠巻きに放置されてるより始終巡回しているちょっとしたトルコ語も話せる警官と「なんとなくお互い顔は知ってる」ぐらいの状況に持ち込んでいくことはある意味で「差別をしない」ために大事な発想であるはずだということです。

また、日本語教育にちゃんと予算をつける流れも起きていて、まだまだ不足はあるでしょうがなんとか公立小中学校が外国人子弟を包摂できるように努力している流れはある。

特に、日本人でも「個人主義者寄り」の人の中には大嫌いな人もいる(笑)、「生徒全員で掃除をするような」日本の義務教育文化が持ってる「おせっかい力」ってなかなか世界的にも凄いらしくて、過去10年〜20年の間在日外国人が増えたのに日本政府がちゃんとその対策を公式にはしてこなかった中、当面はその物凄い「おせっかい力」だけでなんとかギリギリ包摂してきた側面があるそうです。

その「草の根のおせっかい力」にちゃんと公式の政策的なサポートもしたうえで、キチンと『現実への責任感を持ったリベラル』的良心を持って活かしていけば、欧米版とは明らかに違う「文化統合策」が可能になるように私は感じています。

日本における移民問題は、そういう「おせっかいの輪」みたいな日本人なら普通にその中に取り込まれているようなモノにも、ちゃんと参加してもらえるように意識的にタッチポイントを作っていく事が、むしろ「差別しない」ために大事なことであるでしょう。

子どもたち相手だけでなく、「親」世代にもちゃんと日本語教育をして、日本語を学んでもらい、日本の風習にも慣れてもらう取り組みも行われているというのは、NHKの番組でも紹介されていた通りですね。

まだまだ全然足りないとは思いますが、「日本は日本人のための国です!神国日本を踏み荒らすガイジンどもを叩き出せ!」でもなく、「移民層にちょっとでも文化的統合を求めるのは帝国主義的国家の横暴である!粉砕せよ!」でもない形で、本当の「現実に対する責任」を持って川口市の担当者や埼玉県警は動こうとしているのが伝わってくるかと思います。

ぶっちゃけそういう「心理的な信頼関係」がコミュニティに形成されれば、時々学校行ってない子がいても「そういうこともあるよねえ」ってなるし、コンビニ前に若者が集ってても「おうおうやっとるな〜」ぐらいの感じになるはずです。

目指すのはそういう「包摂」で、それは「踏み込んで受けて立つリベラル」の一貫した強い意志を持った施策が必要になるでしょう。

SNSの「紋切り型の罵りあい」から離れて、そういう「人道的でありつつ厳格な」舵取りを徹底的に後押していくことが大事ですね。

4. 橋本先生的な「受けて立つリベラル」が求められている

NHKの番組が終わったあとのSNSの右翼さんの騒動の中では、橋本先生は「敵!」みたいな扱いになっていたんですが(笑)、でも橋本先生ほど実態に即してなんとか解決を導こうとしてる人はいないぐらいの感じなんですよ。

むしろ本質的には右翼さんの最大の味方といっていいぐらいだと思います。

番組内での橋本先生の発言をメモっておいたんですが、

そもそも出入国管理というのは、国が持つ当然の権利であり、また義務でもあるわけで、「どこかで」線を引かなくてはならないわけですね。

非正規滞在問題が話題となるたびに、一方で全員追い出せと、他方で全員在特(在留特別許可)にせよと、両極端な意見が出るんですが、私はどちらも非現実的な意見であって、長期的には日本のためにはならないと思っています。

ですから日本が人道的な法治国家として、どう公正で人道的で、かつ「厳格な」移民政策を行っていくのか、今後もギリギリの落とし所を探っていくような作業となると思います。

さらに国としても日本語教育制度をもっと充実させて、しっかりと日本のルールや文化を習得して頂けるよう『共生政策・社会統合政策』を十分な予算をつけて徹底する必要があると思います」

SNSの右翼の皆さん(の中でも一部のヤバい人ですが)は、この発言↑が、

「お花畑の多文化共生だ!こいつは日本をぶっ壊すスパイだな!実は中国人に違いない!」

…とか大騒ぎしてましたが(なぜ中国人って話になるんだw)、でも「伝統的なリベラルのありかた」から言えば、この橋本先生の発言は「物凄く踏み込んだ」ことを言ってるんですよ。

特に太字にした部分が大事で、

・「出入国管理を行うことは主権国家の”当然の権利”である」
・公正で人道的でありつつ、しかし”厳格な”線引きを行っていく必要がある
・「日本語や日本のルール・文化を学んでもらう」という社会統合策をちゃんとやるべき

こういう「現実路線の舵取り」↑ごと原理主義的に否定しようとする「左翼的心情の絶対化」というのが日本のメディアでは支配的な中で、移民・難民問題の専門家としてキチンと「線引き」をしていく方向性を出そうとしている。

たぶん、一年前とかだったら、「心情的左翼主義の絶対化」で、↑「こういう現実主義的な線引き」すら徹底的に拒否して「クルド人の人たち可哀想!レイシストどもの支配する日本ってホント地獄だわ〜私は恥ずかしいです!」みたいな話で埋め尽くされる流れが日本では一般的だったんじゃないかと思います。

でも、徐々に「こういうのが大事だよね」という流れは共有できるようになっていると思いますし、番組で取り上げられていた川口市の取り組みは、右にも左にもよらずに必要なことをちゃんと一個ずつ打ち手を積んでる感じが凄い好感できました。

橋本先生に番組が終わってから個人的にお話を伺った時にも、

「ああいう発言をすればリベラルから袋叩きにされるかと思っていたが、案外クルド人の人たち御本人や、リベラル層からは好評価が多くて意外だった。おそらく、欧州の極右政権が問題になったり、米国のバイデン政権ですら何らか国境線をフルオープンにはできない事情が明らかになってくる中で、現実的な対処をすること自体を否定していてはいけないのだ、という風潮がリベラル側にも出てきているのだと思う」

…というような話をされていました。

SNSの右翼さんに言いたいのは、「日本は日本人のための国です!出てってください!」みたいな、アメリカ的文脈に直接翻訳したらガチ問題視されるような発言をそのまま主張しまくったって先進国日本で実現するわけないってことです。

一方で、橋本先生の発言はリベラル側から見ると「物凄く踏み込んだ」文言が含まれていて、これは橋本先生が、過去に北部スリランカのガチ紛争地での児童兵の開放支援のしごとみたいなのをしてきたリアリティから来る、「理想を一歩でも実現に近づける」責任感のある発言なんですよ。

ぜひ読んで欲しい橋本先生との対談記事から引用すると、

人道支援活動に携わる人間は「全員を救うのは不可能なことが多々ある」という辛い事実に直面させられるトレーニングを積む必要があるんです。たとえ1人でも多くの命を救うには何をすれば良いのかという知恵を絞らなくてはいけません。(中略)
そういう体験をすれば、「逆側の立場の人」にも彼らなりの正義や譲れない思いがあるのだ、ということを前提にして、どうやって一歩ずつ歩み寄っていけるのかを、自然に考えるようになっていきます。

「”敵を論破してみせる”をやってお仲間だけでワチャワチャ馴れ合っている」ような世界ではなくて、「実際に存在する逆側の立場の人」とコミュニケーションを取って「一人でも多くの人を実際に救う」ことが重要なのだ、という強い意志がないと、リベラル的精神を持ちながら「あの位置」に旗を立てに行くことはできないんですね。

「レイシストどもって嫌ですよねえ、オホホホ」「信じられない下賤なヤカラどもですわよねえ、オホホホ」ってSNSで言い合ってる方が絶対にラクだからです。

でもそういう「踏み込むリベラル」こそが今必要とされているし、右翼さん(の中でもある程度こういう文脈が理解できる人)からしても、橋本先生の立場とは積極的に協力していく姿勢があったほうがその望みは叶いやすくなるでしょう。

あとはこの「排外主義を受けて立つリベラル」の路線をいかに育てて肉付けしていけるかが大事だと思います。

X(Twitter)で、「レイシズムを許さない!!」みたいなハッシュタグキャンペーンをやって「いや〜ボクは善人だなあ」と自己満足するようなリベラルでなく、馴染めなくて平日に公園でタムロするクルド人子弟に日本語を学んでもらうための仕組みを考え、違法行為を行うクルド人にはちゃんと警察力が及ぶような算段を具体的に考え、長年手弁当で日本語を教えて来たプロの日本語教員たちにまっとうな給与を支払う資金を手当していくように、警察や法律家や地方自治体や国に具体的な制度改革を交渉していくようなリベラルが今必要なのだってことですね。

5. 現実的な落とし所はどのあたりか?

で、ここからは個人的な「落とし所」の提案なんですが、

・まず「際限なく呼び寄せる」のはやめてくれ・・・という一線を明確に引く
・一方で入管法以外の違法行為はしていなくて、もう十年とか暮らしていて日本で働いているような人とか、日本で生まれ育った子どもたちは、実態を尊重して公的な在留資格を与えるべき
・仮にいわゆる「凶悪犯罪」を実際に犯した外国人がいたら、必ず日本からは出ていっていただく

…というあたりが、橋本先生のいう

公正で人道的で、かつ「厳格な」移民政策

…という事になるんじゃないかと思います。

冒頭に貼ったアベマの番組で、クルド人当事者として出演されていたユージャル・マヒルジャンさんが、2022年のトルコ地震後1500人ぐらい一気に川口にやってきて、彼らは日本の風習にも馴染めていないから問題を起こす人もいる…みたいな話をシレッとしてたんですが、いやいやちょっと待ってくれと(笑)

いまいる人口を、どうやって「馴染んでもらうか」という話をしている時に、そんな無制限に次々と入ってこられても困りますという話がありますよね。

主権国家として「どこかで線を引かなくてはいけない」としたら、そこに引くのはリベラル側としても大枠は理解可能なことなのではないでしょうか。

そして「ちゃんと日本社会と相互理解を深めていく」プロセスが進行すれば、もう少しは受け入れてもOKという形に持っていけるかもしれないね、という形で合意形成していくのがいいのだと思います。

そういう方向で「際限なく開いている国境をキチンと管理するようにする」ことと引き換えに「正規の滞在許可」を出していくことは、多くの場合すでに滞在しているクルド人側にとっても望むところでしょうし、結果として川口市に住民税も入るようになりますし、健康保険に若い労働者が沢山入る事は日本の財政的にも望ましいことでしょう。

6. 「アメリカの場合とは違う」という理解が必要

ここ以後は、よりこの問題を本質論的に深堀りした話をします。

これは橋本先生と対談のしごとをした時にお聞きしたんですが、英語圏の移民っていうのは「言語習得」のバーがそれほど高くないからそれほど意図的・強制的に包摂しなくて済むんですが、英語以外の国はかなり必死にある程度強制力を持ってその国の言語を学んでもらう施策をやらないといけないというのは、移民問題の専門家の間では徐々に共通の認識になってきていいるそうです。

スウェーデンなんかは、当初「スウェーデン語を無理強いするのは良くない」みたいな理想主義を試していた時期もあったそうですが、余計にその移民層が社会から孤立して大問題になったらしい。

英語圏じゃない国においては、むしろ必死に「おせっかい」をしてその国の言葉と風習を学んでもらう事が必要ってことなんですね。

そのあたり、「アメリカ」の場合の例で他の国の事例を断罪するのは「強者の論理」にすぎない・・・という理解が必要なのだと思います。

SNSでは、「日本に馴染んでもらいたい」という右翼さんの意見に対して、「アメリカやカナダにおける公式見解」みたいなものをぶつけて否定するリベラルの人がいるんですが、そういうのは人類社会における移民問題を最前線で理解している人たちの目線からすると無理がある発想なのだという事は知っておくべきだと思います。

例えばこういう論争ですね↓

米山氏が反論している相手の人のような「右翼的な言い方」をそのままヨシとしろという話ではないんですが、アメリカでそれが成り立つのは「英語とアメリカ文化」のデファクトパワーが圧倒的だからなのだ、という部分を割り引いて見る必要はある。

日本の場合は日本語という特殊言語を学んでもらわないといけないし、世界中に敷衍しているアメリカ文化と違って日本人の行動様式は暗黙的な部分も多くて学んでもらうのにコストがかかる。

ここで、「いや!明文化されたルール以外一切認めないぞ!それを要求するのは差別なのだ!」みたいな原則論を突っ張るのは、スウェーデンがスウェーデン語の強制をためらった結果余計にゲットー化が進み、後の排外主義の火種になってしまった意味で『逆の意味で差別主義』的な要素があるんですよ。

この点でも「右翼さんの警戒意識」に対して、「リベラル的にOKなやり方でキチンと受けて立つ」ようなリベラルが必要なんですね。

7. 「NIMBY的欺瞞」を決して許さない、日本ならではの外国人との共生を考えるべき時

「NIMBY」=”Not In My Backyard”という言葉があって、これは(移民問題に限らないですが)

「リベラルの原則論」に現実的な理由から反対する人たちを全員『この差別主義者め!』と糾弾しておいて、その実害が自分自身に及ぶとさっさと逃げちゃうような欺瞞

…をさす言葉です。

移民問題に関していえば、

・移民に対するいかなる制限も許さない。国家権力の横暴反対!
・治安が悪い地域に対して警察力をちゃんと通用させようとする試みにも心情的な理由で反対する(アメリカのBlack Lives Matter運動のうち一部過激派が主張する”警察予算を打ち切れ!運動など)

…みたいな姿勢を取って「いかに自分は高潔なリベラル精神を持っているか」をSNSでアピールするのは忙しいけど、

・いざ自分の家の近くに移民の集団や低所得者層が住み始めて治安が悪さを感じるようになったら、シレッと自分はもっと家賃が高くて安全な地域に引っ越しちゃう(結果として家賃の安い地域に住まざるを得ない人が治安悪化の問題を自身で引き受けざるを得なくなっちゃう上に、富裕なインテリどもに上から目線で倫理マウンティングされてウザいという反発が募る)

…こういうのが”NIMBY問題”ですね。(俺は別に金持ちじゃねーぞ、っていうインテリの人も、”最も治安悪化の影響を受ける”ような場所に住んでいたりすることは相当レアなことでしょう)

こういう欺瞞を放置すればするほど、トランプムーブメントみたいなのは止められなくなる…ということを、過去20年の人類社会は学んできたところがあるわけですよね。

BLM的な問題意識やアメリカの警察の中にかなり無茶なことをする人がいることへの対策はもちろん必要ですが、じゃあ「警察」自体を敵にして否定していくのは単なるインテリの自己満足に過ぎず、「治安があまり良くない地域に住んでいる(多くは)マイノリティ」からしても支持できるものではない欺瞞がある…というのは最近アメリカでも徐々に指摘されるようになっていますよね。

ヨーロッパの方も今や極右政党が支持を伸ばしていない国の方が珍しい状況になっていて、ドイツでは支持率がすでに2位にまでなってるAfDが、「アフリカ北部にモデル国家を作り200万人を強制移住させろ」とかいう”文字通りナチスレベル”のプランを党内で議論していたと問題になっています(さすがSNSで誉れ高い”人権と正義を愛する高潔なドイツ国民”さんは発想が半端ねえっす!)。

過去20年の「欧米の失敗」というのは、こういう「NIMBY」問題を放置したまま綺麗事を主張する空疎な倫理マウンティングみたいなのを無駄に称賛しすぎたことで、既存社会との丁寧な共生プランを作っていくような地道な作業をバカにしてきた事にあるわけですよね。

ここで「一歩踏み込んで受けて立つリベラル」を生み出していくことは、

「現実の社会問題で苦しんでいる人々を、単に自分個人の抽象的な思想を展開するための”ネタ”としか考えていない20世紀型知識人の欺瞞」に対する最新のレジスタンス運動

…的な意味を持っているわけです。

さっきも述べたように

「移民との共生を具体的に行おうとする現場レベルの積み重ね」

…には、

「アメリカ型のリベラルの原則論」からいうと間違っているように”見える”

…ものが含まれてるんですが、

むしろそこにちゃんと踏み込んでいくことが、「今の時代の責任感あるリベラルの姿勢」なのだ、という理解が必要な時

…なんですよ。

このあたり、「脊髄反射的なリベラルの発想」と「世界の移民問題の現実」はかなり乖離しており、橋本先生のような当該分野の専門家の知見をベースに対処を行っていくことが重要です。

その「脊髄反射的なリベラル心情」と「世界の移民問題のリアル」の間のギャップについては、橋本先生と昨年対談した記事でかなり詳細に語られていて好評価をいただいていますので、よろしければ以下の三回連続記事をお読みいただければと思います。

「一周前の欧米の失敗」がどこにあったのかをちゃんと理解したうえで、「NIMBY的欺瞞」を放置しないで現場レベルでの丁寧な共生策を行っていく人たちを徹底してエンパワーしていく事が大事なんですね。

8. メタ正義的に「受けて立つ」リベラルを育てていこう

SNSでは「ボクがいかに倫理的な存在で日本はいかに人権と人間の尊厳を理解しない地獄なのか!ああ!恥ずかしい!地獄だ!」を毎日色んな言い方でアピールするのに忙しい暇人も沢山いますが、そういうのは「現実に対して具体的に対処していく責任を放棄している」という意味では「ガイジンどもを叩き出せ!」って叫んでいる人たちと同レベルの存在なのだという理解が重要です。

一方で、橋本先生をはじめ、長年現場で手弁当で日本語を教えて来たボランティア教員の方々や、川口市で実際に実務を取っている人たちは、大枠として「正しい方向を向いている」と自分は感じています。

「リベラル的に守るべき一線」を外さないようにしながら、右翼さんからの要求にもちゃんと応えられるような具体的な策を一歩ずつ打とうとしているのは評価できる。

つまり、SNSで吹き上がる「排外主義」的なムーブメントは、

「そこに対処するべき課題がある事を知らせてくれる」

…という意味においては100%正しい。それを否定してはいけない。

ただし、その「対処のやり方」においては、21世紀の先進国として「やっていいことと悪いこと」の一線というのは当然あって、それを守りながらやっていく試みが求められる。

こういう「発想」のことを、私は「メタ正義的な解決」と呼んでおり、詳しくは以下の本などをお読みいただければと思います。経営コンサル業の中小企業クライアントで、この10年で150万円ほど平均給与を引き上げられた成功例などから、大きな社会問題にいたるまで、”メタ正義的”な発想で解決を目指す方法について書かれています。

日本人のための議論と対話の教科書

「川口市のクルド人問題」に対する「メタ正義的発想」とは、「右翼さんが言っている内容」をそのまま受容する必要は全くないが、右翼さんがSNSで盛り上がっているという現象の『存在意義』には徹底的に向き合う必要があるということです。

つまり、「右翼さん側のメッセージ」を、「本質レベルで真っ向から受け止めて具体的な対策を積んでいく」リベラルのあり方を後押ししていくことで、この川口市のクルド人問題は本当の意味で解決していけるようになるわけですね。

そういう「受けて立つリベラル」をちゃんと育てていきましょう。

一方で、右翼の皆さんは、「まだまだ足りないぞ」とあなたが素直な心情として思う分には突き上げていくのもあなたたちの役割ではあるでしょう(とはいえ、あまりに”ガチな差別的発言”をすればするほどあなたたちの望みは余計に遠ざかるのもご注意ください)

さいごに

全体として今までの日本の移民政策というのは、「建前として一切ガイジンを入れたくない」という志向と、「実態として外国人なしに現場仕事がすでに成り立ってない」という現実の間で物凄くナアナアに抜け穴だらけの制度を運用して、その制度の狭間に落ち込んだ人たちがヒドイ目にあうような状況が続いてきたところがあります。

だから現状「不法滞在」になってしまっている外国人がいたからといって、単にその事だけを持って「強制退去」させるのが人道的に難しい側面も出てきてしまっている。

だからこそ、「ちゃんと正規のしくみを実態に合わせて運用できるようにしましょう」という流れが今起きてるんですね。

例えば昨今ではこういう施策↓も行われる方向になっており、国として真正面から「来て欲しい人を選び、ちゃんと正規の制度を持って接遇する」国家の主体性を持とうとする流れにはなっている。

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討:朝日新聞デジタル
 政府は、「永住者」の在留許可を得た外国人について、税金や社会保険料を納付しない場合に在留資格を取り消せるようにする法改正の検討を始めた。外国人の受け入れが広がる中、公的義務を果たさないケースへの対応…

私の経営コンサル業のクライアントの建設会社の経営者が言ってましたが、すでに「現場仕事」レベルの話でいえば外国人なしに日本の経済は成立しないようになっています。

「SNSの愛国者さま」がいくら大騒ぎしようとそういう人がちゃんと現場で汗をかいて仕事をしてくれるわけではないのでしょうがないじゃん、という側面も明らかにある。

欧米のリベラルの公式見解が陥りがちな「NIMBY的欺瞞」を徹底的に克服し、きちんと「日本的生活様式」に馴染んでもらう施策を適切に一歩ずつ行っていきさえすれば、そして「日本人以外のルーツのラッパー」「日本人以外のルーツのお笑い芸人」が普通にお茶の間に受けいられれる流れを丁寧にエンパワーできれば、それは少子高齢化に悩む日本にとっても大変重要な戦力になってくれるでしょう。

「際限なく呼び寄せる」はやめてもらいつつ「文化統合策をキチンと行って」いき、「条件を満たした人には正規の在留許可を与えて納税もしてもらう」流れを作りつつ、「凶悪犯罪を起こす」ようなことがあれば厳格に退去してもらう。

そういう「主権国家が持つ責任ある振る舞い」を、「20世紀的な紋切り型の右と左の罵りあい」から分離して適切に施行していけるように持って行くことが、「問題解決」のための唯一の道だということですね。

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここからは、もう少し本質論的に、「今の時代に本当にリベラル的な理想を追い求めるのに必要なこと」みたいな話をしたいと思っています。

橋本先生とお知り合いになったのは上記のウェブメディアでの対談記事の仕事がきっかけだったんですが、当時入管法改正問題があった時に、橋本先生と連携した野党議員が自民党と折衝してできるかぎりリベラル的な理想も実現できるような代案を用意していたところ、一部の左翼層がそれを「裏切り」として問題視して潰してしまったため、結局むしろ余計に「最もタカ派」な法案が通ってしまったという顛末があったんですね。

その顛末について怒りを込めて橋本さんが書かれたこのForbsの記事が物凄い印象的で、これを僕が紹介したツイートが凄くバズって、その後直接やりとりさせていただくことになったんですが。

つまり、当時の橋本さんは「最も左の層」から裏切り者扱いされ、「色んな友達がいなくなった」そうですし、また今は「最も右の層」からSNSで「敵」扱いされてるわけですね(笑)

でもなんかこの「一番右と一番左にめっちゃ嫌われている」っていうのは、今の時代「本当にリベラル的理想を実現しようとする」ために物凄く重要な要素なんじゃないか?って思うところがあるんですよね。

折しも、今のアメリカでミュージシャンのテイラー・スウィフトが、「最も右と最も左に嫌われ」つつ、でも「リベラル寄りだけどトランプ派からも一目置かれている唯一の存在」みたいになっているという話をXポストに書いてかなり読まれたんですが…↓(クリックすれば全文読めます)

これも「同じ構造」だろうと思うんですよ。

こういう「本当のリベラルの道」というのは、「政治的党派性」よりも先に「80億人とかいる生身の他人」をちゃんと「他人として尊重して」認知してるところがあるんだと思うんですよね。

「なぜそういう事が必要な時代になっているのか?」とか、上記のスーパーボウルにおけるテイラー・スウィフトの振る舞いから垣間見える「アメリカの今」とか、「20世紀的な知識人の欺瞞へのレジスタンス運動」が始まっているのだ、という話とか、そういう諸々について語ります。

あとお前橋本先生のファンすぎるやろ、って感じですけど(笑)、対談の時に橋本先生が一橋大学の門番のオジサンと話してるところを見たら「誰に対しても平等に敬意がある振る舞い」でめっちゃ良かった、という話もします。

やっぱそういう「人生に対する態度」「他人に対する態度」の延長に、「政治的姿勢」が自然に連結されていることが今後の時代は大事なんだと思うんですね。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年2月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。