ドナルド・トランプが共和党の副大統領候補に、J.D.ヴァンス上院議員を指名した件について、7月16日のアゴラに詳しい記事が出ている。
ヴァンス上院議員が共和党副大統領候補に:日本製鉄とウクライナは戦々恐々?
ラストベルトの白人労働者を代表するヴァンスは、当初はトランプをヒトラーに喩えるなど危険視していたが、後に熱烈な支持者に転じ、自分が副大統領なら「2020年の選挙結果(バイデンが勝利)も覆せた」と仄めかすほどらしい。本気でトランプに心酔したのか、単に権力になびいただけかは、今のところわからない。
注目すべきは、アゴラが紹介する今年4月12日付の、ニューヨーク・タイムズへのヴァンスの寄稿「ウクライナの算術は計算が合わない」である。
要は「ウクライナ支援を見直せ」とする主張だが、アゴラの訳文は少しわかりにくかったので、ニュアンス重視で結論部を抄訳してみる。
これらの〔ウクライナは勝てないという〕算術上のリアリティは真実だが、戦争の勃発時には、正しいかを問う余地があった。いまから1年前、米国がゼレンスキー氏と親密に協力して、破滅的な(disastorous)反転攻勢に着手した時期には、それは明白に争う余地のないものになっていた。
悪いニュースがある。この残酷な現実を受け入れるなら、昨年の春、ウクライナ国民が極度の犠牲を出し成功しない軍事行動へと乗り出す前にしておいた方が、ずっとよかったということだ。
一方で残っている良いニュースは、控えめな(defensive =守り重視の)戦略はいまも機能するということだ。昔ながらの塹壕を掘り、セメントで固め、地雷原を敷く。ちょうどロシアがウクライナの2023年の反攻を乗り切ったのと、まさに同じものだ。
(中 略)
控えめな戦略に切り替えることで、ウクライナは貴重な兵力を温存し、流血の事態を止め、開かれるべき〔ロシアとの〕交渉に時間を与えることができる。ただしこの決定は、米国とウクライナの双方の指導者に、ゼレンスキー氏が宣言した「1991年の国境線を回復する」という戦争の目的は突飛すぎた(fantastical)と、認めることを求めるだろう。
ホワイトハウスは何度も、「プーチン大統領のロシアと交渉することはできない」と述べてきた。これは馬鹿げている(absurd)。バイデン政権には、ウクライナを戦争に勝たせる実行可能な計画はひとつもない。アメリカ人はこの真実に気づくのが早いほど、より早く目下の混乱を収束させ、平和の斡旋人(broker)になり得るのである。
段落分けを一部変更
米国通には、ここまで「トランプべったり」の人物を副大統領候補に起用すると、かえって選挙で中道票が逃げると読む向きもあるようだ。またトランプが当選しても、副大統領のビジョンがどこまで政策に反映されるかは、未知数である。
しかし重要なのは、リベラルメディアのNYTに事実上の「早期停戦論」を寄稿する人物が、米国では堂々と副大統領候補の指名を獲得することの意味である。なぜなら2022年の開戦以来、日本ではそうした議論はプーチンを利するものとして、「専門家」によってタブー視されてきたからだ。
いわく、ロシアが侵攻した現状での前線で停戦するのは、実質的には侵略した側の「切り取り得」になってしまう。これは世界の他の地域でも、同様の事態(とりわけ台湾有事)を惹起することになるので、よくない。原理的には、そうした見方は正しいと、私自身も思う。
しかしそう主張する以上は、欧米の支援を受けて戦争を続ければ、前線を開戦前のラインまで「押し戻せる」という見通しが必要だ。言い換えれば、早期の停戦に反対した以上は、表裏一体の主張として「ウクライナが勝てる」と唱えたのと同義だと見なされるべきで、「勝てるとは言ってません。ガンバレと応援しただけ」などと逃げ出すのは許されない。
ウクライナの戦争も、またアメリカの大統領選も、いくら日本で口角泡を飛ばしたところで、現実への影響力はないに等しい。むしろ私たちが今年の残りで重視すべきは、この国のメディアで「誰が真摯に発言するのか」を、見極めてゆくことだと思う。
秋にトランプーヴァンスが当選したとき、両名のウクライナ戦争の捉え方は「まちがっている」と、米国に対しても物申せるのか。もしくは逆に「いやいや。ウクライナ人も疲弊したタイミングだったので、さすがアメリカの政策は現実的です」と手のひらを返すのか。
「ウクライナ有事は日本有事」であればこそ、誰もがこれからメディアを監視し、そうした評定を厳しく行うべきだろう。なぜなら後者の姿勢をとる無責任な専門家に、未来の日本有事を扱わせてはならないからである。
(ヘッダー写真はブルームバーグの記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。