1. テストベッド・アイランド沖縄
沖縄といえば美しい海と自然に囲まれたビーチリゾート、琉球王国を起源とする独自の文化や歴史を有している地域等のイメージを持つ人が多いだろう。
沖縄の歴史を簡単に記す。「沖縄県」という名前は1879年の琉球処分によって誕生した。しかし、第二次世界大戦の終戦後に沖縄は日本政府の統治から切り離され、米軍の統治下に置かれた注1)。その後、27年間の統治時代を経て、沖縄が再び日本の1県になったのは1972年である注1)。
このような歴史的な経緯から47都道府県の中では沖縄県が最後に日本に加わったという印象が強い。また、沖縄振興開発計画や沖縄振興計画が策定された背景から、他地域に追いつくために積極的に振興政策を行う必要がある地域との印象もある。
返還から既に52年が経過した沖縄の今はどうなっているのか。
沖縄県では、2011年に沖縄科学技術大学院大学(OIST)注2)の設立、東アジアの中心に位置する地理的な利点を活かした国際物流拠点の形成注3)、基地跡地整備機構の創設など戦略的なプロジェクトが多数行われている。このように、沖縄の事業モデルはキャッチアップ型からフロントランナー型へ移行し、“日本の最先端沖縄“という事例も生まれてきている。
そんな沖縄県は、最近、「テストベッド・アイランド」の形成に取り組んでいる。これは、企業が行う新技術等の社会実装に向けた実証実験を国・県・市町村等が連携し、支援することにより沖縄に高度な技術を持った企業や人材を呼び込むとともに、地元企業や自治体等とのオープンイノベーションを促進することで、新製品の創出や社会課題解決に繋げるという構想である注4)。
日本では、既存の制度や規制が障壁となってフィールドにおける実証実験が難しい等の問題が生じているが、テストベッド・アイランド構想では、行政が積極的に規制対応することでイノベーションの創出や社会実装のスピードを速めようとしている。そして、沖縄で検証された技術が日本中に広まっていくことを期待している。
少し歴史を振り返ってみると、沖縄は以前から日本のフロントランナーとしての役割を担っていたのかもしれないと思える事例がいくつかある。例えば、沖縄では米軍占領下の1945年9月に婦人参政権が行使されている注5)。
日本初の婦人参政権は、1946年4月10日に行われた戦後初めての衆議院議員総選挙と言われているが注6)、実は沖縄の方が7か月も早く実現している。また、2013年に完成した金武ダムは世界初のCSGダムである注7)。そして、日本の国土形成に不可欠であった建設業における機械化施工も沖縄が最初と言われている。
本レポートでは、戦後、沖縄での取組みが日本全国に広まった事例として、機械化施工を紹介する。
2. 日本における機械化施工の原点は進駐軍による基地建設工事
建設現場でブルドーザーやクレーンが動いている光景は今では当たり前である。このような機械化施工の普及のきっかけとなったのが、嘉手納基地(嘉手納飛行場ともいわれるが、ここでは嘉手納基地と記す)の建設と言われている。
まず、初めに嘉手納基地について簡単に説明する。
嘉手納基地は、沖縄県中頭郡嘉手納町にあるアメリカ空軍の飛行場である。面積は、19.86km2、約3,700mの滑走路を日本有する極東で最大かつ最も活発な米空軍基地である注8,注9)。1944年に旧日本陸軍の中飛行場が建設されたこともあり、第二次世界中は沖縄本島における米軍の最初の上陸地点となった注9)。基地は1945年4月に米軍に占領され、激しい戦火により焦土化し終戦を迎えることになった注9)。
戦後、基地建設を仕切っていたのは米国陸軍沖縄地区工兵隊(略称DE、以下DEと記す)と呼ばれる組織で、アメリカやフィリピンの企業が工事を受注し、下請け企業として地元の建設業者が関わるという体制をとっていた注10)。
その後、1948年に自由な経済活動が認められるようになり、DEと沖縄県内の建設業者との間で直接契約が行われるようになった注10)。このような経緯から戦後沖縄の建設業の「軍工事ブーム」が始まるとともに、日本本土の建設業者が沖縄の工事に参入するようになった注10)。
当時、日本の建設現場ではシャベル等を用いた人力施工に頼っていた注11)。一方、アメリカは1930年代にニューディール政策によって大規模な公共事業が多数計画、推進され、経済性や合理化を重視した施工の機械化が進んでいた注11)。
そのため、進駐軍が日本を占領した後の各飛行場の拡張工事では、ブルドーザーやパワーショベル等が活躍し注11)、これらの工事に携わった民間施工会社が、機械化施工を習得する契機となった注12)。さらに、1948年に建設省が設置され、建設機械整備費が設けられたことで日本企業によるGHQ払い下げ建機の購入が活性化し注13)、機械化施工の普及が進んだ。
進駐軍工事と施工の機械化の状況を把握するために建設会社数社の社史等を確認した。
社史等の中で、沖縄工事に触発された施工の機械化は、土木工事から始まり、次第に建築工事に及んだこと、沖縄工事がきっかけでコンクリート打設におけるベニヤ型枠の存在が広まったこと、等の記載があった注14)。
さらに、施工技術だけではなく、仕組みの面でも沖縄が最初の地となった事例がある。鹿島建設は、1949年秋に進駐軍が沖縄基地工事への入札を日本の業者にも認めると決定したことを機ととらえ、日米両国にまたがるJV結成の音頭をとり、1950年2月に沖縄で日本初のJVが誕生した注15)。
このように現在の建設現場では当たり前の施工技術や仕組みの原点は実は沖縄だった。機械化施工やJV体制が普及しなければ高度経済成長期に多数の大規模開発を成し遂げられなかったと考えると、沖縄における進駐軍の工事が後の建設業や日本経済に与えた影響は多大といえよう。
3. まとめ
沖縄県と基地問題は、いつの時代も政治の焦点であり続けている。国際安全保障や日米関係、沖縄と本土の関係など難しい議論が多い。
本レポートでは、テストベッド・アイランドという視点から基地建設における技術やノウハウの歴史を辿ってみた。テストベッド・アイランドの取組みが上手く行き、沖縄が技術やノウハウのフロントランナーとして日本を引っ張っていくことを期待している。
【参考文献】
注1)沖縄公文書館HP:日本復帰への道(参照日2024-07-05)
注2)沖縄科学技術大学院大学HP(参照日2024-07-04)
注3)MROJapanHP(参照日2024-07-04)
注4)沖縄実証実験支援プラットフォーム(参照日2024-07-02)
注5)那覇市HP:那覇市男女平等週間(参照日2024-07-05)
注6)内閣府男女共同参画局(参照日2024-07-05)
注7)内閣府沖縄総合事務局:やんばるのダム(参照日2024-07-05)
注8)沖縄県HP:FAC6037嘉手納飛行場(参照日2024-07-05)
注9)嘉手納町HP:嘉手納町と基地(参照日2024-07-05)
注10)秋山道宏:日本復帰前沖縄の政治経済と経済界-建設業界の動向に着目して-,南島文化,No.42,pp.113-125,2020.3
注11)川本正之:建設機械の歴史,建設の施工企画,pp.6-12,2007.1
注12)岡本直樹:機械化への道,建設機械施工Vol.68,No.10,pp.22-27,2016.10
注13)アクティオHP:建機の歴史(参照日2024-07-05)
注14)大林組HP:100年史(参照日2024-07-05)
注15)鹿島建設HP:シリーズ100年をつくる会社(6):新たなる出発(参照日2024-07-05)