もっとも疎外されたものというけれど、現実にはさまざまな位相で存在するので、最底辺ということが言えないわけです。今までは労働者とか植民地下の人間とかいっておけばよかった。現在突出してきているのは、女性、先住民、障害者といった存在ですが、しかも、それらが互いに矛盾する形で出てくるわけです。
それを無理に疎外論で押し切ろうとすると、三重苦は二重苦に勝ち、四重苦は三重苦に勝つというような奇妙なことになる。アメリカのアカデミーやアート・シーンで、ハイチ移民でレズビアンでHIVポジティヴなんていったら、ほとんど無敵でしょう(笑)。
この印籠が目に入らぬかという感じですね(笑)。
172-3頁(強調は引用者)
本能寺の変(1582年)に際して信長の傍にいたことで知られる「弥助」という黒人の、海外での描かれ方が話題沸騰となっている。炎上のあらましは「アゴラ」のまとめ記事が、残存する史料から「弥助についてどこまで言えるか」は呉座勇一氏の寄稿が、それぞれわかりやすい。
もっとも、Twitter では頼まれもしないのに「ジッショー!」としゃしゃり出て、むしろ実証史学の評判を落としてゆく歴史学者が続出しているようだ。彼(女)らはおそらく、そうなる理由を理解できていないと思うから、昔の同業者である私が助け舟を出しましょう。
問題になっているのは、英国出身で日大准教授を務めるThomas Lockley 氏が、”African Samurai” と銘打って弥助を海外に紹介したことなのだから、大事なのは「欧米人が ”Samurai” と聴いたときに頭に浮かぶイメージ」なのです。まぁ、ふつうは渡辺謙が映画の ”The Last Samurai”(2003年)で演じたような武将になりますわね。CNNの弥助記事も現に、ヘッダー写真のとおりでして。
対して、99%は日本人しか居ない日本の歴史学会で「侍をこう定義している」なんて話は、誰もいま聞いてないしお呼びじゃないのです。グローバル・スタンダードな ”Samurai” のイメージに、弥助の実態は合致していたんですか? と訊かれているのに、「日本中世史の武士研究では…」とか超ドメスティックな答えを返されましても。
で、欧米圏ではもうずっとポリティカル・コレクトネスの風潮が続いており、疎外されてきたマイノリティの励みになる物語へのニーズが高い。
冒頭の引用は、今回の「弥助騒動」を受けての文章でも違和感がないですけど、実際には1994年の6~7月に『SAPIO』で柄谷行人と浅田彰が行った対談です(『柄谷行人 浅田彰 全対話』。発言順は柄谷→浅田→柄谷)。前にも書いたけど、平成の初頭って、いまとそっくりな空気があったんですね。
戦争、ジェンダー、環境、ポリコレ……「平成初期」に似てきた令和のゆくえ ニューズウィーク日本版
当時の雰囲気を伝える映画を挙げるなら、1989年の『グローリー』かな。南北戦争に従軍した黒人部隊の実話に基づくもので、デンゼル・ワシントンがアカデミー賞(助演)を受けました。ちなみに、監督は後の『ラスト・サムライ』と同じ人。
描かれてこなかっただけで「実は黒人もそこにいた・活躍してたんだよ!」という挿話は、この頃からずっと、政治的に正しいエンタメの素材として求められてきた。ただ、次第にネタも切れて来るし、たとえばアメリカの「対外戦争で奮戦した黒人兵」とかになると、別の理由で政治的に正しくなくなっちゃうリスクがありますよね。
そこへいくと舞台を大昔の極東に移し、「Samurai にも黒人がいた!」とやるのは、文字どおり後腐れなく政治的に正しくできる最高の素材なわけです、欧米人の目線では。ただその結果として、まったく現実とは異なるイメージで自国の過去が流通しちゃったら、日本人はちょっと困る。
個人的には、ポリ・コレの大切さを踏まえるからこそ、African への迫害や差別がいちばん激しかった地域を素材に、それに立ち向かった/負けずに活躍したAfrican を描く方が「より正しいエンタメじゃないっすか?」と返しておくのが、スマートだと思いますけどね。無理をしてまで、African がほとんど居なかった地域を採り上げることないでしょ? と。
別の炎上案件でもお話ししたとおり、人文学と政治的な正しさとエンタメって、もっと豊かな関係を結べるはずなんですよ。ところが、なぜかそれをぶち壊す (伏字2文字) な学者がネットでは目立っちゃうんですなぁ。
私、昔やってたから知ってるんですけど、日本史の学者って意外なほど「グローバルなプレッシャー」に弱いんです。お前らぶっちゃけ、日本国内でしかウケないオタッキーな話を、チマチマやってるだけだろ? って普段バカにされてるから、なにくそ、自分の研究は違う! みたいな。
だから、私は外国人の研究者とも仕事しましたとか、海外の潮流も踏まえてますとか、国際化に貢献できますとか、つい言いたくなっちゃうんです。にしても、にしてもですよ、これはねぇ……(苦笑)。
一部の政策科学では、やたらと「自分たちは政治家や省庁と仕事をしている(ドヤァ」と誇る風潮があったりして、学問の自立性という点でそれもどうかなぁと個人的には思ってきたのですが、歴史学となると、ドヤるときでもなんと、もし外務省に頼まれたらという「たられば」とはね(笑)。
……いやはや、恥ずかしい学問もあったものですが、もちろんなにが国益かは外務官僚が決めるわけじゃなく、まして歴史学者に決めさせるなんてとんでもない。私たちがどんな歴史を求めるかは、私たちが自分で決めるのです。
P.S.
ポリ・コレ時代の「正しい」歴史学との向きあい方は、5月刊の呉座勇一さんとの共著もご参照ください。あとがきの全文はこちらから!
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。