市場機能を封印してきたつけ
7月末の日銀の利上げ、植田・日銀総裁の「さらなる利上げ」示唆、それが契機になったような株価の大暴落、慌てた内田・副総裁の火消し発言と、続きました。日銀史上、まれにみる「日銀執行部の動揺」です。黒田・前総裁の時は、相次ぐサプライズで市場をきりきり舞いさせました。
今度は、日銀が市場にきりきり舞いさせられるという展開です。長く市場機能を奪ってきたことに対する「市場の報復」のような気がします。
日銀は2013年からのアベノミクス(異次元金融緩和と財政膨張政策)以来、市場機能を停止状態に置くことに全力を挙げてきました。その結果、政策変更(異次元緩和の方向転換)に対する市場の反応を見極める能力を、日銀は自ら低下させてしまったのです。
私はアベノミクスの修正、金融財政政策の正常化は不可避であり、植田・新体制になって、やっと政策変更を始めたことを評価します。ゼロ金利、円安、上場投信(ETF)や国債の大量購入という「竹馬」に乗って押し上げられた株価は「仮装株価」です。正常化の過程で「仮装株価」が下落するのは当然で、異常に驚いてはいけないのではないでしょうか。
内田・副総裁が講演で「金融市場が不安定な状況で利上げすることは(今後)しない」と語ったのは、市場の反応に気が動転してしまった結果でしょう。政権からの圧力も恐らくあって「情勢を見ながら、先行き利上げしていく」との植田総裁発言を慌てて修正せざるをえなかった。
アベノミクス以来、10年以上、市場機能を封印し、そのことを通じて、政府・日銀も市場のシグナルを読む能力を自ら低下させてきましたから、当然の報いでもあります。
さらに、日銀は「市場との対話」路線を重視し、金融政策の方向性を事前に示し、市場が過剰反応を起こさないよう工夫してきました。私は「市場との対話」路線は、一見よさそうではあっても、「日銀に懇切丁寧に説明してもらわないと、投資家、市場関係者は自ら判断できなくなってしまう」というリスクを伴っていると思います。「市場との対話」も度を超すと弊害がでてくる。
「市場」とは、種々雑多な情報やデータ、複雑な利害関係で構成され、誰かが操るのではなく、多種多用な取引を通じて、方向性が「市場の見えざる手」によって結果として固まってくる。そういうものだと思います。中央銀行自身がプレイヤー(国債やETFの保有者)になり、「対話」を通じて、ある方向に引っ張って行こうとするのは、「市場原理」に反します。
経済専門紙の日経新聞の社説(10日)を読んで驚いた人は多かったでしょう。「日銀の市場との対話は十分だったか」という見出しです。「日銀が円安のリスクへの懸念をより強めていることは市場には十分に伝わっていなかった」と、批判しています。円安リスクが市場に与える影響などは、投資家、市場関係者が自ら判断すべきものでしょう。
さらに「事前にすべてを伝える必要はないものの、結果をみれば、市場との対話が円滑だったとはいえまい」、「入念な市場との対話と精緻は情勢分析を通じ、適切な政策運営につなげる不断の努力を強く求めたい」と、日銀を批判しています。「事前にすべてを伝える」ようにしたら、インサイダー取引になってしまうのではないか。
「中央銀行との対話」とは、金融政策の内容、目的、その根拠などの説明は受け、そこから先は投資家、市場関係者(メディアを含む)が自ら判断するというものでしょう。他紙を含め、「市場との対話」路線の必要性をを金科玉条のように唱える傾向に疑問を感じます。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年8月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。