先日、SNS上でちょっとした“学歴ロンダリング”論争が勃発しました。
なんでも東大博士を前面に出してるアカウントが全然普通の私大卒だったことが発覚したことがきっかけみたいです(かわいそうなのでさらしませんけど)。
それで、
「重要なのはどこの大学卒か。院だけロンダリングしても意味ない」派
vs.
「どこの大学出身なんて関係ない、その後に院で学んだことが重要」派
の間で論争になったというわけですね。
さて、正しいのはどちらでしょうか。そもそも“学歴ロンダリング”という概念はなぜ生まれたんでしょうか。いい機会なのでまとめておきましょう。
日本で学歴ロンダリングという概念が存在するワケ
結論から言えば、実は先述の両意見とも正しいです。実際、以下のようにつなげてみると筋の通った一文になりますから。
「どこの大学出身なんて関係ない、その後に院で学んだことが重要」なのは当然として、日本では「重要なのはどこの大学卒か。院だけロンダリングしても意味ない」というのが実情。
要は前者は理念を、後者は現実を語っているというわけですね。
そもそも学歴ロンダリングなんて言う概念が存在するのは、この「重要なのはどこの大学卒か」というモノサシがあるためなんです。
たとえばどこの中学高校を卒業したかが重要だったなら「あいつは地方の無名校から大学入学した“受験ロンダリング”だ」って言われてるはずなんですが、そんなこと言ってる人なんていませんよね?
中学高校なんてどうでもよくて、重要なのは大学だからです。
ではなぜ大学か。一言でいうなら、日本企業が終身雇用だから。
担当させる業務を限定せず65歳までの超長期雇用を前提に採用するとなると、どうしてもポテンシャルで判断するしかないんですよ。
となると受験という土俵で結果が出ている大学名で判断するのが合理的なんですね。
あと、これは人文系全般についてですが、採る側からすると学歴ロンダリングしている人を採るのは正直怖いですね。
企業側の基準で見ると、「〇〇大学卒、東大大学院修士課程修了」みたいな人はあくまで「〇〇大卒で数年間プラプラしてた人」なんですよ。
なんていうと「大学入学後に学問に目覚めて一生懸命頑張った人かもしれないじゃないか!チャンスを与えてやれ!」と怒る先生も多そうですけど、採用部門としては「そう思ってチャンス上げたけどダメでしたね。ではさようなら」って後からできないですからね。65歳まで面倒見ないといけませんから。
というわけで、少なくとも大手の日本企業は「大学入学後に学問の面白さに目覚めた人」にはチャンスは与えないでしょう。
余談ですが、日本の博士号取得者や論文引用数が長期的に低迷し続けている根本的な原因は、この「大学名でポテンシャル判断」という体質に根本原因があるというのが筆者のスタンスです。
たとえば社会人になってから学問の重要さに目覚め、大学院に社会人入学して修了後に中途採用受けに来た人を、
「え?せっかく新卒で入った会社辞めて社会人入学なんかしたの?www なんで?www」
みたいに笑う面接官(これホントにいます)が存在する国じゃ、そりゃ院進学して学問を究めようという人は減りますよ。
今回の学歴ロンダリング議論では少なからぬ大学畑の先生方が「学歴ロンダリングなんて考え自体がおかしい」とおっしゃってるようですが、是非もう一歩踏み込んで「終身雇用がそもそもおかしい」と声を上げていただきたいものです。
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以降、
・理系はロンダリング関係ない説は本当か
・ロンダリングを必要としているのは誰か
Q:「役職定年が怖いです」
→A:「消化試合モードが長く続くと人は急速に衰えるものです」
Q:「職歴のブランクをどう説明すべき?」
→A:「まあ半年未満ならなんとかなります」
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