社会学理論の堅持と創造(下):「戦時国家」は「社会国家」なのか?

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(前回:社会学理論の堅持と創造(上):「戦時国家」は「社会国家」なのか?

4. 歴史学での「社会国家」

『社会学理解のための100のカルテ』から

モントセとレヌアによる『社会学理解のための100のカルテ』(2006)によれば、国家は社会的調整機能に優れているという人もいれば、潜在的には抑圧の道具であるという人もいる(Montoussé & Renouard,2006:222)。

とりわけ「国家の主機能は暴力の規制である」が最初にあげられている。これは前回「上」で引用したウェーバーに代表される万国共通の傾向である。

 現代国家は社会秩序の責任者

そのうえで、現代国家の特性としては、13世紀にフランスとイギリスで始まり、16世紀にはキリスト教が崩壊し、経済成長が加速するにつれて国家建設が進んだ。これと並行して、政治権力は徐々に宗教の監視から解放され、最終的には社会秩序の責任者としての地位を確立した。

国家の特徴

このような国家の特徴として、モントセとレヌアは次の3点にまとめた(ibid.:222)。

(1)強制の集中化:国王は当初、それまで家臣たちの手にあった行政権を独占していた。その後、立法権も憲法に基づいて集中化され、国家が一元的に組織化した。

(2)制度化:それは権力と個人の区別をもたらし、共和国のもとで有効となった。この区別は王制のもとで始まり、共和国になってより普遍化した。制度化は、個人的な立場ではなく、自らの職務に基づいて権力を行使するすべての国家機関で普通に認められるようになった。

(3)働く人の専門化:当初は、権力の行使を行う政治の専門家だったが、その後国家は、承認された能力に基づいて任務を遂行する職員を恒久的に採用している。

国家は暴力を鎮圧する義務がある

これらに加えて、最大のアソシエーションとしての国家は、「暴力を鎮圧する義務」があげられている。

(1)すべてに対するあらゆる人の暴力が破壊の危険をもたらす社会では、国家の役割は、この暴力を鎮圧し一定の方向に導くことである。国家はそれを行使する権限を与えられている唯一の存在であるため、暴力を鎮圧するが、国家自身の暴力は法によって厳密に規制されなければならず、いかなる状況下でも自らの裁量で行うことはできない。法によって、それは導かれるものである。

(2)政治の領域では、権力の制度化により、権力を掌握するための闘争が規制され、国民の安全と両立する構造(formes)を権力に与えることが可能になった。その権力の獲得はもはや武力によるものではなく、一定数の国民による規制を尊重することを前提とし、その筆頭は普通選挙である。ここでの国家の機能は、政治分野を調整し、身体的な暴力を排除することである。

法治国家の確立と個人の自由

要するに、国家が抑圧的な機構に変質するのを防ぐための解決策は、法治国家を確立することである。ここで個人は国家の恣意から保護される(ibid.:223)。

国家が抑圧的な機構にならないようにするための2番目の解決策は、公的問題への国民の参加を奨励することである。積極的な市民権は、個人の原子化状態と戦うことと国家の抑圧を軽減することの両方を可能にした注11)

ただし、社会的規制の名の下に、国家は個人を抑圧することができる。もちろんこの抑圧は避けられないものではなく、国家の法への服従と市民権の促進を条件として個人の自由は維持される。

socialの原意の違い

一般的にいえばフランス語のsocialには福祉という意味があるが、英語ではないに等しく、日本語では全くない。では、「社会」を使う日本語ではどうするか。

それを国家論にからめて文献を探していたら、高岡裕之(2024)に出合った。以下、詳しく検討してみよう。

ためらいが感じられる「社会国家」使用

高岡はドイツ語のSozialstaat「社会国家」を背景にして、日本の日中戦争期から太平洋戦争期の「総力戦」の戦時体制の国家に対して「社会国家」を適用した歴史学の作品を刊行した注12)

ただし、丁寧に読んでみると、高岡も「社会国家」を使用することへのためらいがあるように思われる注13)

似て非なる表現

なぜなら、本文での表現を抜き出してみると、

  1. 「福祉国家」≒「社会国家」(高岡、2024:420)
  2. 「福祉国家」(「社会国家」)(同上:426)
  3. 「社会国家」・「福祉国家」(同上:427)
  4. 福祉国家と社会国家は別のカテゴリー(同上:429)

などが並立しているからである。これらから判断すれば、両者は到底同じものではありえない。

しかも「筆者が採用したのが、一般に「福祉国家」に相当するドイツ的概念とされている『社会国家』Sozialstaatであった」(同上:431)。

日本語としての「社会国家」には疑問

ただ既述したように、ドイツ語のSozialstaatはフランス語のÉtat socialに匹敵して、いずれも「社会国家」という日本語訳になる。

だから私は、ドイツ語とフランス語の場合はそれぞれの単語の使い方と意味は了解するが、それらを日本語として「社会国家」と訳すのは、社会学の伝統から逸脱するのではないかという疑問を持ってきた。

なぜなら、すでに前回「上」で掲げた表1で示したように、社会学では社会と国家は別次元の概念なのであり、簡単につなげて使えないからである。

近現代日本における『社会国家』化の諸段階という表現にも違和感

そのうえで、「筆者は川越修氏が再定義した『社会国家』概念(工業化、都市化、近代家族化などの社会変動に対する国家の対応)に依拠しつつ、近現代日本における『社会国家』化の諸段階を

  • 1920年代(「社会国家」化の萌芽期)
  • 1930~50年代(「社会国家」化の第一期)
  • 1960~80年代(「社会国家」化の第二期)

と捉える仮説を提示し」(同上:431)たことにも、私は違和感を強く覚える。

高岡は序章の注(6)において、「『社会国家』とは通例、「社会的基本権を認めたワイマール『社会国家』の伝統を持つドイツにおいて『福祉国家』を指して用いられる概念」(同上:396)と見なした注14)

シュナッペの「福祉国家(État-providence)論

ただし、たとえばフランスのシュナッペは、「福祉国家(État-providence)は、民主主義が求めてきた成果であり、生産者と消費者の割合や国民のうち社会的サービスの提供者と受益者の人口比率を増加させる」(Schnapper、2003:26)としたように、「社会国家」論は、「ナチズム体制や社会主義体制(旧東ドイツ)への適用を意図したもの」(同上:396)とは異質な概念であるとのフランス的な見解がある注15)

「戦時国家」は「社会国家」の前に「軍事国家」である

高岡が繰り返すように、「戦前の『社会(的)国家論』で重要なのは、それが単なる『社会政策』の問題にとどまらず、産業・経済をも含んだ広範な領域における『社会化』の問題(≒『自由主義的資本主義』の修正の問題)として論じられていることである」(同上:396)。しかし、そこには肝心の戦前における「戦時国家」における軍事面への配慮が国家論に含まれていない。

そのために、とりわけ日本では「第二次世界大戦後に登場する『福祉国家』welfare stateは、19世紀にさかのぼるこのような『社会(的)国家』論を歴史的前提とする」(同上:397)と言い切っていいのかどうかためらいが強い。なぜなら、「戦時国家」日本を「ファシズム」として理解してきた歴史があるからである。

「社会化」の理解が社会学とは大きく異なる

その理由は、「社会化」の理解が高岡の場合は、

  1. 壮丁体位低下の実態と配慮、衛生主義(第1章)、
  2. 農村社会政策、国民健康保険、商工主義的人口政策、農本主義的人口政策、分村移民事業(第2章)
  3. 生産力主義社会政策、労務動員計画、年金保険構想、住宅供給計画(第3章)
  4. 民族問題としての人口問題、戦時人口政策、農業人口問題、国土計画(第4章)
  5. 健兵健民政策、医療制度の構築、国民体力管理

などに具体化されているからである注16)

これらの「社会政策」を戦時国家日本は実行、ないしはかなり具体化するために努力したから、高岡はその時期の日本を「社会国家」と命名したのだろう。

福祉国家は自由主義国家の範疇

しかし「社会国家」を使うフランスでは、「福祉国家は自由主義国家に対立するものではなく、それを拡大し、正統性の原則の意味合いを発展させる」(シュナッペ、op.cit.:220)。「経済的・社会的・文化的秩序への国家の介入は、民主主義国家の必然的結果である。自由主義国家と福祉国家の間には切れ目や断絶はない」(ibid.:268)。

要するに、フランス語にいう「福祉国家」(État providence)は、socialisme d’État (国家社会主義)とは全く異なり、État gendarme(夜警国家)とも違い、pays libre(自由主義国家)の範疇に含まれていると考えらえる。

だから、「福祉国家」は「戦時国家」(≒「社会国家」)とは異質とした方が言語的にも理解しやすいのではないか。したがって、「戦時国家」の日本に「社会国家」をあえて当てはめる必然性を感じない。

OECDによる「社会支出」項目

さらに現在のOECDによる「社会支出」は、高齢、遺族、傷害・業務災害・傷病、保健、家族、積極的労働市場政策、失業、住宅、その他の9項目から成り立っている(「上」の表5参照)。日本もまた、この「社会支出」を使っている。

現代の自由主義国家と戦時国家との決定的な相違は、軍事予算の比率であろう。これを無視して、「戦時国家」(≒「社会国家」)が成立するのかどうかという疑問もある。

戦時国家は「社会国家」の第一期か

加えて、高岡が挙げた「戦時国家」における「社会化」の実態が上述の1.から5.なのだから、日本だけに限定しても「戦時国家」が1930~50年代には「社会国家」化の第一期と規定されて、1960~80年代では「社会国家」化の第二期になるという分類もまた疑わしい。

「現在の筆者は、『社会国家』を『福祉国家』のドイツ版として理解するのではなく、むしろ戦後『福祉国家』を『社会国家』のバリエーションとして捉えることが、歴史研究にとって有益であると考えている」(高岡、前掲書:432)。

ドイツ語、フランス語、日本語の「社会」と「国家」

それは構わないが、これではなぜ「戦時日本」をドイツ版の「社会国家」で理解しなければならないかの説明にはなっていない。

かりに研究成果をドイツ語で表現するのならば、問題は少ないかもしれない。なぜなら、ドイツとは異なり、日本語の「社会」と「国家」は概念的に組み合わせを困難とする社会学的伝統が生きているからである。

同時にピケティだけではなく、フランス語系の「社会国家」(État social)もまた、歴史的な「福祉国家」(État providence)との相克を乗り越えざるをえない段階にあるから、ドイツ語系のSozialstaatとは一線を画す概念なのだと思われる。

ドイツ語Sozialstaatとフランス語État providenceの違いは解消されるか

おそらく、このドイツ語Sozialstaatとフランス語État providenceの違いは解消されないだろうし、結果的に派生概念としての翻訳語「社会国家」は、日本語の文脈では「社会」と「国家」を単純につなげることを良しとしない文化的伝統の中で、言葉としても宙に浮くことになる。

5. 日本語では「社会国家」ではなく「国家」がふさわしい

戦時国家日本は「社会国家」なのか

戦時国家日本をあえて「社会国家」として命名した高岡が使った際の留意事項の筆頭は、いろいろな政策が混在しているので、そこでの「『社会国家』構想は必ずしも同一ではな」(同上:19)かったことにある。

確かに「近年の福祉国家研究では、日本の福祉国家・社会保障制度の『骨格』や『原型』が戦時期に形成された」(同上:18)とはいえても、それは「福祉国家」の「原型」なのであり、日本語表現のなかで自動的に「社会国家」へと導くものではない。

「社会国家」ではなく 「国家」で意味が通じる

さらに複数の「社会国家」構想の源流として高岡が持ち出した、陸軍=小泉が目指した「衛生主義的社会国家」(同上:21)、大河内一男の「生産力主義的社会国家」(同上:21)、人口学的「民族-人口主義的社会国家」(同上:22)、そして「保健医療政策に主軸をおいた健兵健民政策を軸とする社会国家」(同上:22)の4種類の歴史的事実は貴重ではあるが、単なる「国家」という表現で十分である注17)

そのうえそれらの歴史的事実が示すのは、戦時中なのにあるいは戦時中だから兵隊や国民の「衛生」や「健康」を重視したり、戦争継続して最終的に勝利するためには社会的な「生産力」を高め、「人口増加」を推奨する「社会政策」であったから、軍事型社会における「福祉国家」の原型ではありえても、「社会国家」とはよびにくい。

ピケティによる社会国家の税収と社会支出

なぜなら、高岡がまったく触れなかったフランスのピケティによる社会国家は、「総税収が国民所得の30%を超え、教育、社会支出は総支出の3分の2を占める」(ピケティ、2019=2023:441)とも表現されているからである。

ここにいわれる「社会支出」もまた、社会移転(家族手当、失業手当)、保健(健康保険、病院)、年金、障害年金、教育(初等、中等、高等)、軍、警察、司法、行政、住宅供給などが該当する。

高岡は戦時体制の日本に対してなぜ「社会国家」という名称をつけるのだろう。以下、日本語でわざわざ「社会国家」と呼ばずに「国家」でも十分意味が通じると思われる個所を、本書各章から拾いあげてみる。

英語のsocial stateは翻訳語

第1章

(1)第一次世界大戦後の欧米諸国における行政領域の拡大=「社会国家」化の進展(高岡、前掲書:69)。

「行政領域が拡大」する趨勢は近代化、産業化、都市化などの社会変動の附随した結果であり、国家が果たす機能が肥大したからである。フランス語État providenceとドイツ語sozialstaatのように「社会国家」という言葉はあるが、英語のsocial stateはむしろこれらの翻訳語として成立したのではないか。

なぜなら、現在まで英語辞典や英和辞典ではこの単語は取り上げられていないからである。だから「欧米諸国」という表現では誤解を招く。すくなくとも英語圏の英語辞典では承認されていない。

英語圏では「社会国家」ではなく「国家」で十分

たとえば、機能論の立場からアメリカのマッキーヴァーは、「国家は、ある機能をみたすために、維持されている」(マッキーヴァー、1949=1957:141)として、①領土性、②主権性、③秩序の維持、④強制権力、⑤他のアソシエーションとの調整、⑥課税などを網羅するとした(同上:128-141)。これらに含まれない新しい機能が増えれば、「行政領域が拡大」することになる。

また、パーソンズでも、政治機能が社会構造の集合体の構成要素と密接であるとの観点から、「集合体における権力は、集合目標の利益において有効に義務を動員する手段である」(パーソンズ、1969=1974:28)として、機能論的理解を示した。

その後に「政府は最高レベルの政治的な機能・・・・・・の優位をもっている」(同上:304)として、アソシエーションとしての政府=国家を最高位に位置づけた。

第一次大戦後以降は各国において「集合目標」が多様になり、複合し、その達成が国家の課題になったのであり、英語圏ではわざわざ「社会国家」を使わずとも「国家」で十分意味が通じる。

質実剛健な兵隊確保なら「戦時国家」がふさわしい

(2)ソ連やナチスドイツの如き「全体主義」的「社会国家」のあり方(高岡、前掲書:70)では、「全体主義国家」を使うことで何の問題もない。

(3)「衛生主義的『社会国家』」を創り出す(高岡、前掲書:76)では、戦時体制における軍事型

国家が質実剛健な兵隊確保のために「国民保健衛生」を優先したのだから、むしろ「戦時国家」のほうが文脈に合うであろう。

軍事政策(壮丁体位)や全体主義的理想主義基づく分村移民事業は「戦時国家」

第2章

(4)広田-第一次近衛内閣期は、「社会政策」が時代の要請として脚光を浴び、……(中略)、戦時期に進行する『社会国家』化の出発点として重要な位置を占めている(同上:88-89)。ここで言われる「社会政策」は軍事政策(壮丁体位)と労働政策(重工業熟練労働者確保)なのだから、「社会国家」という表現はふさわしくなく、やはり「戦時国家」が合致する。

(5)1936年時点で「農村医療問題」と「農村人口問題」を「中心的位置」に取り込んだことが、なぜ「社会国家」化になるのか。「戦時国家」が兵士の供給源である農村への関心を強めて、いくつかの農村社会政策を実行したのだから、「国家」の機能拡大という理解で十分ではないか。

(6)「『医療の社会化』=医療をめぐる『社会国家』化」(同上:121)。これは、国家が「医療の社会化」を目指すという表現でも構わない。

(7)昭和初期からの「農村社会改革構想としての分村移民事業は……(中略)「『全体主義的理想主義』……に基づく農本主義的『社会国家』構想だった」(同上:138)。これも、「戦時国家の『国家目標』になった」で意味は十分に通じる。

(8)「近衛が抱いていたとされる『福祉国家』構想とは、こうした軍事工業化路線と一体をなす『社会国家』だったと考えられる」(同上:148)。ここでも、戦時体制において「生産力拡充政策を柱とする国家を志向した」で大丈夫だと思われる。

大河内『戦時社会政策』は「戦時国家」で行われた

第3章

(9)「全体主義的総力戦体制の一環として多様な『戦時社会政策』が登場し、『社会国家』化が進行した」(同上:153)。これもまた「多様な戦時社会政策を遂行した国家」ないしは「軍事国家」で十分である。

(10)「大河内『戦時社会政策』論を生産力拡充に基礎を置く戦時『社会国家』構想の一類型」(同上:154)とみなす。「社会国家」を使わずに、「軍事国家」もしくは「戦時国家」で意味は完全に通じる。

(11)大河内一男は自著(『戦時社会政策論』時潮社、1940)のなかで、「社会国家」を数回使用していた。その場合は、「生産力拡充のための労働力=『人的資源』の配置を主眼とする総動員国家」(高岡、前掲書:165)であった。もちろん現在の「福祉国家」では「生産力拡充」を目的としても、そのような「総動員」政策は採られていない。

(12)大河内の特徴は、「総動員国家」の一面が「経済国家」であり、「その裏面に於いてまた巨大なる『社会国家』」(大河内、前掲書:164)と書いている。だから、主な狙いは「生産力拡充=経済重視国家」への切り替えにあり、「裏面の社会国家」については「労働政策」に重点が置かれたことになる。決して「社会支出」がカバーする社会移転(家族手当、失業手当)、保健(健康保険、病院)、年金、教育(初等、中等、高等)などが重視されたのではない。

生産力拡充政策と連動した『社会国家』構想は「産業国家」で十分わかる

(13)「『戦時社会政策』=『社会国家』を実現するためには、日本資本主義の構造そのものの『構造的変革』が必要となる(高岡、前掲書:167)。ここでも高度成長期から社会学では定番表現となった「産業化を主軸とした国家戦略」で十分である。

(14)「生産力拡充政策と連動した『社会国家』構想を、生産力主義的『社会国家』と呼んでおきたい」(同上:169)。これは「産業国家」で代替できる。

(15)「日中戦争下においては生産力拡充……と、『社会国家』(国民生活に対する保障)がセットで論じられるという状況が生じていた」(同上:169-170)。これも「社会保障への配慮を怠らない国家」で置き換えが可能であろう。

(16)「大河内が総力戦体制の中に展望した『戦時社会政策』=生産力主義的『社会国家』の可能性を体現した方法」(同上:198)。ここでも「生産力向上をめざす国家」で十分である。

民族 – 人口政策を優先する戦時国家

第4章

(17)「『戦時社会政策』=『社会国家』構想」(同上:206)。これは「戦時国家」の「社会政策」でも文意は変わらない。

(18)1941年1月に閣議決定された「『人口政策確立要綱』=戦時人口政策構想は、民族=人口政策の立場から唱えられた『社会国家』構想」(同上:239)。

(19)「人口政策確立要綱」は……「農本主義的色彩の強い民族-人口主義的『社会国家』構想であった」(同上:270-271)。

(20)「民族=人口政策は失速したとはいえ、アジア・太平洋戦争が民族意識を高めたことにより、民族-人口主義的『社会国家』構想そのものはアジア・太平洋戦争下にむしろ強化されることになる」(同上:273)。

これら(17)〜(20)はすべて、「民族-人口政策を優先する戦時国家」でなんら不都合はない。

「小泉厚相により推進された『健兵健民』政策」は「戦時国家」でもよく分かる

(21)全保協・産業組合は……国家的規模の農村厚生事業を展開しようとしていたのであり、いわば組合主義的な『社会国家』が目指されていた」(同上:289)。ここでも「全保協・産業組合の影響力が強い国家」でも不自然さはまったくない。

(22)「国民厚生団構想は厚相となった小泉が目指そうとした戦時『社会国家』の原型を示すもの」(同上:295)。「戦時国家」でも十分わかる。

(23)アジア・太平洋戦争下に展開された国民皆保険運動=国保組合普及運動は、単なる医療保険組織の普及運動ではなく、『健兵健民』政策=戦時『社会国家』の基盤創出を目指す運動だった」(同上:311)。ここでも「戦時国家」が使える。

(24)「小泉厚相により推進された『健兵健民』政策=戦時『社会国家』の著しい特質」(同上:322-323)。(23)とともに、「戦時国家」で差支えない。

(25)「健民修練や『国民体育』のあり方には……戦時『社会国家』の一面が端的に示されている」(同上:333)。これも「戦時国家」で十分である。

無理して「社会国家」を使う必然性がない

(26)「本書で……(中略)明らかとなったのは、『社会国家』化の論理が決して一つではなかったということである」(同上:336)。それならば、無理して「社会国家」を使う必然性もない。何しろ、「体力の向上」、「生産力の増大」、「民族=人口の増殖」、「農村厚生」、「満州移民で農村社会の再編成」など5つの戦時政策が、政策担当者の合従連衡により次々に打ち出されたのだから。

(27)「日本ファシズム=全体主義的総力戦体制は、たしかに戦時『社会国家』の実現を目指すものではあったが、総じてそれは計画・構想のレベルにとどまるものであった」(同上:338)。そうであればなおさら多義的な「社会国家」を使う必然性に乏しい。

「戦前との連続性」はどの時代まで可能か

(28)「近年の福祉国家研究が指摘するように、……(中略)『社会国家』の問題に関してより注目されるのは、……制度面での連続性の背後において、社会状況の戦前への回帰という事態が生じていた」(同上:340)。

高岡はその事例として「戦後における人口問題の変容」をあげたが、「戦前との連続性」は復員兵と植民地・占領地からの引揚者で「過剰人口」が発生した1950年代までの「戦後」であり、1956年の経企庁『白書』がいみじくものべたように、1956年辺りからは「もはや戦後ではない」という状況が生じていた。

(29)「戦後日本の社会状況は、多くの社会科学者にとって『戦時』ではなく、『戦前』と連続していたものと考えられるものだった」(同上:343)。

総論では日本社会の連続性はもちろんあり、たとえば父系的な家族規範、結婚を是とした婚姻規範、月に2回(1日、15日)の休日を是とする職業規範などをあげることは可能である。しかし、「戦後日本」は何しろ長い。高度成長期辺りからは「戦前」との切断も目立ち始めてくる。

高度成長期は「戦前との連続性」が乏しい

その時代は、「週休1日土曜半ドン制」が大企業だけではなく、中小零細企業、官庁、義務教育や高等教育で普遍化した。すなわち働き方が変わり、終身雇用、年功序列、企業別組合の3点セットを核にした「経営家族主義」により、未曽有の経済成長期に突入した。だから、「戦前との連続性」をいうためには、時期的な判断を加えておきたい。

(30)「戦時『社会国家』(構想)は、『戦後』へと直結するものではなく、むしろ高度経済成長期さらには『現在』へと連なる面がある」(同上:344)。

もちろん断片的にはそうであろうが、戦時国家を「社会国家」と読み替えて、それが高度成長期までではなく、「現在」へと連なる面を強調するには、本書では材料が乏しすぎる。

日本の社会科学の歴史の中で、高度成長期を挟んだ30年間はマルクス主義に立脚した「国家独占資本主義論」の全盛期であったことを忘れてはいけない。しかしそれも20世紀末のソ連の崩壊前後から影をひそめ、21世紀の「現在」では消滅した(金子、2023)。

日本語での「社会国家」表現は控えたい

以上の本文での検討をもとに私の結論は以下の通りである注18)

(1)社会(コミュニティ)と国家(アソシエーション)という基礎的概念を区別する社会学の伝統から、学術的な「社会国家」という日本語表現は控えたい。

(2)機能論的な理解が普遍化している国家論の伝統を踏まえると、農本主義、生産力主義、社会政策志向、移民促進人口増加、厚生行政の各論に「社会国家」は使わない。国家の機能拡大で十分である。

(3)本節で点検したように、使用された文脈でもすべて「国家」だけで十分意味が通るので、「社会国家」という日本語表現は避けたい。

(4)ドイツ語での「福祉国家」「社会国家」だけに留意するのではなく、フランス語での「福祉国家」「社会国家」にも配慮がほしい。

日本語表現としては「国家」だけで事足りる

日本語で国家を論じる際には、それが最大のアソシエーションであり、多機能を国民から求められることにより、戦時国家、産業国家、租税国家、福祉国家などの表現を生み出したが、いずれも日本語表現としては「国家」だけで事足りると考えられる。

注11)ここでは、「社会運動が抑圧されてきた社会は、市民社会を抑圧してきた社会でもある」(長谷川、2024:35)もまた想起しておきたい。

注12)学習用の『アポロン独和辞典[第3版]』(2010年)では、Sozialstaatは「社会保障の整った福祉国家」と訳されている。

注13)高岡はドイツ語からの翻訳文献のみを利用して「社会国家」を論じたが、同じようにフランス語文献でも「社会国家」が使われてきたから、「社会国家」定義そのものについてもためらいが読み取れる。

注14)高岡の本文における論述では、フランスにおける「福祉国家」の伝統が全く活かされていない。

注15)そうすると、太平洋戦争当時の日本の「戦時社会」は「ファシズム」として理解されることが多いから、フランスでの使い方のように「ナチズム」と「社会国家」とは別物だというフランスでの使い方からすると、日本の「戦時社会」を「社会国家」と見なすことが難しくなるのではないか。たとえば、丸山はその主著(1964)の「日本ファシズムの思想と運動」(:29-87)と「ファシズムの諸問題」(:247-269)において、当時の日本を「ファシズム」と断定している。また『広辞苑』でも「イタリア・ドイツ・日本・スペイン・・・・・・」をファシズムに含めている。同じく『日本大百科全書』(小学館)でもファシズムの典型としてイタリア・ドイツ・日本の3か国があげられている。

注16)社会学では「社会化」は‘socialization’の訳なので、このような「社会政策」を含めることはない。

注17)高岡は周到に「衛生主義的社会国家」論を第1章で、「生産力主義的社会国家」を第2章第3章で、「民族-人口主義的社会国家」を第4章で、「健兵健民政策を軸とする社会国家」を第5章で詳述している。いずれも歴史的事実が満載されていて、この資料・史料の豊富さには社会学者はまったくかなわない。

注18)本文には文庫版用の「補章」として、秀逸な高田保馬研究「高田保馬と戦時人口政策」が付加されている。これについては他日を期したい。なお、金子編(2003)を参照のこと。

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