2025年はヨハン・シュトラウス・イヤー

2025年は作曲家で「ワルツの王」、「ウィーンの太陽」と呼ばれたヨハン・シュトラウス2世(1825年10月25日~1899年6月3日)生誕200年を迎える。ウィーン生まれのシュトラウス2世を祝う記念コンサートやイベントのプログラムが先日発表されたばかりだ。

来年生誕200年を迎えるワルツ王ヨハン・シュトラウス2世 Wikipediaより

ウィーンから見た“美しき青きドナウ川”の風景(2013年4月26日撮影)

「シュトラウス・イヤー」のプログラムに関心がある読者は

Johann Strauss 2025 Wien

をクリックすれば約250日間にわたる65のプログラムが掲載されている。スター打楽器奏者マーティン・グルービンガーが指揮する参加型音楽プロジェクト「カウントダウン・シュトラウス」が既に始まっている。

ところで、世界各地から毎年、古典音楽ファンがベートーヴェンやモーツァルトの息吹を体験したいと音楽の都ウィーンを訪問する。ところで、ウィーン子にとって音楽といえば楽聖ベートーヴェンや天才モーツァルト、歌曲の王シューベルトの音楽ではなく、先ずワルツの王ヨハン・シュトラウス2世だ。舞踏会のシーズンに入ると、シュトラウスの曲が至る所で流れる。ニューイヤーコンサートではシュトラウス2世の「美しき青きドナウ」が演奏され、コンサート最後には父親ヨハン・シュトラウス1世の代表作品「ラデツキー行進曲」が演奏されるのが慣例だ。

ウィーン子がボン生まれのベートーヴェンやザルツブルク出身のモーツァルトを嫌っているのではなく、シュトラウス・ファミリーのワルツが好きなのだ。ワルツに乗ってダンスに興じるのはシュトラウス時代、貴族社会では最高の喜びだった。シュトラウス・ファミリーがウィーンのワルツ界を牛耳っていた。

オーストリア帝国の首都ウィーンで1814年、ナポレオン後の欧州の秩序を話し合う会議が開催されたが、夜な夜なダンスが開かれ、社交界は華やかだったが、肝心の会議は進まなかったことから、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されたものだ。あれから約200年が過ぎるが、ウィーンは現在、世界的な国際会議の開催地として有名だ。舞踏会になれば、ウィーン子や世界からきた人々がワルツを踊り出す。

シュトラウス2世の作品としては「美しき青きドナウ」、「ウィーンの森の物語」、「皇帝円舞曲」などのほか、オペレッタ「コウモリ」がよく知られている。シュトラウス・イヤーでは、劇場やコンサート、実験的なスペシャル企画なども開催される。「クラシックなプログラムを期待している人は失望するかもしれません」と、シュトラウス生誕199周年にプログラム発表を行った総監督ローランド・ガイヤー氏は述べている。

記念プログラムは、「ピュア」「ミックス」「オフ」という3つのセクションに分かれている。「シュトラウス・イヤー」は音楽的に大晦日の夜にスタートし、市庁舎前広場で開催されるウィーンのシルベスターパスで、ウィーンの音楽愛好家たちによる「スーパー・バンド」が、オーストリアの打楽器奏者マーティン・グルービンガーの指揮のもと演奏を行う。歌手アンカティ・コイやマックス・ムツケ、フェリシア・ルー、ドラマーのトーマス・ラング、スティングの打楽器奏者ラニ・クリジャらが出演する予定だ。

また、シュトラウスの代表作「コウモリ」は、誕生から151年を迎える来年4月5日にウィーン中で祝われる。特にミュージアムクォーターでは、昼間は子供や家族向けにシュトラウスのメロディーを体験でき、夜にはスロバキア出身のヤノスカ・アンサンブルによる特別版オペレッタが披露される。

ウィーン市はシュトラウス2世生誕200年記念事業のために200万ユーロ増額して合計2200万ユーロを計上している。ちなみに、この予算額は2006年の「モーツァルト・イヤー」の予算(2910万ユーロ)よりも少ないという。

ワルツは別として、当方はシュトラウス父子に関心がある。父親シュトラウス1世は息子が自分より人気のある曲を作曲するのを妬ましく感じていたという。モーツアルトの父親は息子の才能を知って、それを如何に発展させるかで腐心したが、シュトラウス・ファミリーの場合、シュトラウス1世の父親が作曲家で当時、それなりの名声を得ていたこともあって、息子(シュトラウス2世)が自分よりも人気があることに我慢ができず、息子の悪評を流したというのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年10月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。