第50回の衆議院選挙結果
石破内閣の信任投票の意味合いが濃い衆議院選挙が終わった。
パーティー券売り上げでキックバックされた収益の「不記載」をめぐり、野党のいう「政治とカネ」、石破首相の「日本創生」を旗印にした選挙であったと総括される。
選挙結果の概括
結果は、逆風が吹いた自民党と公明党の与党連合が過半数を割り、新しい政治構造が誕生した。
選挙戦序盤は安倍内閣岸田内閣時代のつけを背負い込んだ石破首相は、長年の非主流派だったこともあり、それまでの自民党とは異なる政治理念と手法が期待されていたが、自民党総裁選挙時の発言との食い違いが生じたことが野党からの追及をうけることになった。
そのうえ終盤では、「領収書不記載」のために自民党に公認されなかった候補が出馬した県連支部に、あろうことか幹事長が2000万円の補助金を支出したことが「赤旗」で暴露されて、苦境に追い込まれて、自民党は文字通り惨敗した。
ただし共産党も2議席を減らしたので、その暴露記事の恩恵にはあずかれず、立憲民主党が漁夫の利を得たという総括になる。
「2000万円」によるオウンゴール
野党の統一候補がほとんどの選挙区では未成立だったから、上記2点がなかったならば、小選挙区でも自民党はある程度勝利して、未公認で出馬した候補もかなり善戦したはずであったが、最終段階の「2000万円」が国民の感情を強く刺激して、「オウンゴール」のような結果を生みだしたと考えられる。
選挙結果により政治勢力が4極分散
自民党は191の議席に止まり、公明党は代表落選を含めて24議席になり、合計しても215議席で過半数に届かない。選挙前の議席に比べて実に73議席の減少になった。
いずれ無所属で出馬して当選した議員を吸収して220名程度にはなるだろう。そうすると定数465議席の47.3%になるので、依然として政治勢力の第1極は自公連合である。
一方、50議席を増加させ、148議席に達した立憲民主党は総議席31.8%を獲得したことになり、これがいわば第2極を構成する。
第3極は愛知県を中心に3.5倍の大躍進著しい28議席の国民民主党、そして大阪の全小選挙区を制覇したが、全国的には伸び悩んだ38議席の維新の合計で13.8%の第3極になる。第4極が、9議席のれいわ新撰組と8議席の共産党を含む約7%の少数政党の集合体になる。
安定与党体制が成立しなかったので連立政権の幅が広がるだろうが、「政治とカネ」や「政治責任」のスローガンを唱えるだけでは内外で山積するたくさんの課題をこなせないので、各党は内紛に興じる前にテーマごとに他党と「緩やかな連合」を作ってほしい。
選挙の判断基準の事例
図1は投票日の『朝日新聞』に掲載された「自公が政権復帰してからの変化」一覧である。これを見る限り、この12年間は「高齢化率」を除き、「人口」と「少子化対策」関連は軒並み減少傾向にあったことがわかる。
「保育所入所待機児童数」もここに該当する。この期間、「待機児童ゼロ作戦」として「認定こども園」をはじめたくさんの保育園が増設され、定員を増やしたことも「待機児童」が少なくなった理由の一つであろう。しかしながら2012年の出生数が103万人だったのに、2023年では実に72万人に大幅に減少したことが最大の原因である。
ちなみに合計特殊出生率は1.41から23年では日本史上最低の1.20にまで低下した。その反面で高齢化率は24.1%が23年では29.3%にまで上昇した。
この人口変容への取り組みこそが内政の最大課題であるという演説には、最後まで出会わなかった。
「経済面」の項目も「労働面」の項目も上向き加減
一方で、「経済面」での日経平均株価と税収は増加して、同時に「労働面」での有効求人倍率と大卒就職内定率なども軒並み上がってきた。ただし、高齢化の着実な進行を受けて、税と社会保障の負担割合としての「国民負担率」が39.4%から45.1%へと上昇してきた。すなわち、国民の負担が重くなり始めたのである。
ただし、政治制度や税制度の相違により、図2のような諸外国と比べた場合「国民負担率」をどの程度にするか。「政治とカネ」を叫んで当選され方々は、まずはこの応用問題の背景、現状、日本でふさわしい比率についての学習を始めてほしい。
キャッチワードが飛び交った選挙演説
政治はこれらすべてに深く関連するから、本来は「国民負担率」も含めて図1の10項目それぞれについて、政党ごとに今後の方針を示されることを希望する。
「社会保障給付費」の増大をどうするのか
さて、大半の国民が不安を感じている3割を超える高齢者の時代の到来を前に、選挙期間中においてもすべての政党は積極的な対応のメッセージを出さなかった。年金、医療費、福祉その他という「三大社会保障給付費」の増大を受けて、これから何をどうするかという議論が乏しかったのである。
その意味では過半数に届かなかった自公でも「政治とカネ」を越えなかった野党各党でも、速やかな高齢社会対応の社会システムの設計と第2期目の「地方創生」の具体化に心がけてほしい。本稿(上・下)は、そのための基礎情報のまとめである。
総務省「統計からみた我が国の高齢者」より
9月27日の自民党総裁選に先立つ9月15日(敬老の日の前日)に、総務省が発表した報道資料「統計からみた我が国の高齢者」(以下、「統計トピックス」と略称)は、直面する我が国の「少子化する高齢社会」の多様な実態を教えてくれる。それは人口動態に関する「日本新記録」「世界新記録」が満載された資料でもあった(表1)。まずは、それを見ていこう。
高齢化関連
1.日本人1億2376万人(外国人を含む)に占める65歳以上3625万人の比率(高齢化率)が29.3%になった(日本新記録)。
人口1000万人以上の国でみると、2位はイタリア(総人口5934万人、24.6%)、3位はポルトガル(総人口1043万人、25.5%)、4位はギリシャ(1005万人、23.9%)、5位はドイツ(8455万人、23.2%)であったので、高齢化率は世界新記録の比率でもある。
日本の高齢化率29.3%が第1位
これは国連加盟の人口10万人以上の200カ国・地域のうち、日本の高齢化率29.3%が第1位になったことを示すものである。
「統計トピックス」では、総人口が34万人のマルティニーク、324万人のプエルトリコ、38万人のグアドループ、562万人のフィンランド、388万人のクロアチアを10位までに含めているが、私は人口1000万人以上の5カ国だけを拾い出した。
比較の基準を揃える
なぜなら、人口総数は社会システムの規模と構造と機能を左右するので、1億2376万人の日本の近未来を考える際には、あまりにも人口総数が異なる国との比較は困難という判断を行ったからである。
ちなみに、すでに国連でも「年少人口率」としての「子どもの比率」の比較には4000万人以上の加盟国37カ国のデータを使っている。それは「少子化関連の日本新記録」の21でのべたように、日本の11.3%は韓国の11.2%に次いで低い方から2番目であった。国連ではかなり前から、全加盟国のデータ比較とともに、4000万人以上の37カ国だけの統計も発表している。
高齢化率では日独伊が米英仏よりも高い
関連して「主要国の高齢化率」のデータも紹介してしておこう(図3)。かなり以前から、このようなG7を軸とした高齢化率の比較では、日独伊の旧枢軸国が米英仏などの旧連合国よりも必ず高くなるという歴史的事実がある。今回もまた、同じ傾向が認められた。
日伊では「前期高齢者」率より「後期高齢者」率が高い
とりわけ、日独伊では全体の高齢化率の高さとともに、75歳以上の「後期高齢者」率の高さが目立った。さらに日本の16.8%とイタリアの12.8%は「前期高齢者」の比率よりも「後期高齢者」の比率は高く出た。ドイツも11.4%ではあったが、「前期高齢者」の割合がやや多かった。
その後に続くフランス、カナダ、イギリス、アメリカでは、高齢化率でも20%前後にあり、「後期高齢者」と「前期高齢者」の比率でも「後期高齢者」が少ないという結果が出たことになる。
これは第二次世界大戦後の特徴なのか、それ以前からの変わらぬ傾向なのか。この判断は困難であるが、大戦から80年後の歴史的事実として旧枢軸国であった日独伊の高齢化率が、米英仏などの旧連合国よりも一貫して高く出ていることを指摘しておこう。
後期高齢者が2000万人を超えた
2.75歳以上(後期高齢者)人口は2076万となり、その比率が人口全体の16.8%に達して、これは日本新記録となった。2076万人の男女比は男が人口全体の13.8%、女が19.6%であった。
3.80歳以上の高齢者総数も1290万人を数え、総人口に占める割合が10.4%になり、日本新記録を更新した。内訳は男が全体の7.9%、女が12.8%を占めた。
ともかく75歳を超えた「後期高齢者」が人口総数で2000万人を超えていて、その比率は16.8%に達するのだから、少子化の指標としての「年少人口数」が1401万人であり、全体に占める比率が11.3%であることを勘案すると、高齢者総数が次々世代の子どもたちに重圧になっている。
「後期高齢人口」が「年少人口」よりも600万人も多い
これらの諸事実について、今回の選挙ではどの党もきちんと触れずに、「所得を増やす」「消費税を下げる」「一時給付金を支払う」などに終始した。これは日本社会に起きている「人口変容」への認識不足からである。
もちろん、加齢に伴って健康を損ないいろいろな病気が出てくること、および要介護の状態に陥りやすくなるという超高齢社会特有の問題が必ず登場するから、社会全体の負担は確実に増加する。
この健康と要介護問題については、2022年の「国民生活基礎調査」結果を使って、7月のアゴラでまとめているので参照してほしい(金子、2024b)。
ただし、以下ではやや角度を変えて、増加した高齢者の社会参加、社会的役割活動の領域を論じてみたい。
役割理論の応用
なぜなら、高齢化率3割時代では、健康と要介護面とともに、社会学の役割理論の応用によって、「生活の質」維持に有効な高齢者のライフスタイルの見直しも急務だからである。
類書でも本稿でも、収集されたデータによって、親や祖父母としての固定役割、夫や妻としての固定役割、あるいは町内会、老人クラブ、NPOなどでの地域役割が多くなる方が、サクセスフル・エイジングに結びつくことが前提となっている。そしてここに、コミュニティがもつ機能が期待される。
コミュニティは学術用語と政策用語を兼ねる
日常語を超えた学術用語と政策用語を兼ねるコミュニティに、実践的有効性が感じ取れる意味内容を補填して、微力ながら得られた総合的結論は、コミュニティの創造には、個人間の互いの親しさだけではなく、集合的な目標の共有と協働こそが肝要であるに尽きる注1)。
そこでの論点の筆頭は、地域社会における相互性と互恵性の意識からなる集合的関係の有無である。すなわちお互いさまの関係で、皆で大きな社会目標達成を求める際にもコミュニティは有効な概念となる。
地方創生の「スタートアップ」
そのうえで、一定の生活空間において、そこでの成員に共有される感情的な支柱と強い愛着心が「心の習慣」になる注2)。それはコミュニティの母体でもあり、集合的凝集性と永続性を創り出す相互性、互恵性、義務感、道徳的感情を生み出す心の状態を象徴する。
老若男女の成員間に、少しずつでも共有され始めた社会目標としての「地域づくり」の具体化が始まれば、文字通りそれは地方創生の「スタートアップ」につながる。
役割理論
人間は役割(role)を通して社会的な結びつきを持つ。ここでいう役割とは、年齢に応じた社会的地位に付与されているとされる。
たとえばマートンによる古典的定式では、「地位とは、特定の諸個人が占める社会体系内の地位を意味し、役割とは、かかる地位に属する形式化された期待を行動的に演ずることを意味する」となる(マートン、1957-1961:334)。
定義から分かるように、役割は地位に付属するのだから、定年退職後の高齢者のように職業上の地位が無くなれば、その役割もまた消滅する。一人暮らしになれば、「家族役割」が失われる。それらを一般化して、私は高齢者を「役職縮小過程の存在」として規定してきた(金子、1993:41)。
そして、実際に担ってきた人間の役割を、ライフサイクルに応じて「固定役割」、「循環役割」、「流動役割」と独自に分類した。そして誰でもが人類の一員なので、古今東西を問わず、「人類役割」を第4番目の分類に含めた。
固定役割
人間は親から生まれるので、同居の場合の親世代では、子どもを育てるという「固定役割」に含まれる「家族役割」が鮮明である。悲しむべき児童虐待はその裏返しである(金子、2020b)。
子どもが幼いころは社会化のための家族内「役割」が鮮明であるが、子どもの成長に連れてそれは弱まり始める。そして、子どもの就職や結婚による他出がそれに拍車をかけ、最終的に高齢者の一人暮しになると、「固定役割」としての「家族役割」は失われてしまう(金子、1993)。
循環役割
親世代は60歳代に訪れる定年を迎えるまで職場における日常生活を優先することが多く、「職場役割」としての「循環役割」を維持している。
「循環役割」の提供は職場での地位にあるとはいえ、主任や課長や部長などの地位は定年によりすべてが絶ち切られる。しかし、その地位に付随する役割は別の人が受け持つ。だからこれを「循環役割」と称した。
ただし「職場役割」から離脱した高齢者は「役割縮小過程」に突入することになる。同様に、嫁に実権を譲った姑もまた、家庭内での「固定役割」を喪失するが、家庭内での役割は嫁に移り、結果的に役割は循環する。
地域社会における「流動役割」
高齢者男女ともに縮小した役割の復活基盤は、職場や家族ではなく地域社会にある。確かに現状では、地域社会には町内会を始めとして年齢階梯集団である老人クラブや女性だけの婦人会もあるが、いずれも活発な活動を行っているとはいいがたい。
ただその代わりに、社会運動やNPOなどもまた地域社会を基盤にするから、どこからでもその一部を担えれば、「流動役割」が生まれることになり、それは地域社会の中で自助、互助、共助などによる有効な機能を果たす。
同じく、近隣や趣味を通した個人的な関係のなかでの「流動役割」づくりも有効である。なぜこれを「流動役割」と表現したかといえば、地域社会では多くの人々が相次いで同じ役割を担えるからである。
新規の役割は地域社会から得られる
総じて「役割縮小過程の存在」として高齢者は位置づけられるが、高齢者の生きがい論に絡めると、「限界役割効用」概念を使って、役割がゼロに近くなった高齢者に一つでも新規の役割が増加すれば、生きがいを含めた効用が大きくなると判断される注3)。
私のこの主張を富永健一は、自著の末尾に置いた「Ⅶ 未来へ向けての展望」の「第30章 高齢化社会と福祉」で取り上げて、「高齢者問題にとって、高齢者と地域社会との結びつきということが、不可欠のテーマになる」(富永、1996:486)とした。
そして、「高齢者の最大の悲哀が・・・・・・社会システムの中で自分の占める場所がなくなることであり、(中略)地域社会役割という発想は、この問題への解決として考え出されたもの」(同上:490)と規定した。当時、この評価には大変励まされた。
エイジズム(年齢差別)にも敏感
このような特徴をもつ「少子化する高齢社会」では、高齢者の生活も「老若男女共生社会」のなかで位置づけ直し、エイジズム(年齢差別)に敏感になり、全世代間で対等の関係を創造するしかない。
それには「老若男女共生社会」の基本的福祉構造を、自助・互助・共助・公助・商助として、個人も行政も企業も地域団体も連携を実現していくことに尽きる注4)。
高齢者の生活保障
一般に「高齢者の生活保障」は制度的なサービスの存在を前提とすることが多いから、医療、福祉、介護などの分野では、財源の裏付けがある継続的な整備と拡充がもちろん望ましい。
しかし同時に制度に依存するだけではなく、高齢者が自らの位置をしっかり見据えて、自助や互助や共助などを最大限に活用するライフスタイルの涵養に努めることも、人生80年時代では生きがいも含めて得るところが大きい。
高齢者の位置づけ
ここでの高齢者の位置づけは、図4のようになる。
取り上げるテーマに合わせて、この見取り図の中からモデルとなる高齢者を選択する。
健常者には「半健康」とみられる通院中や服薬中の高齢者も含む。また、居住する都市の規模によっては、施設ケアも在宅ケアも難しい自治体が存在する。すべての自治体が老健施設を持っているわけではないし、夕食の宅配サービスが可能な自治体も限定されている。
いずれも問題意識に合わせて、具体的な観察や調査結果を利用して高齢者生活の現状と課題を明らかにする。
社会学からの準拠点は、高齢者生活における金銭や資産というよりも、社会関係面の現実が生きがいや危機感などの意識面まで左右するというところにある(金子、1995)。それをバネにして、1800の自治体では、速やかに新生の「地方創生委員会」を立ち上げて、その委員には図4の分類を基にして、「産官学金労言」の意欲あるOB・OGを入れていただければと願う。
(「地方創生」における高齢者の役割(下)につづく)
※【参照文献】は「下」でまとめて掲載します。
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注1)私のコミュニティ論については金子(2011)を参照してほしい。そこでは地域作りのための活動事例としてコミュニティ・アクションについても触れている。多くの場合、関心は強いが、その問題の専門家でもない中・高齢者のグループによる地域社会での集合行動の形態をとっている。これは特定の目標に向かって複数の人間が集まりその達成に努力する運動であり地方創生の「スタートアップ」としても認識可能である(加藤、2024).
注2)「心の習慣」(Habits of the Heart)はベラー独自の概念である(ベラーほか、1985=1991)。コミュニティ研究史では、個人とコミュニティとの関連は、どちらかが強くなれば、他方が弱まるというゼロサム状況にあるのではなく、むしろ強い個人主義と強いコミュニティとが連動することが言われてきた。すなわち、強い個人は強い家族(strong family)や強いコミュニティ(strong community)に支えられていて、逆もまた真である(金子、2006:99-101)。
注3)「限界役割効用」理論とは、経済学にいう「限界効用」(marginal utility)をヒントに役割理論に応用した私の造語である(金子、1993:59-62)。高齢者は「役割縮小過程」の存在だから、たとえば町内会長という一つの役割が新たに付与されれば、その効用は非常に大きくなる。ただし役割が多くなれば、一つの役割がもたらす効用は減退する。これは「限界効用」と同じである。
注4)ここに、10月4日の石破「所信表明演説」での地方創生主体とされた「産官学金労言」を入れることが可能になる(金子,2024c)。