マキャベリを愛読していた読売新聞主筆の人脈作り

歴代大蔵次官との懇談の場も

98歳で死去した読売新聞主筆のナベツネさんは、政界、官界、政治部を中心とする記者仲間、野球界、相撲界と人脈は幅広く、私が見聞したのはそのごく一部にすぎません。単に交友関係というより、戦略的に人脈を広げていく姿を垣間見ることができました。

渡辺恒雄氏 NHKより

ナベツネさんが重視していたことの一つは、大蔵省官僚に対する人脈作りだったに違いない。歴代事務次官複数との定期的な会食の場を設けていたはずです。私は財政研究会(大蔵省記者クラブ)に何度か在籍したことがあり、親しかった元事務次官もおり、時々、その様子を聞くことができました。

次官側が1人、2人というのではなく、かなりまとまった人数のようで、ナベツネさんの政治情報の広さを知れば、大蔵省側もそれに応じるだけ価値があると考えていたのでしょう。

私の想像を交えていえば、ナベツネさんは戦後まもなく、政治部記者となり、政治家との交流を広げていきました。ナベツネさんは「政治家の弱点は、財政問題にうとい」ことに気が付きます。政治家にとっては、国家予算をいかにたくさんとり、選挙区の地元や選挙地盤の業界に流せるかが勝負です。その政治家は財務省、予算の仕組みに詳しいとは言えない。

そこでナベツネさんは、「財政、予算の仕組みを勉強すれば、政治家より詳しくなり、教えることができ、ありがたがられる。そういう人間関係を作れば、政治家緊密な関係を築ける」と考えた。歴代事務次官が何人、参加していたかは正確には知りません。気にいらない一部は除外されていたはずです。硬骨漢で「大蔵省のドン」といわれていた人物は「私は参加していない」といっていましたから、外されていたのでしょう。

とにかく、大蔵省事務次官OBとの交流を深め、政治家との関係強化につなげる。そういう計算だったと想像します。論説委員長、主筆になると、大蔵省の財政審議会の委員になることを希望し、実現しました。政治記者でありながら、猛烈に財政を勉強したことは確かで、政治記者としての武器にしたとみます。官僚も政治情報を知りたがる。ギブアンドテークの関係です。社長、会長になれば、加速度的に人脈を広げることができる。

省庁再編が政治課題(橋本内閣、96年)になった時は、本社の調査研究本部で読売私案を作成し、公表することになりました。ある時、通産次官が急に来社し、主筆に「これからは情報系が重視されるので、私案に落とし込んで下さい」と陳情にきたほどです。ほとんど私案は完成しており、「困ったな」と言いながら、それに応じる。

これに限らず、読売新聞は多数の政策提言を発表しています。そのたびに、政治家、官僚らが陳情に来社し、人脈は重層的に広がっていくのです。

主筆死去の新聞報道で、ライバル紙であった朝日、毎日新聞を含め、OBになっている元政治部記者らが競って追悼文、評伝を書いていました。「取材対象の政治家と一体化していたのは、ジャーナリストそして、一線を超えていた。政界フィクサーになっていた」などと批判しながらも、桁外れの存在感があったなどと、賞賛に近い感想を述べていました。もっと厳しい論調の追悼文かと想像していたところ、違いました。

ライバル紙が何ページも紙面を割き、追悼記事を掲載するなどとは異例です。想像するに、古い政治記者ほどナベツネさんに接触、同席する機会が多かった。その一つが「山里会」とかいい、古参の政治記者と首相を始めとする有力政治家が懇談する場があったはずです。中心人物はナベツネさんです。ある程度、人選もしていたかもしれない。本音を聞ける場に同席できることは、政治記者にとって願ってもないチャンスでしたでしょう。

そこで双方が丁々発止の激論を交わす。得難い取材の場です。当然、オフレコだった。そういう場を通じて、他社の政治記者はナベツネさんに、互いが競争相手のライバル紙という関係を超えた連帯感を持つようになったに違いない。朝日、毎日などが文章の半分以上が賞賛に近いナベツネ論で、それを掲載していたことは印象的でした。

中には、プロ野球のセリーグ会長、横綱審議会の会長に就いた人もいました。その人選でナベツネさんが影響力を行使していたと想像します。不遇だったNHK会長も、かつての盟友ということから、何かと面倒をみてもらったという話も聞いたことがあります。

面倒見という点では、印象深い記憶があります。朝日新聞の論説主幹だった若宮啓文氏には親近感を持っていたようです。若宮氏の父親が鳩山一郎首相の秘書官を務めていたため、ナベツネさんは政治記者として鳩山邸宅に出入りしていた。その縁で息子の啓文氏とも親しくなったようです。

若宮啓文氏とは、靖国参拝問題でインタビューに応じ、見解が一致し、朝日の論座に掲載されました。ライバル紙の朝日の月刊誌に、読売の主筆のインタビュー記事が載る。めったにない珍しいことです。その若宮氏は退職後、国際会議のための中国出張中、ホテルで急死(2016年)しました。

驚いたのは、朝日新聞の朝刊をみると、記憶に間違いがなければ、なんと渡辺主筆が追悼文を寄稿しているではありませんか。こんなことは前代未聞でしょう。追悼文を送るほう、追悼文分を載せるほうといい、まずあることではありません。今回のナベツネさんの死去では、朝日、毎日の記者OBが「毀誉褒貶があった」などと指摘しながらも、かなり親近感をもった追悼文を掲載する。政界記者の世界は不思議な場です。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年12月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。