海外移住と節税の裏技:20代起業家が見つけた理想のライフスタイル

海外に住みつつ、インターネット上で完結するビジネスを経営し、経済的自由を得つつ節税を図る。これは、自分でやったことのない人には想像しにくいでしょう。

20代の若さで東欧ジョージアに住み、この仕事のスタイルを実現したS氏に、ここまでの経緯を聞きました。(インタビュー日:2024年12月15日)

recep-bg/iStock

大学在学中の19歳、中国からの輸入ビジネスを起業

――起業したのは何歳のときですか?

S:大学に在学していた19歳のとき、起業しました。こう言うと、かっこ良さげに聞こえるかも知れません。でも、私はコンビニエンスストアでアルバイトをしていたのですが、人によっては1か月で研修マークが外れるところ、私は半年間も研修マークが外れませんでした。普通に会社勤めをするのは向かないかな、と思ったのが、起業のきっかけです。

S:最初に始めたのは、中国からの輸入ビジネスでした。服からスマートフォンのケースまで、あらゆる物を輸入し、メルカリなどで売るというビジネスです。儲かったことは儲かったのですが、起業するような大学生でしたから、もっとキラキラした輝いているビジネスをしたかったんです。何者かになりたいという憧れが強かったんですね。

医療関係メディア事業が大失敗、22歳で1500万円の借金を抱えてしまった!

S:もっと社会にインパクトを与えられるビジネスをしようとして22歳のころ始めたのが、希少疾患に関するメディアでした。今は治癒したのですが、そのころ、弟が希少疾患になってしまいました。希少疾患の患者は、なかなか情報を得ることができないのです。そこで、治験の募集をしている医師・研究者と患者とをつなぐメディアを作りました。

ところが、まったくダメでした。そもそも、希少疾患というくらいですから患者数が少なくビジネスになるほどの数になりません。しかも、患者からも医師・研究者からもお金を取りにくいのです。

この起業のため、個人の投資家からを中心に、1500万円くらいの借金をしていたので、残ったのは借金だけでした。普通にサラリーマンをしていては、1500万円も返せませんから、このとき、大学卒業をして普通に就職をするという道は絶たれました。起業して稼ぐ以外の道がなくなりました。

1500万円の借金を返すため、D2Cビジネスを起業

S:これだけ借金があったら、キラキラしたビジネスで社会にインパクトを与えたいとか、夢を見ている場合ではありません。夢を見るのは稼いでからです。

そこで、経験があった中国輸入のビジネスを、もう一度やることにしました。23歳のころです。

でも、まったく同じではありません。今度は、中国で売られている商品を仕入れて日本で売るだけではなく、自分でブランドを作っていき、付加価値を付けていくことにしました。最近の言葉でいえばD2C、当時の言葉でいえばOEMですね。

売り始めた商材は、ペット用品です。わたし自身が犬や猫を飼っていた訳ではないのですが、好きな人であれば金額が高くても気にせず買ってくれることが、以前の経験から分かっていたので、選びました。

S:このころ、自分自身で目標を明確にするため、「自分契約書」というのを書きました。2年後に5000万円以上で会社を売却しよう、そうして海外に行こう、そう決めました。

Sさんが住むジョージアの首都トビリシ市内
筆者撮影

輸入D2Cビジネスの必勝法、見つけた!

S:ちょうどペット用品ビジネスを始めてすぐにコロナ禍になりましたが、ペット用品ビジネスには追い風で需要が急増しました。そのおかげもあって、目標としていた5000万円には及ばなかったものの、起業から1年後に2800万円で事業を売却することができました。

とはいえ、輸入ビジネスでは、キャッシュフローの管理が大変でした。

OEMでペット用品を作ってもらうには、前金で支払いをしなくてはいけません。支払いから納品までが約4か月、そして、日本に運搬して販売、Amazonで売る場合ですと入金があるのは翌月になります。つまり、製造会社への支払から、販売後に入金があるまで、約5か月もかかります。

この期間を少しでも短縮するため、軽くて高価な商品を増やして船便でなく航空便で運ぶようにするなど、大変でした。

資金が少ないと、商品が品切れになりやすくなりますが、そうすると、Amazonの中で上位に登場しなくなってしまうのです。

ですから、このビジネスを行うためには、とにかく資金が必要でした。今回も資金は借金に頼りましたが、前回の失敗から学び、今回は政策金融公庫やコロナ融資といった、公的な低利の融資を活用しました。

――輸入ビジネスは確実に稼げる勝ち筋を見つけたようですね。

輸入品販売ビジネスから、ノウハウ販売とコンサルティング業務へ

S:はい、楽ではないので、自分でもう一度輸入ビジネスをやりたいとは思いませんが、ノウハウは確立できたと思います。

そこで、輸入ビジネスを売却した後も輸入ビジネスのコンサルティング業務を続けていました。さらに、ペット用品ビジネスを売却した後で、輸入ビジネスのノウハウをまとめ、販売を始めたのですが、これが予想以上に売れました。

事業売却のあとで得た収入もあり、希少疾患のメディアを立ち上げたときの借金、ペット用品ビジネスを立ち上げたときの借金を返済しても、数千万円が残りました。そこで、「自分契約書」に書いたとおり、24歳で海外移住をすることにしました。

ノウハウ販売とコンサルティング業務を続けつつ、24歳で東欧ジョージアに移住

――どこに移住したのですか?

S:19歳のころヨーロッパ旅行をしたとき気に入ったオランダです。

ところが、家賃だけで月に2,000ユーロ(約36万円)もかかり、出費総額では70~80万円にもなりました。さすがに厳しいので、1か月でオランダを出ることにしました。

わたしはヨーロッパが好きなので、ヨーロッパのなかで物価の安い国を選ぼうと思い、2021年11月、旧ソ連のジョージアに移住しました。ジョージアは、ビザ無しでも1年間滞在できるという、滞在条件の緩い点も魅力的です。

ジョージアは、税金面でも魅力的です。個人事業主向け税制で、売上約2700万円までは税金が売上の1%です。ノウハウをまとめたNoteの販売、コンサルティングなど利益率の高いビジネスをしている私にとっては、非常に低税率といえます。

インタビューは、ジョージアの国民食「ヒンカリ」という餃子などを食べながら進めた
筆者撮影

――ジョージアの暮らしはいかがでしょうか?

S:2021年11月に最初に住み始めたマンションは、新築の2LDKで家賃が400米ドルでした。このマンションはとても良かったのですが、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻以降、ロシア人が大量にジョージアに流入して、大家が家賃値上げを要求してきました。なんと1,000米ドル、2.5倍です。

さすがに厳しいので、日本人とルームシェアをして2人で650米ドルの家を借りました。

ジョージアは、食事も美味しいです。外食する場合の値段は、2021年11月に移住してきたころは、東京の半額くらいのイメージでしたが、ロシア人の大量流入で値段が上がり、いまでは東京の80%くらいのイメージでしょうか。

外食ばかりでは飽きるので、半分くらいは自炊しています。近いうちに別の国に移住するかも知れませんが、やはりヨーロッパが好きなので、次もヨーロッパにします。

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