アベプラのプロデューサー郭晃彰のX垢が消える

過剰な共感と繋がりを呼び込んでいるのは誰なのか

アベプラのプロデューサー郭晃彰のX垢が消える

アベプラのチーフプロデューサーである郭晃彰氏のXアカウント(@kakuteruaki)が消えました。

1月20日のアベプラの放送で女性へのAEDに忌避感を示して約1000万インプレッションのバズを得た投稿を取り上げてそれを軸に番組構成し、他の取材者の弁として「女性にAEDしたら親が刑事告訴してきた」という内容をそのまま伝えたことが炎上していますが、これの影響である可能性がぬぐえません。

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直近の彼へのリプライは昨年12月31日、メンションは翌年1月6日に茂木健一郎氏がツーショット写真とともに投稿していました。

事実関係の確認業務は直接は担当していなかったのかもしれませんが、状況説明からして不審な話だったのだから、番組が取り上げたことの説明責任を果たしてほしい。

『ネットは過剰な共感と繋がりを呼び込んでる、「分断」を煽りたい』

かつての郭氏の主張としてこのようなものが見つかります。

週刊エコノミスト Online メディア空間にもっと〝分断〟を煽りたい ABEMA Primeプロデューサー・郭晃彰=ノンフィクションライター・石戸諭 2022年9月29日

 

「インターネットには、分断が足りないんですよ」

~中略~

自分はずっと周囲と同じだと思っていたが、友人たちは違うという認識で接していた。当時は、その事実に小さくないショックを受けていたが、今となってはそれでいいと思っている。人はそれぞれに違っていて、お互いに違うという一点を共通点につながったり、仲良くしたり、適切な距離を置いたりすることが可能になるからだ。ネットはむしろ、過剰な共感とつながりを呼び込んでいる。同じ考えで固まっているように見えるが、本当は一人一人、もっと違うはずだ。彼が目指すのは、その先、違いをおもしろがれるメディア空間である。
僕はもっと〝分断〟を煽(あお)りたい。でも、自分だけが変わっていくだけではダメですよね。メディアも、メディアで作る側も変わっていかないと」

ここで郭氏の言う「分断」とは、【人は個々に違うのだという前提を共有すること】と言い直すことができます。大衆迎合とか同調することに安易に流れるとか、そういうムーブを忌み嫌う姿勢が伺えます。

しかし、アベプラの女性へのAEDの話題は、むしろそれを取り上げることが『過剰な共感とつながりを呼び込んで』いなかっただろうか?

放送後、雨後の筍のように「やっぱり女性へのAEDは危険なんだ。訴えられないと言っていたのはなんなんだったのか?」といった投稿が多数見受けられ、取材元の主張に対する不審点を指摘する者は極少数でした。

出演者のあおちゃんぺ氏が番組側に確認した回答をXに投稿し、どうやら裏付け取材していないとみられるという認識が広がり、衆議院議員の米山隆一氏が警察庁等各所に報告等が上がっているか問うもそのようなものは無かったとXで投稿したことが広まってもなお、何らの留保も無しにアベプラの番組を根拠に不安を煽る投稿が存在しています。

過激な言論と視聴者・読者への騙し行為の行き着く先は

「分断を煽りたい」という文字面それ自体が煽り文句であり、文中の意味は実は一般的な意味とは異なるものだから問題は無いということにしているのでしょうが、このような手法は媒体側が取材先や著者の意向を聞かずに勝手にやることもあります。

自己へ憎悪を向けるレイジベイティングと紙一重であり、ある種、視聴者・読者を騙すことでエンゲージメントを得ようとする行為です。そのせいで著者に被害が生じた例もあります。アベプラのAED回も、こうした考え方が強く働いて製作された疑惑が出てきたのではないでしょうか?

中央公論では「話すハードルを下げる」とも言っていました。*1

番組側のチェックのハードルまで下げてはいけないでしょう。

*1:(2ページ目)「言論」「討論」ではハードルが高い…”参加資格”を広げて、もっと多くの人がしゃべれるように|文化|中央公論.jp


編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2025年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。