冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏では多くの政治囚人が刑務所に拘束されていた。欧米メディアは政治囚人を「良心の囚人」と呼んでいた。自身の政治信念、信仰ゆえに共産政権から拘束され、刑務所や牢獄に監禁されてきた人々だ。反体制派の政治指導者、キリスト教会の指導者など、その出自は多様だったが、共通していた点は自身の良心の声に従って語り、行動した人々だ。
「良心の囚人」という表現は、実際に犯罪を犯したわけではなく、主に冷戦時代に、政治的、宗教的、または哲学的な信念を理由に不当に拘束された人々を指す言葉として使われた。アムネスティ・インターナショナル(国際アムネスティ)が広めた概念でもあり、「良心の囚人」と認定された人々の釈放を求める活動を行ってきた。
ソビエト連邦下の活動家、1980年代初頭のポーランドの「連帯」運動、中国の民主活動家は良心の囚人のカテゴリーに該当した。1989年の天安門事件後、民主的改革を求める活動を行っていた多くの学生や市民が中国政府によって逮捕され、その多くは「良心の囚人」だった。
最近では、昨年2月16日、刑務所で獄死したロシアの反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏だ。毒殺未遂を経験し、病が癒えるとすぐにロシアに戻っていった人間だ。戻れば死が待っていることを知りながら、祖国ロシアに帰国した。ナワリヌイ氏は誰かからそれをいわれたからそうしたのではなく、自身の心の内からの声、良心の囁きに耳を傾けて生きていった人間だ。それを良心の囚人と呼んできた。
イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を思い出した。ビック・ブラザーと呼ばれる人物から監視され、目の動き一つでも不信な動きがあったら即尋問される。何を考えているのか、何を感じたかなどを詰問される世界だ。そこでの合言葉は「ビック・ブラザー・イズ・ウオッチング・ユー」だ。2+2=5を信じなければならない世界だ。過去の多くの良心の囚人はその世界を体験した。
中国では非常にモダンな監視システムが既に実行されている。中国の「社会信用スコア」システムだ。中国共産党政権は2014年、「社会信用システム構築の計画概要(2014~2020年)」を発表した。それによれば、国民の個人情報をデータベース化し、国民の信用ランクを作成、中国共産党政権を批判した言動の有無、反体制デモの参加有無、違法行為の有無などをスコア化し、一定のスコアが溜まると「危険分子」「反体制分子」としてブラックリストに計上し、リストに掲載された国民は「社会信用スコア」の低い二等国民とみなされ、社会的優遇や保護を失うことになる。
昔も現在も、独裁国家では国民を監視するシステムを構築されている。「密告社会」はその典型だろう。親が子を、子が親を、そして妻が夫を密告する社会だ。それを通じて、人を信じる、愛することが難しくなっていく。そのような中でも、良心だけは依然、誰にも宿しているから、その良心の声に耳を傾ける人間が出てくる。彼らの多くは独裁者によって抹殺されたり、殉教の道を行く。
それでは、「良心の囚人」は無意味か。そうではない。アウシュビッツ強制収容所で他の囚人のユダヤ人のために身代わりになったマキシミリアノ・コルベ神父がいた。同神父は神の声をその良心で聞き、それに従った。その話はアウシュビッツ収容所が解放された後、多くの人々に述べ伝えられ、多くのユダヤ人を慰めた。
独裁者は人間の中にある良心の声を恐れるから、徹底的に人間の尊厳を傷つける手段でその良心を黒いカバーで覆い隠そうとする。しかし、良心を抹殺することは出来ない。人間の魂に刻印された良心は民族、国家を超えて全てに埋め込まれている。だから、神はその良心というチャンネルを通じて語りかけることができるわけだ。良心がなければ、神も人間に働きかけることはできないはずだ。
1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day)であり、追悼行事が各地で開催された。そして来月16日はナワリヌイ氏の2周忌を迎える。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年1月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。