ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(47歳)がロシアの刑務所で獄死してから、今年2月16日でちょうど1年となった。ロシア政府はナワリヌイ氏が「散歩の後に気分が悪くなり」、ほぼ直後に意識を失ったと説明し、「自然死だった」としている。
しかし、昨年秋、ロシアの独立系調査報道サイト「インサイダー」は当時の捜査当局の文書を精査し、「毒殺だった」と結論付けた。同氏は2020年にも毒殺未遂事件の被害者となっている。
プーチン大統領が政治のトップとなるロシアでは、政府の論調にに反する意見や反体制政治運動が厳しく統制されている。ナワリヌイ氏という大きな星を失った後、彼に匹敵するような反体制派の政治指導者は出ていない。
ナワリヌイ氏の活動とその死を忘れないため、2月18日、ロンドンのプライベートクラブ「ザ・コンデュイット」でイベントが開催された。
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(上はイベント紹介ページのウェブサイトからキャプチャー。中央がナワリヌイ氏)
パネリストは『収容所での死(MurderintheGulag)』でナワリヌイ氏の死の背景について書いた英ジャーナリスト、ジョン・スウィニー氏、ロシアから亡命した調査報道ジャーナリストでサイト「Agentura.ru」の編集長アンドレイ・ソルダトフ氏、キングス・カレッジ・ロンドンのシニア講師で、インテリジェンス研究の専門家ダニエラ・リヒテロヴァ氏である。司会は米CNNのネイサン・ホッジ氏が務めた。
ナワリヌイ氏とは
2008年ごろから汚職疑惑をブログで暴く活動で知られるようになった。2011年には与党・統一ロシアを「詐欺師と泥棒の党」と呼ぶキャンペーンを実施。全国的な反政府デモの中心人物の一人となる。2018年の大統領選では過去の有罪判決を理由に出馬を禁止された。
2020年8月、西シベリアからモスクワに向かう機内で意識を失い、ロシア国内の病院に搬送された。その後移送されたドイツの当局は、神経剤「ノヴィチョク」が使用されたと発表した。
2021年1月に帰国したが、モスクワ郊外のシェレメチェヴォ空港で警察に拘束され、収監中の2022年3月詐欺や法廷侮辱の罪で禁錮9年の判決を受けた。同年8月、新たに罪が追加され、禁錮19年の判決を受けてモスクワ東方から極寒のシベリア北部の刑務所に移送された。2024年2月16日、獄死。享年47歳。
BBCのサラ・レインズフォードBBC東欧特派員は、「どんなに危険が高くても、自分はロシアにいなくてはならない。それが、ナワリヌイ氏の思いだった。しかし、とんでもなく危険なことだった」と書いている(2024年2月16日付記事)。
ロシアの弁護士、政治活動家、ロシア民族主義者。ここ10年ほどのロシアで、最も影響力のある反政権派の指導者。「過激派組織の創設」などの罪で禁錮19年の刑を言い渡され、北極圏シベリア地方の刑務所で服役中だった。
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左からリヒテロヴァ氏、ソルダトフ氏、スウィニー氏、司会のホッジ氏(撮影筆者)
「ジョークを連発する人だった」
ジョン・スウィニー氏:2018年、ナワリヌイ氏に初めて会ったが、ジョークばかり言っている、面白い人だった。
2020年8月に毒殺未遂事件があって、ドイツで治療を受けていた。ロシアに戻れば再度毒殺されるかもしれないのに、ロシアに戻った。
ナワリヌイ氏の死因を調べる報告書の中で、当初は彼が吐いたことが記されていたが、後にこの部分が消されていた。証拠が消されていたのだ。
今年2月、トランプ米大統領はロシアのプーチン大統領と電話で話し、ウクライナや欧州指導者を交えずにウクライナ戦争を終結させるための交渉をしている。トランプ氏はプーチン大統領に取り込まれてしまった。
司会ホッジ氏:死亡から1年となった16日、ナワリヌイ氏が埋葬されたモスクワ市内の墓地には、多くの人が集まって死を追悼した。まだ希望はあると思った。今はロシアの外に住むソルダトフ氏はロシアの将来をどう見るか。
「ウクライナ戦争はこれからも続く」
アンドレイ・ソルダトフ氏:これからもウクライナ戦争は続くのではないかと思っている。今もし停戦になっても、数年後には再開するだろう。その理由を説明したい。
まず、ロシアのプーチン大統領は西側が自分たちに脅威をもたらすというパラノイアに陥っている。彼は21世紀最大の大災難はソ連の崩壊だと思っている。ロシアと西側の歴史を見れば、旧東欧諸国が西側化している。プーチン氏がパラノイアになっても無理はない。
ロシアの情報機関はこの戦争を対ウクライナの戦争とは思っていない。西側全体との戦争だと思っている、そういう前提でフル稼働している。
「敵」は国内にだけいるのではなく、海外にもいると見ている。私が調べたところによれば、世界の44カ国に向けてサイバーなど様々な攻撃をかけており、ロシアはこれを誇りに思っている。暗殺が起きれば、ウクライナの情報機関のせいにしようと思っている。状況は暗いと思う。情報機関の内部から変えるしかない。
トランプ政権がプーチン氏とどのような交渉をしようと、ウクライナ戦争は続いていくだろう。
ロシア側は西側諸国に対し100年もの戦争が続いていると見ている。第一幕は第2次大戦の終わりまでで、ロシアは戦勝国の1つとなった。第二幕は冷戦時代だ。KGB(ソ連国家保安委員会)はばらばらにされてしまった。今は第三幕と位置付けている。
1952年生まれのロシアの政治家。ロシア連邦大統領(2000-2008年と2012年から現在)。1999年から2000年まで及び2008年から2012年までは首相。ソ連の情報機関・秘密警察「ソ連国家保安委員会(KGB)」に長年勤務。最終階級は中佐。1991年、KGBへの辞表が受理された。1998年、KGBを引き継いだ組織の1つである「連邦保安庁(FSB)長官に。
1954年から1991年12月まで存在したソ連の情報機関・秘密警察。ソ連崩壊後は解体され、新たに複数の組織が設置された。
チェコスロバキアの極秘資料
司会:1990年代初頭、ソ連が崩壊し、冷戦時代の様々な極秘資料が表に出るようになった。リヒテロヴァ氏はチェコスロバキア(今はチェコとスロバキア)の極秘資料を入手し、これを詳細に研究した。彼女の本を読むと、スパイ活動の実態が分かってくる。スパイは普通の市民として社会に溶け込み、生活をしながら情報を集めていた。
リヒテロヴァ氏:公的資料を入手したとき、黒塗りであると失望するものだ。しかし、冷戦後、新たなに政権を取った政治家たちは、資料の内容を隠さずにそのまま出していた。こうした資料を見ると、1960年代、70年代、いかにソ連が破壊戦略をチェコスロバキア、東ドイツなどの社会主義諸国に輸出していたかが分かる。例えばチェコスロバキアを使って西側に対して攻撃を行う計画を複数立てていた。ターゲットとする国の政策を変えるよう揺さぶりをかけようとした。
破壊工作のアウトソーシング
リヒテロヴァ氏:冷戦時代のソ連もそうだが、ロシアも一連の破壊工作をアウトソースしている。つまり、ロシア以外の国の人材にやってもらう。監視行為をだれかにやってもらう。これを担当する人は必ずしもプロではなく、アマチュア同然の一般市民であったりする。
司会:ナワリヌイ氏は以前にも暗殺未遂事件にあっており、ロシアに戻ればまた命を狙われるかもしれないと知りながら、ロシアに戻った。勇気ある行為だった。一方のプーチン大統領は、公の場では一切ワリヌイ氏の名前に触れない。病的とさえいえるほどだ。
ロシアの市民社会はどれほど長くプーチン体制を支持できると思うか。
ソルダト氏:私が思うに、すでにプーチンはスターリンと比較されるレベルに来ている。1960年代、70年代には、政府の論調に同調しない人でも逮捕されるとは思わなかった。比較的安全だった。しかし今はそうではない。
今はナワリヌイ氏に同調すれば、長期間収監されてしまう。彼の政治活動は「テロリストの活動」と言われてしまう。何にもしていないのに、刑務所に入れられる。かつては、中流階級の人が政府の批判をしても、逮捕されるのは下流にいる人々だけだった。今は違う。
今は言論の自由がはるかに抑圧されている。スターリンが生きていた1940年代、50年代のようだ。
ソ連邦共産党の指導者・政治家(1878年ー1953年)。ロシア革命(1917年)後、1922年に共産党書記長に。1924年のレーニンの死後、強大な権力機構を構築して独裁体制を敷いた。1936年新憲法を制定し、反対派・批判派の大粛清を行った。第2次大戦では米英などの連合国側に入り、対ドイツ戦を勝利に導いた。戦後は東欧諸国を共産主義圏として築き上げた。
「一般市民も警戒感を持って生活」
会場からの質問:ロシアの状況を変えることはできると思うか。
ソルダトフ氏:難しい。多くの人がロシアを去った。私自身は2020年に出たし、友人の多くも2021年や2022年にロシアを出た。今は活動家やジャーナリストだけではなく、ほかの市民も警戒感を持って生活しなければならなくなっている。
私はロシアのパスポートを持っているが、更新するためにはロシア大使館に行かなければならない(注:そうすれば、帰国せざるを得なくなることを示唆)。ロシアからの亡命者たちは同じような悩みを抱える。
リヒテロヴァ氏:ロシア側はさまざまな妨害工作をしている。バルト海の海底にあるケーブル切断もその一例だろう。西側のメディアは何が起きているかを公にしていくべきだ。
「野党勢力は喧嘩ばかりしている」が・・
会場からの質問:ウクライナ出身の調査報道ジャーナリストだ。プーチン大統領は反体制運動家を殺害しないでおくようだ。そんな中、野党勢力は互いに口喧嘩をしているように見える。ロシア政権に抵抗するという大きな目標の下で一つになるのではなく、互いに内輪もめばかりしている。この点について、どう考えるか。
ソルダトフ氏:プーチンが活動家を殺害しないというのは本当ではない。たくさんの活動家、ジャーナリストらが殺害されてきた。アンナ・ポリトコフスカヤ氏(プーチン批判をしていたジャーナリスト、2006年、モスクワで射殺された)もその一人だ。ナワリヌイ氏もそうだ。衝撃は続いている。
ナワリヌイ氏の後継者を見つけるのは非常に難しい。2-3年おきにロシアの情報機関によって活動家やジャーナリストらが殺されているのだから。それをまずは踏まえてほしい。
たしかに、野党は一つにまとまっておらず、互いに論争ばかりしている。亡命した人と国内にいる人の間でも意見が異なる。亡命した側は国内にいる人がなぜ立ち上がらないのかと不満に思う。
ロシア国民に語り掛ける
ソルダトフ氏:しかし、ひとつ言いたい。重要なことだ。
言論統制が厳しくなった時、多くの人が亡命したが、国外に出たジャーナリストたちは、自分たちでメディアを立ち上げた。非常に驚くべきことに、また素晴らしいことには、長い年月が経っても、いまだに私たちはこうした独立メディアを通して国内にいる人に語り掛けることができる。総合すれば、2千万人もの国民に語り掛けることができる。これはかなり大きな人数だ。
ロシア国内で同じことができればいいのだろうけれど、そうすれば逮捕されて刑務所に送られてしまうので、危険すぎてできない。もしナワリヌイ氏に賛同したり、その運動に参加すれば、10年投獄される恐れがあった。
野党勢力を一堂に集めて…というのは現実的ではない。しかし、常に国民に語り掛けることで、例えばウクライナの様子を伝えること、そういうことで影響力を持つことができる。継続してやっていくことが重要だ。
ナワリヌイ氏を見てもそうだが、ロシアでは政治活動をジャーナリズムを通じてやっている。政党を作るのではなく、メディアを作る。
ロシアの歴史を振り返れば、レーニン(革命家、ボルシェビキをひきいてソ連邦を建設した。学生時代から革命運動に従い、流刑、亡命を経験)は亡命していたが、新聞や雑誌を通じて大きな影響力を及ぼした。
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リヒテロヴァ氏(筆者撮影)
会場からの質問:ロシアの今後について希望はあるのか。何ができるか。
スウィニー氏:あまりにも見通しは暗い。トランプが米大統領府にいる限り、暗い。
しかし、欧州にとっては「敵」のために結束する機会だ。いつか、ロシア側が米国を裏切るときがくるはずだ。米国抜きの北大西洋条約機構(NATO)があり得るのかどうかも考えざるを得なくなる。いずれにしても、欧州諸国は国防費を大幅に増やすべきだと思う。
ソルダトフ氏:思い出してほしい。1991年のソ連崩壊時、プーチン氏はKGBの中佐だった。(注:プーチン氏は1985年から90年までKGB職員として東ドイツ・ドレスデンに派遣されていた。1989年秋のベルリンの壁崩壊から次々と東欧諸国が民主化し、1991年12月、ソ連が解体・崩壊。プーチン氏は1991年6月からレニングラード=現サンクトペテルブルク=の職員に。1991年8月、KGBの辞表願い受理された。)
プーチン氏は何が起きているのかを全く理解できていなかった。全く何も手を打つことができなかった。
ソ連政府がいうほどに情報機関が最高のレベルであったのなら、なぜソ連を崩壊させてしまったのか。体制を救うために、全力を尽くすはずだ。しかし、全く何もしなかった。プーチン氏も含めて、だ。だから、体制が変わる希望はある。
リヒテロヴァ氏:あなたが誰かによって、できることは異なる。NATOの事務総長だったら、加盟国が恐怖に陥っている状態を鎮静化しないといけないし、欧州諸国だったら、結束する必要がある。ロシアの近隣諸国だったら、ロシアが旧東欧諸国に攻撃をしないよう行動する必要がある。
私は学生に教える立場にいるので、何が起きているかを学生に伝えている。できることをやることだ。小さなことでもいい。
もしあなたが西側政府の情報機関の人間だったら、トランプ大統領や(その側近のIT起業家)イーロン・マスク氏に何が起きているのかを教えることだ。
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トークが終わり、筆者はソルダトフ氏の著作の1冊を抱えて、パネリストの席に向かった。この著作はソ連の情報機関の活動を書いた「レッド・ウェブ(The Red Web: The Struggle Between Russia’s Digital Dictators and the New Online Revolutionaries)」である。
ソルダトフ氏の前で、参加者の一人である女性が話をしていた。ソルダトフ氏の父親は今、ロシアで投獄されている。「釈放に向けて、お手伝いしたい」という女性に、ソルダトフ氏は「今はそっとしておいた方が良いと思う。状況が読めないから」と答えていた。
ソルダトフ氏が本にサインをしている間、ロシア語と英語で報道する独立メディア「メデューザ」の話になった。ラトビアに拠点を置くメデューザはロシア語の独立系サイトとしては最大手とされている。
ロシア政府の批判をいとわないメドゥーザは、当局による言論統制の対象となってきた。2021年5月には、「外国の代理人」と指定された。「スパイ」という意味である。これを機に、ロシア国内の企業からの広告収入は事実上、全滅した。ロシア国内でのサイトへのアクセスは封鎖されているが、私設通信網「VPN」を利用してやってくる人が多いという。メドゥーサは海外からの購読支援に力を入れており、ウェブサイトを通じて寄付ができる。
メドゥーザの名前を出すと、ソルダトフ氏は「メドゥーザの記事にコメントを書いたら、ロシア政府から刑法違反の通知が、今日届いた」と語った。
「外国のスパイ」とされるウェブサイトにコメントを残しただけで、そうなってしまうのである。
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2025年2月26日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。