創価学会に限らないが、新宗教とかキリスト教の信者は、日本国民としては異端だと思っている人が多い。
たしかに、むかしは、伝統的な価値観と少し外れるとか、先祖供養にあまり熱心でないとか言われたらそうだったかもしれない。しかし、いまや、神社で初参りして、教会で結婚式をあげて、死んだら仏教式の葬儀をする平均的な日本人が模範的日本人かというと全くそうではないと思う。むしろ、新宗教とかキリスト教の信者のほうが、よほど模範的日本人に近い。

創価学会HPより
それはひとつには、伝統宗教の信者のモラルが落ちたことも原因である。そして、キリスト教徒も創価学会の会員も伝統宗教に対して尖って反抗しなくなったからでもある。
それを考えると、創価学会員こそ模範的日本人であると保守的な人々も認めるべきだし、また、創価学会員もそういう意識を持ったらいいのではないかと新著『検証 令和の創価学会』(小学館・8月27日発売)では提案している。
私は現代日本社会で、創価学会の人たちは模範的な日本人だと思う。まず、非常に礼儀正しいし、言葉遣いも丁寧である。ともすれば活字離れしている日本人のなかで、聖教新聞などを熱心に、場合によっては声を出して読んでいる。
だいたい日本の普通の新聞にはルビが打っていないので、読み方がわからないままになっていることがよくあるが、良くないと思う。創価学会の人は、勤行するとか、座談会で発表するとかいうことを繰り返しているので、しゃべり方がしっかりしている。
また、教育熱心であり、地域の活動や社会奉仕にも熱心に参加している。環境への意識も高く、医療などについても怪しげで非科学的な風評に流されない。
家族を大切にすることは、先に紹介した「学会の永遠の五指針」でも「一家和楽の信心」が第一に挙げられているほどである。
葬儀や墓も丁寧にして、先祖供養も怠らない。かつての日本人はそれを非常に大事にしていたのに、いまは面倒がって葬儀は家族葬とか、甚だしくはそれもしなくなっている。だからこそ、逆転して学会員のほうがきちんとしている。
一般の人は、伝統宗教の信者に比べて創価学会の人を異端者のように見がちだが、実態は逆で、非常に立派な日本人であると思う。
そのあたりを一般の人ももっと評価すべきだし、会員の人々も模範的な地球民族市民であるとともに良き日本人であると胸を張って意識し、主張すべきだと思う。
「創価学会の人たちはしっかりした生き方をしている」という評価はあってしかるべきであり、もっと多くの会員やその子弟が胸を張って信心やその素晴らしさについて語れるような雰囲気づくりが大事だと思う。いまのところ、それをしているのはクリスチャンだけだというのが、なんとも不思議である。
【参照】
- 誰も知らない創価学会と公明党の真実について 八幡 和郎
- 国民民主党候補が創価学会員であってはいけないのか 八幡 和郎
- 日本を救う斉藤鉄夫臨時首相・自公維連立構想の提案 八幡 和郎
- 日蓮、釈迦、池田大作らをどう呼ぶのか意外に難しい 八幡 和郎







