大人の人見知りは「カッコ悪い言い訳」

黒坂岳央です。

世の中には「自分は人見知りだから」という大人がいる。

時間も守るとか、名刺をきちんと受け渡し出来ないと「ダメなこと」という共通認識があるのに、人見知りだけはどこか許される風潮があるように思える。「元々そういう性格なので」で片付けられがちだ。

だがハッキリいって、「大人の人見知り」は大変カッコ悪い言い訳に聞こえてしまう。なぜいい大人が「自分は人見知りなので…」というべきでないかを言語化したい。

独断と偏見による内容でお届けするが、あながち大間違いはないだろうと思っている。

GAEUL PARK/iStock

人見知りは成長過程で克服するもの

子どもはみんなたいてい人見知りだ。知らない人の前で緊張し、親の背中に隠れる。初対面できちんと挨拶が出来る子はほとんどいない。だがこれは自然な発達段階であり、悪いことではない。しかし、成長とともに自然に克服していく。

筆者の子どもも元々かなりの人見知りだった。しかし、きっちりとしつけをしたことで、今では大きな声で相手の目を見て挨拶が出来るようになったし、相手からのちょっとした好意に「ありがとう」とまめにお礼も言えるようにした。

人見知りは“性格”ではなく“訓練”で改善するものなのだ。親や教師から指導がなされなくとも、多くの場合は会社や友達付き合いで自然に獲得する「コミュニケーションスキル」である。

筆者自身、元々すごく社交的というわけではない。どちらかといえば初対面の場は苦手だった。しかし、訓練と経験で人見知りは克服した。要は本人の意欲次第なのだ。

人見知りは甘えでしかない

なぜ、人見知りはダメなのか?

本人は「自分は引っ込み思案で、しつけもあまり受けていないので不本意ながら人見知りという性格だ」と思っているかもしれない。だが相手がどういう育ちをしたかは周囲には一切関係がない。

挨拶ができない、目を見て話せないという人は「何か事情があったのでは?」という温情ではなく、単に「無礼な人」でしかない。そのため、これをビジネスの場でやるとアウトである。

「人見知りだから許してほしい」と考える人は、要するに「自分は一切の変わる努力をしませんので、そのかわりにあなたが事情を察して配慮してください」という甘え以外の何物でもなく、これを社会で通用させようとするのは、あまりにも都合が良すぎる話だ。それでも優しく対応してくれるのは親から親友だけだろう。

もちろん、生き方はその人の自由だが、その代償として失われる信用は許容するしかないがその覚悟はあるのか?という選択の話である。

第一印象が悪くなるダメージ

正直、人見知りに起因して挨拶や受け答えが無礼だと、その第一印象は本人が考えている以上にダメージが大きい。

筆者が保護者の集まりなどでよくある光景として、ろくに挨拶をしない、こちらが挨拶をしても返さない。目を見て話せない。受け答えがきちんと出来ない。返事がない。こういう人がたまにいるが、これだけで相手からの印象は非常に悪くなる。

だが実際に話してみると人柄は悪くない。おそらく根っから悪人というのではなく、単に人見知りなだけなのだろう。だが、こうなると当人がいないところで「あの人って絶対挨拶返さないよね」と陰口を叩かれ、避けられるのが現実である。

本人は「自分は人見知りな性格だから」と思っているかもしれない。だが周囲はそんな背景など一切考慮しない。冷酷だがこれが社会の評価の仕組みだ。出来ない人は印象が悪くなり、本人が知らないうちに損をするだけなのだ。

20代の人見知りについては周囲はまだ寛大である。「まだまだ若いから」で済まされがちだ。だが30代以降で「人見知り」を言い訳にするのは致命的だ。

社会的信用やキャリアの場で、挨拶もできない大人は「その年まで何やってたの?」で片付けられる。そしてわざわざリスクを取って軌道修正をしようという奇矯な人はいない。こうなると厳しい。

 

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。