
9/10にトランプ支持の活動家であるチャーリー・カーク氏が射殺されて以来、ネットで論争めいた口論がかまびすしい。ただ、あまりに粗雑な物言いばかり目立つので、情報を整理してみる。
まず、カーク氏は単なるネトウヨではない。設立したTurning Point USAは、反体制に傾きがちな学生層をトランプ支持に切り替えたとされる有力団体である。前に採り上げた『Voice』誌2月号でも、及川順氏がルポしていた。

暗殺後の報道によると、トランプ再選への貢献は、「若者を動員した」という次元に留まらない。ホワイトハウスにとっては “身内” を殺されたも同然で、それが猛烈な反応を呼び起こした。
J・D・バンス副大統領は11日、9・11テロ24周年追悼式の出席日程をキャンセルし、カーク氏の遺体を自らの専用機に乗せてフェニックスに運んだ。運搬にも直接参加した。
カーク氏はバンス氏に上院議員出馬を勧め、またトランプ大統領に対してバンス氏をランニングメイトとして指名するよう勧めるなど、バンス氏とは政治的同伴者として縁を結んできた。
2025.9.15
強調と改行を追加
記事には “Prove me wrong”(間違いを指摘して)と題した討論形式で、対立陣営とも議論し、味方に取り込むのが巧みだったとある。暗殺時も大学構内で、トランスジェンダーの問題をめぐり学生と討議中だったとされる。

少なくとも「うおおおNo debate! 敵と会話したアカウントは裏切り者としてハブれ!」みたいなSNSの自称リベラルに比べれば、ずっと民主的で、見どころある人物だったように思われる。
同氏の思想が、極右的な白人至上主義に近かったのは事実らしい。一方、「同性愛者を石打ちで殺せ」と唱えたというのは誇張されたデマで、作家のスティーヴン・キングは撤回し謝罪した。

なお射殺犯は「左翼か、別のセクトの右翼か」で報道が一時ブレたが、容疑者はトランスジェンダー女性と交際しており、動機との関連が想定されつつも未だ捜査中、というのが現状のようだ。

本来なら “こっちに来るはず” と(勝手に)思っていた学生や若者を、どんどんトランプ側に “寝返らせる” 存在として、米国のリベラル派は長年カーク氏を憎悪してきた。なので、暗殺の報に狂喜乱舞する人も出た。
……で、SNSで “喜んだ” 奴らを晒し上げ、登録し、キャンセルしようぜな動きが米国の官民を挙げて発生し、みんな真っ青になっている。もちろん、注目の標的は「あの業界」だ(笑えない)。

共和党のマーシャ・ブラックバーン上院議員は、ミドルテネシー州立大学の職員が、カーク氏の死に対して「同情はゼロだ」と投稿したことを受けて解雇を求めた。同大学はCNNに「即時解雇した」と認めた。ブラックバーン氏は声明で、「カーク氏の暗殺を称賛するような大学職員は教室で次世代の思考を形作る役割を担うべきではない」とし、解雇は正しい判断だと述べた。
(中 略)
教師の場合は、若者と接する職業であり、特に政治的暴力を称賛するような投稿は問題視されやすいと〔雇用研究者の〕ハーシュ氏は指摘。「現状では、たとえ特定の政治勢力からであっても苦情が殺到すれば、雇用主は従業員を解雇せざるを得なくなる可能性が高い」
2025.9.14
いやぁ~アツい! 日本でもありましたよねぇ、「教育に携わる職業だからこそ、ほんのちょっとのSNSでの問題発言も見逃すな!」みたいなやつ。さぁみなさん行きますよ、せーのっ、オーーープンッ!!(笑える)

カーク氏の事件に照らし、再びオープンレターを思い出す人が増えたのは歴史が生きていることの証明で、好ましいが、外してほしくない点がある。SNSを梃子にした「総キャンセル社会」の本質とは、なんだろう。
第一人者の私が何度も書いたように、それは “プライベートな領域” の失効なのだ。ここはパブリックじゃない私的な場所だから、俺の自由でいいでしょ?――という領域を 「なくす」ことが意識高いとする錯覚が、キャンセルを駆動する。
欧米のキャンセルカルチャーが、なぜ日本で急速に台頭したか。理解の鍵も同じ場所にある。

2020年に始まった新型コロナウイルス禍は、社会的なパニックの中で「パブリックとプライベートの線引き」を取り払ってしまった。感染予防のためだと称して、どこに移動し何を食べるかまで政府が口を出し、一時は文字どおり「家庭内でも口をきくな」といった提言さえなされた。
自分の好きにしてかまわない「私生活」という領域の存在が否定され、「適切な生活様式」「適切な習慣」「適切な趣味」…に従う者だけがまっとうな国民で、そうでない者は排斥すべきとする発想が蔓延した。
初出『正論』2024年7月号、208-9頁
(算用数字に改変)
キャンセルのような私刑、すなわち “法外” な形で行使される権力は、核抑止に似ている。「てめぇ、やんのかよ?」と脅しつつ睨みあう時期が華であって、本当にやったら、やりかえされるのを覚悟しなければならない。
だからプーチンのような巨悪でも、簡単に核のボタンは押さないが、ヘラヘラ安易にリミットを超えてくるバカがいるわけですよ(苦笑)。なのでいまや、米国では公然と、”人生キャンセルシステム” の構築が謳われ出した。
「チャーリーの殺人犯を暴露」と名付けられた匿名サイトは……「まもなく3万件の〔暗殺事件を喜んだ〕投稿すべてを地域や業種で絞り込めるデータベースへと変換される。これは暴力の呼び掛けを行う過激な活動家の恒久的かつ継続的に更新されるアーカイブだ」としている。
(中 略)
ルーマー氏は10日、事件から数時間後、Xに「今夜は彼の死を祝福するネット上の人たちを有名にするために全力を尽くすつもりだ。だから、彼の死を祝うほど病んでいるなら、将来の職業の夢が全て台無しになる覚悟を」と投稿した。
先ほどのCNN(2025.9.14)
L. ルーマーは極右の著名活動家
SNSが広がり始めた時期、ユーザーは民主的な新しいパブリックを夢見た。しかし実現したのは、心や思想信条といった “内面” さえもが、容易にネットにアップされてプライベートを喪失し、権力の介入に晒される新たな全体主義だったのだ。
そんな時代を、どう変えてゆくのか。いや、私たちはもうルビコンを越え、戻りようがないのか。
テネシー大学ノックスビル校の教授がチャーリー・カークの死を祝うポストをして解雇されました。安倍首相の死を祝った日本の大学教授たちは一人も解雇されていません。日本も良識を取り戻す必要があります。 https://t.co/LAjuTVAFax
— Hideki Kakeya, Dr.Eng. (@hkakeya) September 16, 2025
勘違いしないでほしいが、①私はカーク氏の支持者ではない。また米国のリベラル派の、②全員が暗殺を肯定したわけでもない。

大切なのは、どうすれば自分と違う――それも衝突が不可避なくらい異なる相手の思想信条を、その人の “心=プライベート” としては尊重し、殴りあいを回避できるか。そうした人としての成熟の条件を、取り戻すことだ。
前回ご案内した、来週9/24(水)のゲンロンカフェでのイベントでは、「心と権力」を扱うプロ中のプロである、信田さよ子さんとの対話の形で、こうした問題も議論を深めたく思っている。

ぜひ “No debate” なニセモノではなく、”Prove me wrong” なホンモノを聴きに来てください。時代からの出口を提供できるのは、後者だけです。
参考記事:



(ヘッダーは産経新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






