トランスジェンダー "ブーム" の終焉:「言い逃げ学者」の責任を問う

昨年の米大統領選でトランプに敗れた、カマラ・ハリスが回顧録を刊行して話題だ。もっとも大手のメディアでは、「バイデンを老害としてdisった」みたいなゴシップばかりが採り上げられる。

ハリス前副大統領、新著で「身内」酷評 米民主党に困惑広がる | 毎日新聞
 昨年の米大統領選で敗れたハリス前副大統領(60)の回顧録「107日」が、野党・民主党内で波紋を広げている。23日に出版され、バイデン前大統領や副大統領候補として名前が浮上した党有力者らを酷評しているためだ。民主党は大統領選後の党勢回復の糸口をつかめておらず、混迷を加速させるとの見方が出ている。

しかし、ホンモノの言論人が読む箇所は、そこではない。

米国の進歩派メディアPoliticoに、注目すべき記事がある。トランプ陣営に衝かれて重大な敗因になったとされる、トランスジェンダーの問題に関して、ハリスは(誤解を正す、という言い方で)自説を修正したとのことだ。

ハリスは回顧録で、トランスジェンダーの選手が女子スポーツのチームで競技することへの留保(reservations)を表明した。これは、長らく保守派として扱われてきた立場を、すでに表明している何人かの民主党員たちに同調するものだ。

トランプ陣営は選挙戦で、トランスジェンダーの権利に関するハリスの立場を叩き、“Kamala is for they/them. I am for you” のパンチラインで今や有名な宣伝(a now-famous ad)を打った。〔カリフォルニア州の〕ニューサム知事を含む全米の民主党員が、その効果を認めている。
(中 略)
ハリスはいまや、トランスジェンダーの選手が女子スポーツに参加することの公平性を疑問視(question the fairness)する民主党員に加わった。ニューサムも彼女に先んじて、トランスジェンダーの参加を「極めて不公平」(deeply unfair)に感じると述べて、民主党内の多くと袂を分かち、憎悪と称賛の声の双方が上がっている。

2025.9.19
Google翻訳を改訂、強調は引用者

Kamala is for they/themと言われても、ふつうの日本人にはわけがわからないが、ノンバイナリーなど「男女」のどちらかに囚われない性自認を主張する人には、heやsheを避けてtheyを使う潮流があった。トランプはそうした「意識高い用語」を揶揄したわけだ。

これは小ネタではなく、本人が指定した代名詞で相手を呼ばないと、「差別者としてキャンセルされる」的な事例が、バイデン政権下では起きていた。そんなバカげた話は終わらせる! という広告の趣旨が、有権者にめちゃ刺さったのである。

生徒が望む「ジェンダー代名詞」の使用を拒んだら懲戒処分に… 教授の訴えに注目が集まる | 焦点は「言論と信仰の自由」?
教授の勝訴 損害賠償金など「大学側から40万ドルを獲得」米オハイオ州にある州立大学の哲学の教授ニック・メリウェザーは、生徒がのぞむジェンダー代名詞の…

ちなみに、以下がその動画だ。「私たちの税金で、ハリスは獄中の男性が性転換する費用を出し、生物学的な男性が女の子たち(our girls)をスポーツで打ち負かすのを支援する!」と煽った後に、決めのフレーズが来る。

ハリスに先んじて、トランスジェンダーに対する姿勢を変更したニューサムは、移民排斥の問題でトランプと全面対決するリベラルの闘士。次の大統領選の有力候補2人が、従来の民主党の路線から転換した形になる。

「私を逮捕しろ」とカリフォルニア州知事 移民摘発めぐるデモ、トランプ氏との政治的対立に発展 - BBCニュース
米ロサンゼルスで不法移民摘発をめぐる抗議デモが激化したことを受け、トランプ大統領は、ニューサム州知事の要請なく州兵を派遣した。抗議デモは今や、両者の政治的対立に発展している。

つまり、トランスジェンダーの問題で “保守的” な立場を採ることは、「トランプだから・共和党だから・ウヨクだから」ではもはやないのだ。むしろ “革新的” な立場のサヨクな人(?)こそ、今後は世界の孤児になる。

私はトランスジェンダー女性で “差別されてる!” と叫んでも、もう米国では本人の免罪符にならない。英国でも今年4月に最高裁が全員一致で、トランス女性と生物学的な女性は「異なる」と評決した。どちらも、このnoteでは既報のとおりだ。

トランスジェンダー女性は、もう「無敵」でなくなったのか|與那覇潤の論説Bistro
まだアメリカが民主党のバイデン政権だった1年前に、こんな記事を書いた。安易に「意識の高さ」を誇ろうとする演出があだになって、アカデミー賞授賞式が炎上した不祥事を扱う内容である。 ご存じのとおり、いま共和党のトランプ政権は、むしろそうした「ダイバーシティはキラキラしている☆」といった風潮を全否定すべく、敵意をもってD...
旧統一教会化するオープンレターズ?:「現代フェミニズム研究会」を読み解く|與那覇潤の論説Bistro
5/10(土)に、専修大学で第1回の「現代フェミニズム研究会」が開催される。参加費や事前の申し込みは不要で、誰でも聞きに行けるそうだ。 第1回とあるとおり、立ち上がったばかりのサークルのようなもので、正式な学会等ではないから、ふつうの人は存在も知らないだろう。しかし、ネット上のトランスジェンダー問題ウォッチャーにとっ...

実際これらの動きに、「ハリスやニューサムは差別者!」「うおおお英国最高裁に抗議のOpen Letterを!」と、得意の英語力で発信する日本の大学教員とか見ないでしょ?(笑) そう。彼らはしれっと言い逃げし、祭りは終わったのだ。

あのオープンレターズは、いま。4年前に "キャンセル" を誇った学者たちの末路|與那覇潤の論説Bistro
6回分連載した「オープンレター秘録」を、あと1回で完結させたいのだが、時間がとれない。この春に戦後批評の正嫡を継いでしまい、歴史の他に批評の仕事もしなければならず、忙しいのだ。 そんな間に、キャンセルカルチャーの潮目じたいが大きく変わった。未来に目覚めて(woke)現状変革を唱える急進派が、"時代遅れ" と見なす保...

が、世の中には逃げられない人もいる。

なにより一番の被害者は、トランスジェンダーの当事者だろう。”ブーム” に踊っただけの応援団が、暴れるだけ暴れてから「言い逃げ」したせいで、当事者にまで「生物学的な女性の領分を侵すのを当然視する人たち」といったレッテルが貼られ、以前よりも偏見は強まっている。

オープンレター秘録⑤ 日本のトランスジェンダリズムはこうして崩壊した|與那覇潤の論説Bistro
2020年代の日本でTRA(Trans Rights Activists)、すなわち「トランスジェンダー女性は100%の女性であり、女性スペースの利用や女子スポーツへの参加は当然で、違和を唱える行為は差別だ」とする主張が猛威を振るったことは、後世、理解不能な珍事と見なされるだろう。なぜなら海外ではすでに、「ブーム」は退...

それに次ぐ被害者は、エラソーな応援団に煽られて「乗っちゃった」人たちだ。高名なセンセー方が援護してくれるはずが、彼らはさっさと銃後から言い逃げし、孤立無援で前線にポイ捨てされて見殺しになる。まるで戦時下の玉砕である。

たとえば、従来からトランスジェンダー論争の舞台になってきた、日本文藝家協会の会報には今年の5月、こんな文章が載っている。書いたのはどんな人か、想像しながら読んでみてほしい。

資料室: 日本文藝家協会でのトランスジェンダー論争|與那覇潤の論説Bistro
昨年11月に連載「オープンレター秘録」を始める際、枕として日本文藝家協会の会報『文藝家協会ニュース』に触れた。笙野頼子氏の寄稿を発端にして、2021年以来、同誌上でトランスジェンダリズムの当否をめぐる議論が続いていたからだ。 同会報の2025年4月号(第848号)が届いたのだが、3/6に行われた評議委員会の議事録と...

会報の会員投稿で、何度か差別的な文章を目にした。そして、その中には、「生物学的に」とか「科学的に」のようなフレーズが入っているものがあった。
(中 略)
「生物学的に」という言葉から入って、誰かを否定するようなやり口は一つ残らず全て、ペテンである。生物学はそんな学問ではない。

『文藝家協会ニュース』2025年5月号、5頁

「生物学はそんな学問ではない」とまで言うからには、相応の業績がある生物学者かなと思うでしょ? 違うんです。もう “ブーム” は終わったんで、まともな学者は乗ってきてくれないんすよ。

なので、著者はこちら。

篠原かをり - Wikipedia

文中でもほのめかしがあるとおり、いま(文系の)大学院に通っているタレントさんだ。もちろん誰にだって、社会に発言する権利がある。が、勝手に「学問」の看板をロンダリングするようでは、話は別になる。

たとえば進化生物学の業績で知られる長谷川眞理子氏は、『文藝春秋』2024年3月号への寄稿で、明快にこう述べる。

「性」は選ぶものではない | 長谷川 眞理子 | 文藝春秋PLUS
「性差別」は撲滅すべきだが「性差」は存在する 昨年10月25日、「戸籍上の性別変更」に「生殖能力を失わせる手術」を必要とする要件は「違憲」だ、とする最高裁の決定が下されました。法的議論の詳細は分かり…

一部では、「男女に本質的違いはない」「男女の違いはすべて社会的につくられたもの」という主張までなされています。生物学者として、こうした主張には賛同できません。
(中 略)
「鹿もクジャクも、メスの生き方とオスの生き方はまったく違う」「人間だけ性差はない、というのはあり得ない」と主張してきた。「性差別」に反対しながらも、ヒトにも「性差」は存在する、と。

鹿やクジャクへの言及からもわかるように、ここで言われているのはむろん “生物学的な” 性別の話だが、タレント氏は長谷川氏にも、あなたの主張は 「一つ残らず全て、ペテンである。生物学はそんな学問ではない」と言うのだろうか?(苦笑) 尋ねてみたいものである。

これは笑い話ではない。また、トランスジェンダーに限った話でもない。

「専門家の時代」の終焉|與那覇潤の論説Bistro
いま連載を持っているので、送っていただいている『文藝春秋』の4月号が届いた。すでに各所で話題だが、「コロナワクチン後遺症の真実」として、福島雅典氏(京大名誉教授)の論考が載っているのが目につく。タイトルが表紙にも刷られているので、今号の「目玉」という扱いだ。 お世話になっているから持ち上げるわけではないが、『文藝春秋...

毎日がウィルスの話題に明け暮れて始まった2020年代は、「専門家」の看板さえ振りかざせば、ニセモノがなにを言ってもOKな時代だった。単なる自分の偏見や、時の世論への媚を、専門の名を掲げて学術的にロンダリングする犯罪を、タレント氏よりも遥かに高位の学者が犯してきたのだ。

そうしたセンモンカの「言い逃げ」ぶりは、理系も文系も変わらない。もちろん逃亡犯は捕えられ、裁かれなければならない。

ウクライナ論壇でも始まった「歴史修正主義」: 東野篤子氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
2020年の7月に出た雑誌への寄稿を、「コロナでも始まった歴史修正主義」という節タイトルで始めたことがある。同年4~5月の(最初の)緊急事態宣言が明け、その当否の検証が盛んだった頃だ。 池田信夫氏のJBpress(2020.5.15)より 統計が示すように、①新型コロナウィルスへの感染は緊急事態宣言の前からピークアウト...

先日は「組閣特集」につきご紹介した、発売中の『正論』11月号には、そんな未来の法廷での起訴状に相当する拙稿も、載せてもらっている。題して、「トランス問題と “偽知性主義” 暴走する学者・専門家たち」。

私の文章の中でも、ぜひ多くの人に読まれてほしい。もはや大学院生にさえ「自分はもう学者ってことにして、フカシちゃおうか」と侮られるほどにまで、堕ちきった学問の信頼を、取り戻す最初の一歩が記されている。

自民党総裁選につき、ぼくも『正論』で組閣してみました。|與那覇潤の論説Bistro
10/4に迫る自民党総裁選ですが、今日発売の『正論』11月号の特集は「私が考える "救国" 内閣」。企画が立った際は、石破茂首相の進退は未定だったはずですが、ピッタリの刊行となりました。 月刊正論11月号  ❝救国❞内閣 識者39人が考える! - 月刊正論オンライン 自民党総裁選の投開票日が近づき、世の中で...

参考記事:

オープンレター秘録② 「コロナの副作用」が日本のトランス問題を生んだ|與那覇潤の論説Bistro
連載の1回目で、私はかつて一世を風靡し、いまや「バカな学者」の代名詞となっているオープンレター(2021年4月)が、事実上はTRAの別動隊であることを、初期から把握していたと述べた。 TRA(Trans Rights Activists)とは、本人がトランスジェンダーか否かを問わず、トランスジェンダーの「権利」を最大...
ある "学会乗っ取り" の背景: トランスジェンダリズムは「戦前の右翼」である|與那覇潤の論説Bistro
今月の頭に、トランスジェンダリズムがダミーサークル化する動きについて報告した。「トランス女性は100%の女性なので、生物学的な性差を考慮せず、女性専用の施設を当然に利用できる」とする主張は、本場だった英米でも公的に否定されてメッキが剥げ、近日はもう人気がない。 そのため「新しいフェミニズムを学びませんか?」のように、...
沈むトランス船から逃げる左翼リベラルネズミたち|苺畑より
私は今年の3月31日にXでこんな宣言をした。 このアカウントが三年後まで持つかどうかは分からないけど、宣言しておこう。トランスジェンダリズムは三年以内に崩壊すると確信している。ジェンダークリティカルの人びとの人生が破壊される時代は終わったのだ。 カカシ姐さん だが私はトランプ大統領の選挙陣営がトランスジェンダリズ...

(ヘッダーは今年5月、トランスジェンダーが1位の場合は生物学的な女性との「共同優勝」とした米国の陸上大会。中央日報より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年10月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。