舞子の話。「お、なんだ?珍しく女性関係の話か?」とお思いの方もいるかもしれません。
残念、違います!

今回やってきたのは兵庫県神戸市垂水区の舞子。地名としての「舞子」の話です。

高速舞子バスセンターは、明石海峡大橋をバスで渡ろうとする人の玄関口。毎日多くのバスがここを発着します。JR舞子駅、山陽電鉄舞子駅も隣接していて乗り換えもとても便利です。
ところで、「舞子」という地名なんですが、意外に全国にあります。

滋賀県の近江舞子。

愛知県の新舞子。

石川県の小舞子。さて、これら3つの場所。名前以外に共通することは何でしょう。
それはいずれも兵庫の舞子の浜によく似ていているからその名がついた、ということです。
近江舞子は白砂青松の湖岸の姿が舞子の浜に似ていることからその名がつき、新舞子は明治時代にこの地をリゾート開発した際に舞子の浜に似た砂浜があるということでこの名をつけました。小舞子は地元の美川の松韻亭の主、餅田半次郎が舞子の浜ににた砂浜の美しい場所ということでこの名をつけています。
それほどに兵庫の元祖、舞子の浜は人々がその美しさに魅了された砂浜や松原を持つ海岸だったのです。

天下の名勝と呼ばれた舞子の浜は、今も駅前や舞子公園に松原が残されています。元祖・舞子はどうして舞子と呼ばれるようになったのかについては諸説ありますが、この松の枝ぶりが舞子のように踊るように見えるから、というのが一説にあります。

そんな舞子の浜。今はここから淡路島に向けて明石海峡大橋がまっすぐに伸びています。かつての姿からは想像もできないような光景を、いにしえの人たちが見たらどう思うのでしょうか。

明石海峡大橋の入り口部分はエレベーターで上がって橋の上からの景色を楽しむことができますので、上がってみることにします。

エレベーターであがり、展望スペースへは車が走る道路の下につくられた通路を歩いていきます。

通路から舞子公園を見下ろします。白砂の浜はなくなってしまいましたが、公園の周りを松林が囲んでいるのがわかります。

天気がいい日には大阪湾の向こう、堺や関空まで見渡せる!らしいのですが残念ながらこの日は曇りで見ることができません。

向こうに見える砂浜はアジュール舞子。釣りやバーベキューが楽しめる人口の砂浜です。かつての舞子の浜とは異なるようですが、少し昔のイメージを思い起こすこともできるのかもしれません。

反対側(橋の西側)には、団地の中にポツンと残された五角形の場所があります。このあたりは明石藩が外国船の侵攻に備えて築造した舞子台場跡です。外国船との戦争はなかったものの、それからしばらくして鎖国が解かれ、近隣の神戸に外国人居留地が置かれることになります。

展望台にはタコのぬいぐるみのUFOキャッチャーがありました。さすが明石。タコはこの町の特産品ですからね。

橋の構造もじっくり眺めることができます。もっと詳しく知りたい方は麓に橋の科学館で設計図や技術を見て学ぶことができます。ツアーでは普段は入れない高さ300mの主塔に登って明石海峡の絶景を見ることもできます。私は怖いのでとてもいけませんが。

再び麓に降りてきました。少し舞子公園を歩いて見ることにします。


橋の近くの建物は移情閣。八角の塔が印象的です。大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた別荘で、現在は中華民国の革命家、孫文(孫中山)の資料館となっています。1913年には孫文も呉錦堂の招待でこの建物を訪ねています。

八角塔越しに明石海峡大橋を望む。


こちらの建物は旧武藤山治邸。衆議院議員であり、鐘紡の総裁としてその業績復興に貢献した経営者です。もともとは和館と洋館がありましたが、洋館だけが残りました。舞子の浜に建てられたものですが、もとあった場所とは若干異なります。彼が亡くなったあとは鐘紡の従業員の福利厚生施設として利用されてきました。

三角屋根の上ではトンビが羽を休め、下界にあるエサを狙っていました。

その下界では多くの人が釣りを楽しんでいました。のどかな休日。砂浜はもうないですが、舞子の浜は今も人々が集う憩いの場所でした。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年11月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。






