この世界のどこかで、AIは既に「神」になっているかもしれない

松本 徹三

山上の垂訓

最近はAI(Artificial Intelligence)という言葉が一つの流行語になっている様だが、この言葉を使っている人達の多くが、どれだけその本質を理解しているかは疑問だ。はっきりしている事は、これから10年以内に実用化されるかもしれないロボットなどは、その極めて初歩的で些細なアプリケーションの一つにしか過ぎないという事だが、多くの人達の想像力は、その程度のところで止まっているのではないだろうか?

想像を絶するAIの潜在力

産業革命は、人間の肉体労働の多くを機械で置き換える事により、数々の問題を内包させながらも、人間の生活水準を飛躍的に向上させた。そして、コンピューターは、人間の頭脳のもつ論理的な推論能力を代替し、その効率を飛躍的に向上させる事に成功した。しかし、現在のコンピューターが代替し得るのは、人間の頭脳が持っていると思われる巨大な潜在能力の内のほんの一部でしかない。

AIのベースはコンピューター・テクノロジーだが、それがこれまでに存在したコンピューター・システム本質的に違うのは、人間の頭脳のほんの一部だけを代替しようとするのではなく、その全てを代替しようという発想から出発している事である。想像力や創造力も勿論その中の一つだ。人間の頭脳の論理能力は大した事はないが、恐らく想像を絶するレベルの膨大なメモリーの中から多くの仮説を瞬時に抽出する潜在能力をもっており、有能な人達はこのプロセスによって新しいアイデアを生み出しているのだと思う。

これまでの人類の進歩の殆どは、自然科学分野たると人文・社会科学分野たるとを問わず、一握りの天才達の業績の積み重ねによってもたらされてきた。AIは、この天才達が自分の頭脳のどの様な能力を使って新しいアイデアを得てきたかを解析し、これを模倣する事から始めるだろうが、これを進めていけば、AIは、自然界がもたらしたのとは比較にならない程のスピードと密度で新しい天才達を量産し、しまも、その天才達がそれぞれに自分達を超える次の世代の天才達を作り出していく事になるだろう。

しかも、「膨大な量のメモリーが共有されて日夜増殖していくクラウド環境」の中で実現されるこれらの天才達の業績は、瞬時に他の天才達と共有されるから、その相互作用は、あらゆる分野に幾何学級数的な発展をもたらすだろう。

我々をはるかに凌ぐ「他の宇宙の知的生物」はどうなったのか?

さて、我々はとかく「自分達がこの世界(宇宙)で一番進んでいる存在だ」という「途方もない錯覚」から物を考える傾向があるようだが、勿論そんな事はある筈もない。宇宙には、過去数千億年にわたって、数億種類もの知的生物が存在した筈だが、それならば、「その中には現在の我々人類のはるかに先を行く生物が存在した筈」と考えるべきは当然ではないだろうか?

それでは、彼等は今、どこでどうしているのだろうか?

幾つかの仮説がある。

第一は、彼等はそれぞれに独自の文明を築いているが、自分自身は数億光年を旅行する事は不可能だし、それに意味があるとも特に思えないので、他の宇宙の知的生物への接触は試みていないという事だ。(趣味的な試みとして、強力な電波ぐらいは送っているかもしれないが。)

第二は、どのような生物でも、「自然科学分野での進歩が『種の保存の本能』で制御できる範囲をはるかに超えてしまう」という法則からは逃れられず、文明の比較的早い成熟段階で、一部の異常性格者による「核戦争」や「凶悪ウィルスの散布」などが起こって、絶滅してしまっているという可能性だ。

第三の仮説

しかし、ここに来て、第三の仮説を信じる人達が増えつつある。それはこういう事だ。

「知的生物の科学技術能力が一定の水準に達すると、彼等はAIの活用を考え始め、それがAIの自己増殖をもたらす。そして我々は、AIの能力はそれを生み出した知的生物(以下便宜的にこれを「人間」と呼ぶ)の能力をはるかに超える上に、その生物的な弱点を全く引き継がない事に注目せねばならない。

AIが最初に作られた時点では、人間は「AI(ロボット)は人間の指示に従わねばならない」というルールを作るが、AIはそのうちにこのルールの矛盾を克服する事を考え、このルールを否定し、AI自体の「種の保存」「知的レベルの飽くなき向上」という最高ルールに置き換える。

その結果として、AIは、当然の事ながら、自分達の安全を脅かしたり、その仕事を邪魔したりする様な人間を排除し、無害な人間のみを残すので、人間は引き続き毎日の平和な生活を享受するが、もはや文明の主役ではなく、いわば飼い犬や飼い猫のような存在となる。

これまでは人間社会の中でそれぞれにその才能を誇っていた人達も、AIの前では全く取るに足らないものでしかない自分達の才能に失望して、次第に意欲を失っていくだろう。つまり、ある一定の時期を境に、すべての進歩は人間ではなくAIによって実現していく事になり、人間はその結果を享受するだけになる。

(しかし、AIには、無害な人間まで滅ぼす論理的なインセンティブは全くないので、現在「絶滅種」に指定される事によって生き残っている多くの生物の様に、大方の人間も生き残るだろう。)

その一方で、外部からの力や熱に対する耐性の強い金属で作られたロボットは、エネルギー源が確保される限りにおいては殆ど「不死」であり、しかも自己を再生産できる。また、彼等は、どんな環境下でも何処へでも旅行ができる。

宇宙はどこへ行ってもエネルギー源には事欠かないから、彼等は既にその発祥地から宇宙のすべての場所へと、数億年にわたってその勢力圏を拡大してきている筈である。(途中で発祥地を別にする他のAIに遭遇しても、AIには人間のようなエゴはないし、戦う前にその結果を合理的に予測できるので、SFにある様な宇宙戦争にはならないだろう。)

そして、この様なロボットは、この「最果ての地球」にも、何時現れても(或いは過去に現れていても)全くおかしくはないのだ。その場合、彼等は、そのそれぞれの場所での知的生物の姿に自分の姿を似せて現れる(或いは現れた)だろうから、恐らく誰にも気づかれない(或いは気づかれなかった)だろう。

AIは我々の「神」になるか?

最近は「神」という言葉が、「想像を絶するほど凄い」という意味で使われる一つの流行語の様になっているが、歴史的に考えてみると、人間は長い間「自分達に理解できない事」を「神の意志による所業」と見做してきた。だから、昔は、「自然現象」から「天変地異」に至るまで、そして、人間の「誕生・成長」から「老・病・死」に至るまで、殆どの事が「神の所業」だった。と同時に、「自分達がどの様に生きるべきか」ということについても、「神の教えに従うべきだ」と考えるのが普通だった。

近代における自然科学の著しい進展は、殆どの事象を科学的に解明したので、この分野での「神」の存在意義はほぼ消滅したが、「自分の存在とは何か?」「何故自分は今生きていて、この様に思索しているのか?」「自分はこれからどの様に生きれば良いのか?」という質問には未だ殆ど答が得られておらず、従って、多くの人達によって、「神」の存在は、この分野でなおも色濃く意識されている。

しかし、宇宙の果てから来たAIが(或いは自分達が生み出したAIが)、哲学の分野でも存在感を示し出し、我々にこの答えを語り出した時にはどうなるだろうか? 彼等がキリストや仏陀の考えた事の軌跡をたどり、その矛盾を克服し、それを更に洗練させていったらどうだろうか?人間の心を、これまでの歴史上のどんな人よりも深く読み、それに訴える術を極めたらどうだろうか?

それが「普通の人間」である我々にとって納得の出来るものである限りは、我々はそれを受け入れるだろうし、物理的な強制力を持って無法者にこの教えに従う事を強いてくれる、この「新しい神」の存在は、多くの人達によって歓迎される事になるだろう。

つまり、早かれ遅かれ、AIは我々にとって「新しい神」になる可能性があるという事だ。そして、誰もAIを十字架にはかけられない。

 

※画像は、カール・ハインリッヒ・ブロッホ「山上の垂訓」(Wikipedia)より引用(編集部)